日経新聞 政治「明治2年 東京が帝都になった」=江戸が東京になった日=

2017年06月16日 05時19分21秒 | 政治
日経新聞 2017年6月14日(水) P.1
連載コラム『春秋』
 明治2年(1969年)春、まだ16歳だった(明治=)天皇は京都御所を後に東京へ向かった。

前年秋にも、岩倉具視(いわくら・ともみ)や木戸孝光(きど・たかみつ)らおよそ3300人を従えて東京入りを果たしていたが年末にいったん還幸(かんこう)。

しかし腰を落ち着ける間もなく再び京都を出て、江戸城を改めた皇居に入ったのだ。

▼新政府成立直後の、このあわただしい動きには遷都(せんと)を巡る混乱が見て取れる。

2度目の東京行幸のときも、政府はわざわざ「天皇が東京滞在中は太政官(だいじょうかん)を東京に移す」との布告を出した。

東京再幸は遷都ではないーーと言外に、しかも苦しまぎれに述べたというのが史家の指摘だ(佐々木克「江戸が東京になった日」)。

▼そんな取りつくろいをしたものの、以後、天皇が故郷に戻ることはなかった。
実に日本的というべきか、なし崩し的に東京は帝都になったのだ。

だから京都人にはいまだに割り切れぬ思いがあるといわれ、こんど、天皇陛下が上皇になったら京都に住んでもらおうという声が聞こえてくる。

門川大作市長も意欲的らしい。

▼市はかねて「双京構想」を掲げ、皇族の京都滞在を訴えてきた。

歴史を顧(かえり)みれば、上皇に退かれたらぜひ、という願いがわからぬでもないが陛下のお気持ちはいかがだろう。

京都御苑(ぎょえん)には、かって後水尾上皇(ごみずのお・じょうこう)が住んだ仙洞御所の跡も残っている。

さりとて陛下は祖父の代からの生粋(きっすい)の東京人だ。
心安らぐ場所は、さて……。


◆言葉のメモ:
・『明治元年』
~日本では明治5年12月2日(1872年12月31日)まで太陰太陽暦(以下、旧暦)を採用していたため、西暦とはずれが生じる。(Wikipediaより抜粋)

旧暦で明治元年1月1日は西暦の1868年1月25日にあたります。

・『還幸(かんこう)』~①天皇が行幸先から帰ること。 還御(かんぎょ)。  ②神が神幸(しんこう、じんこう)先から帰ること。

・『太政官制(だいじょうかんせい)』~明治の太政官制 に移動 - こうした政治情勢の変動に対応して、明治2年7月8日(1869年8月15日)に、新しい太政官制が導入された。

これは、アメリカの影響を受けた政体書体制を廃止して、「祭政一致」を原則とした復古的な官制であった。

(Wikipediaより抜粋)

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