日経新聞 経済史「株価で読む経済30年」=バブル、金融危機、デフレ…=

2017年06月07日 06時42分14秒 | 経済史
日経新聞 2017年6月5日(月) P.17 18歳プラス面
連載『仕事のきほん』

『株価で読む経済30年』=明るさ戻るもなお回復途上=

 6月に入り就職活動も本番を迎えた。

できればいい会社に入りたいが、何を規準に会社を選べばいいのか。

初任給、資本金、従業員数など様々な情報があるが、会社の実情を的確に把握できるデータがある。

それが株価だ。
株価は会社の通信簿のようなもの。

その集積である日経平均株価は、経済を映す鏡だ。
その推移をたどれば、日本経済の歴史がわかる。


 日経平均は日本を代表する企業225社の株価を集計、数値化したものだ。
平日の午前9時から午後3時まで、リアルタイムで更新している。

 株価は政治、経済、社会、スポーツ、国際などあらゆる事象を織り込んで形成される。
日本経済にとって良い材料だったり、悪い材料だったり、毎日様々なニュースが流れる。

それらをすべて合算し、プラス要因がマイナス要因を上回っていれば、日本経済の実情を映す日経平均は上昇する。

 例えば日経平均が100円上昇した日は、差し引き100円分、日本経済にとってプラスとなるニュースが多かったことになる。

1カ月前、6カ月前、1年前と比べて、日経平均がどのくらい変動したか。
その間に、必ず日経平均を動かしたニュースがあるはずだ。

 筆者が入社した1985年4月、日経平均は1万2600円台だった。

この年の9月、米ドルの価値を下げて輸出を増やし、米国経済を立て直すための国際的な協調政策、プラザ合意があった。

年前半、1ドル=260円台まであった円相場は、プラザ合意から1年後、150円まで急騰、100円以上の円高になった。

輸出競争力を失った日本経済は失速した。

 景気をてこ入れするため、政府と日銀は金融緩和策に動き、矢継ぎ早の利下げと資金供給に踏み切る。

市場にあふれたお金は、行き場を求めて不動産や株式に向かい、バブル経済の時代が到来する。


 日経平均は86年から上昇気流に乗り、87年1月に2万円、米国発の株価急落、ブラックマンデーなどの調整を経て、88年12月に3万円になった。

勢いは止まらず、バブル経済のピークとなった89年12月、日経平均は最高値となる3万8915円をつけた。

 大和総研副理事長の川村雄介氏と大和証券会長の日比野隆司氏は当時、大和の社長室課長と課長代理だった。

全国の幹部社員が集まる会議の資料作成を担当し、つけたタイトルが「日経平均5万円時代」。

川村氏は「株価は上がり続けるものと、誰もが信じていた」と振り返る。

『山一破綻の衝撃』
 明けて90年、日本経済は暗転する。

地価高騰で普通の会社員が家を買えない現実を是正しようと、前年から日銀が金利引き上げ、バブルつぶしに走っていた。

その効果が出始めた。

日本経済は坂道を転げ落ちるように悪化し、4万円近かった日経平均はこの年の10月、半分近い2万0200円台まで下げた。

 長いデフレ時代の幕開けだった。
金融機関の経営は苦しくなり、銀行、証券、保険会社の合併が相次いだ。


バブル崩壊、デフレ不況を象徴するのが、97年11月の山一證券の破綻(はたん)だ。
コモンズ投信社長の伊井哲朗氏は当時、山一の債券トレーディング部課長だった。

「厳しい環境だとわかっていたが、まさか山一が倒れるとは、社員のだれもが思っていなかった」と語る。

 出口の見えない不況の中、株価下落は続く。
2001年9月の米同時多発テロの余波で、日経平均は1万円の大台を割り込んだ。

その後、小泉純一郎内閣が進めた経済改革で、日経平均は一時、1万8000円台まで回復するが、長続きしない。

やがて日本経済だけでなく、世界の経済を奈落の底へ突き落す出来事が起こる。
08年9月のリーマン・ショックだ。

 米国の大手金融機関、リーマン・ブラザーズの破綻をきっかけに、世界の経済はどん底まで落ち込んだ。

日経平均は09年3月に7000円台と、ピークの5分の1まで下落してしまった。

 長期化するデフレの中、パナソニック、日立製作所などの大企業が数千億円規模の赤字決算となり、日本航空、三越など名門会社も経営再建を余儀なくされた。

企業はリストラに走り、中高年社員の解雇や派遣社員の契約打ち切りが日常茶飯事だった。

『安倍内閣で反転』
 そんな閉塞感の強い日本経済に明るさを取り戻したのが、安倍晋三内閣の経済政策、アベノミクスだ。

12年12月に安倍内閣が誕生すると、直前に8600円だった日経平均はぐんぐん上昇し、15年4月に2万円を回復した。

日銀の大規模金融緩和策による円安が大きな支援材料となった。

 それでも日経平均はピークの半分程度だ。

米国、韓国などの株価指数が過去最高値を更新しているのと比べると、まだまだ回復途上と言える。

(編集委員 鈴木亮)

    ◆    ◆
 コラム『仕事のきほん』は、働き始めた若者、就職活動中の学生に、知っておくと役立つテーマを選び随時掲載します。


●関連日経記事
:2017年12月27日グー・ブログ「息子たちに読んでほしい日経記事」投稿記事参照
 日経新聞 ことば「日経平均株価って?」=225社の株価から算出=』(2016年12月27日付)

●関連日経記事:2015年9月14日グー・ブログ「同上」投稿記事参照
 日経新聞 経済史「プラザ合意 (1985年9月)」=日本経済の転換点に=』(2015年9月13日付)

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日経新聞 経済史『マクロンは「ジスカール」を超えるか』=仏再生はEU再生につながる、EU再生は世界の再生に…=

2017年05月14日 10時10分59秒 | 経済史
日経新聞 2017年5月13日(土) P.21 マーケット総合2面
連載コラム『大機小機』

『マクロンは「ジスカール」超えるか』

 英米発の連鎖リスクを防いだのはフランスの良識だった。

英国の欧州連合(EU)離脱、米国での大統領誕生で広がった「自国第一主義」は仏大統領選で歯止めがかかった。

若きマクロン大統領に期待されるのは、EUの再生を通じた世界経済の正常化だ。

 マクロン氏の勝利は極右勢力を封じるための消極的支持にすぎないという見方があるが、ポピュリズム(大衆迎合主義)や反グローバル主義がまん延する中、マクロン大統領のまっとうな政策への期待は大きい。

 マクロンはジスカールデスタンを超えるか。
この2人には共通項が多い。

共に国立行政学院(ENA、幹部官僚養成を目的としたエリート校)出身で経済通である。

マクロン氏は39歳と史上最年少の大統領になるが、ジスカールデスタン大統領は48歳と史上3番目の若さだった。

中道派で左右を融合して勝ち上がったのも似ている。

 何より、仏独連携によって、欧州統合や世界経済を再生させることへの期待は大きい。

ジスカールデスタン大統領はシュミット西独首相と組み、世界経済再生へのリーダー役を果たした。

第1次石油危機後、先進国首脳会議(サミット)開催を提唱し危機を打開した。

ユーロの前進、欧州通貨制度(EMS)を創設したのも、ジスカールデスタン・シュミットのコンビだった。

冷戦下で欧州統合に向けて歩み続けた。

 マクロン大統領には「ドイツ独り勝ち」に甘んじず、仏独連携の原点に戻ることが求められる。

ドイツ流の財政規律一辺倒から、財政規律と成長戦略をいかに両立させるかがカギだ。

ユーロ再生には、金融政策の一元化とともに財政統合が欠かせず、共通予算や共同債などでメルケル独首相を説得できるかである。

 EU再生と仏経済の再生は一体である。
EU再生なしに仏経済の再生はなく、仏経済の再生なしにEU再生はない。

 その上で、マクロン大統領はジスカールデスタン大統領のように、世界経済のリーダーを目指すことだ。

金融と成長戦略に精通したマクロン大統領は、G7の主役になれるだろう。

 先進国が自由貿易で結束していたジスカールデスタン時代と違って、今は先進国に保護主義が広がる時代。

ジスカールデスタンをいかに超えるか。
それがマクロン大統領に課せられた歴史的使命である。

(無垢)


●関連日経記事:2017年5月11日グー・ブログ「息子たちに読んでほしい日経記事」投稿記事参照
 日経新聞 国際「親・第三の道と欧州の未来」=元英国首相・ブレア氏に似るマクロン仏・新大統領=』(5月10日付)

●関連日経記事
:2014年10月9日グー・ブログ「同上」投稿記事参照
 日経新聞 国際「経済のグローバル化が引き起こす所得格差拡大」(2011年2月15日付)』

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日経新聞 経済史『企業の歴史が詰まった「神奈川県立川崎図書館社史室」』=「社史の図書館と司書の物語」 高田高史著=

2017年03月20日 00時11分50秒 | 経済史
日経新聞 2017年3月18日(土) P.31 読書面
連載『あとがきのあと』

『企業の歴史が詰まった書棚』=「社史の図書館と司書の物語」 高田高史氏=

 創業10年、20年などの節目に会社の歴史をまとめる「社史」。

川崎市にこれを約1万8千冊集めた個性的な図書館がある。
国内屈指のコレクションで、知る人ぞ知る空間だ。

 この「神奈川県立川崎図書館社史室」の担当になったのは2011年春。

以降、所蔵する社史の活用術の提案や、社史グランプリの開催、作り方講演会などユニークな試みを続けている。

本書でそんな活動のあれこれを明かした。

 まずは思いつきで「社史にみる企業キャラクター」というミニ展示を企画したという。

不二家のペコちゃんや、コルゲンコーワのケロちゃん&コロちゃんの人形などを借り、社史と並べると好評だった。

 「さまざまな社史に目を通すと、発見がいくつもあった。 
例えば全日本空輸と日本航空の社史を一緒に眺めると、航空産業史が浮かび上がる。

そこから『知』が生まれる楽しみを、社会に提案できると思った」

 発見の一つとして、本書では1964年東京五輪での企業の奮闘を紹介している。

ユニホームの色は当初、江戸紫の予定だったが、生地を寄贈した大同毛織(現ダイドーリミテッド)が赤と白を提案して採用された。

聖火の燃料のLPガスを供給したのは日本瓦斯(がす)。
1日3トンの配送は危険でもあり、「緊張と重責の連続」。

そんなことも、社史から分かる。

 個々には、勤務先で社史を編集することになった担当者も、他社を参考にしようと集まってくる。

「1冊の本をつくるのは、すごいプロジェクト。
けれども編集はたいてい少人数」。

そんな現状を知って始めた、経験者に話をしてもらう講演会はすでに20回を超えた。

 社史はコストも労力もかかるうえ、利益には直結しない。
「それでも発行するということは、社史は日本の文化なのだろう」と考える。

「私にとっては、本書もこの社史室の”社史”。 私が移動しても、この本をみれば何が起こったのかすべて分かる」と笑った。

▼柏書房・1900円

▼たかだ・たかし
 1969年東京生まれ、神奈川県育ち。

学習院大院修了。
96年に司書として神川県庁に入庁。

県立川崎図書館で2011年から社史室担当。


●関連日経記事:2013年5月28日グー・ブログ「息子たちに読んでほしい日経記事」投稿記事参照
 日経新聞 社会「近現代歴史を知らない若者の増加」=無知は極論を育ててしまう=』(2013年5月26日付)

●関連日経記事:2017年3月19日グー・ブログ「同上」投稿記事参照
 日経新聞 自己啓発「無知に無自覚な人の悪影響」=「クラウド時代の思考術」 W・パウンドストーン著=』(3月18日付)

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日経新聞 経済史「破壊と創造の500年」=断絶を超えて=

2017年01月05日 17時31分20秒 | 経済史
日経新聞 2017年1月1日(日) P.9 特集面
特集連載『断絶・Disruptionを超えて』

『破壊と創造の500年』

 技術革新や時代の転換で世界が一変する「断絶(Disruption)」。

破壊と創造が織りなす500年の歴史は、好奇心と想像力に富んだ人々がつくる壮大なドラマでもある。

『冒険者の勇気』
 はじまりは冒険者だった。

1492年、ジェノバ人の船乗り、コロンブスが米大陸にたどり着く。
地球球体説を信じ、西回り航路を切り開いたのだ。

 イスラム世界から伝わった羅針盤やルネサンス期以降の地理学の発展。
それらが冒険を可能にした。

 最先端の技術と野心に飛んだ冒険者の出会いは、世界貿易の歴史を大きく変える断絶をもたらす。

東西の貿易路を押さえていたオスマン帝国の繁栄に影が差し、新たな航路を手にした欧州は新大陸やアジアとの取引で莫大な利益を得た。

『資本家の勃興』
 断絶は日々の営みの先にある。

18世紀後半の第1次産業革命の口火を切った英国人ジェームズ・ワット。

鉱山の排水ポンプに使われていた蒸気機関の効率を大幅に高めた取り組みは、世界を変える動力革命に発展した。

帆船は蒸気船に、馬車は鉄道に。

生産性を劇的に高めた英繊維産業は世界を席巻し、ワット本人が想像だにしなかった新時代が到来した。

 電気と石油による重化学工業が発展した第2次産業革命は、関わり合いのある3人の米国人が担った。

 1人は発明王トーマス・エジソン。
会社は後のゼネラル・エレクトリック(GE)に発展する。

 自動車王ヘンリー・フォードもエジソンの照明会社で働いた。

退社後に創業したフォード・モーターでつくった「T型フォード」は世界で初めてベルトコンベヤー方式で生産した大衆車だ。

「大量生産・大量消費」はここから始まったといっていい。

 金融王J・P・モルガンも忘れてはならない。
エジソンの電気照明会社に出資し、私邸にも照明システムを導入した。

モルガンは断絶を育む黒子役として大きな影響力を発揮した。

 ある日、突然のように訪れる断絶は社会が保ってきた秩序を壊し悲劇も生む。

『つながる世界』

 大航海時代を経て新大陸やアジアとの貿易で巨万の富を築いたものもいたが、銀の流入による物価高騰と地中海貿易の衰退で苦しんだ人も多かった

 第1次産業革命で仕事を奪われた職人は機械を打ち壊す暴動に走った。

第2次産業革命により米国とドイツが台頭する一方、当時の覇権国だった英国からは深刻な不況が広がっていく。

グローバリゼーションに動揺する今の世界に似る。
 
 だが、断絶の波にあらがうより、波に乗った方が生き残れる。
参考になるのは近代の日本だ。

 黒船の来日から始まった幕末。

土佐藩出身の岩崎弥太郎は、当時流行した攘夷(じょうい)論に背を向け海運業を核とする三菱グループを興した。

蒸気船という技術革新が「黒船」を生み、明治維新につながった。

その断絶の連鎖がなければ、低い身分の武士だった岩崎の産業資本家としての成功はなかった。

 「愉快ナル理想工場ノ建設」。

第2次世界大戦の終戦から間もない1946年1月に書かれた東京通信工業の設立趣意書には、敗戦という逃れられない断絶に対するこだわりより未来への希望に満ちている。

 井深大(いぶか・まさる)と森田昭夫が立ち上げた同社は後にソニーと名前を変え、トランジスタラジオやウォークマンなど斬新な製品を次々と生み出した。

 財閥を軸とする戦前の経済の解体という、もう一つの断絶がソニーの躍進を可能にした面がある。

 デジタル革命を導くシリコンバレーを米カリフォルニア州に誕生させたのも1929年からの世界恐慌という断絶かもしれない。

 恐慌の傷跡が残る1939年、同州にある田舎町のガレージでスタンフォード大出身の若者2人が会社を起こす。

ヒューレット・パッカード(HP)だ。

2人の恩師、同大教授のフレッド・ターマンが地域で産業を育てるため教え子に538ドルを貸し、起業を促した。

 スタンフォード大は敷地内に工業団地をつくり企業を誘致した。

トランジスタを開発したウィリアム・ショックレーの半導体研究所はインテルなどの名門企業を生む苗床になる。

グーグルを創業したラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン、ヤフーを立ち上げたジェリー・ヤンらはスタンフォード大の出身だ、

 「ハングリーであれ、愚かであれ」。

アップルのスティーブ・ジョブズがスタンフォード大の卒業式講演で残した言葉は、シリコンバレーに脈々と流れる起業家精神を言い表す。

マイクロソフトのビル・ゲイツ、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ、ソフトバンクグループの孫正義。

この地に魅了される起業家たちは、破壊と創造を繰り返すデジタル革命という断絶と向き合ってきた人々だ。

世界は今、新たなデジタル革命のとば口に立つ。
摩擦は避けられない。

だが、リスクを取って技術革新や投資に挑む冒険者も、国境や地域、人種を超えてつながりつつある。

500年の断絶の歴史は未来の飛躍を予感させる。

『アジア躍進 主役は起業家』
 断絶を超えて未来に向かう鍵は、これまで世界経済を引っ張てきた欧米ではなくアジアにある。

 英経済学者アンガス・マディソンの長期推計によると、世界の国内総生産(GDP)のうち、アジアのシェアは、第1次世界大戦前の1913年は25%だったが、2003年には40%まで拡大した。

 成長するアジアの時代はなお続く。
2030年には53%まで高まる。

 主役を担うのは、新たな技術やビジネスモデルを確立し、市場を切り開く起業家たちだ。

 例えば、中国のインターネット通販市場を小売総額の1割を超えるまでに育てた立役者、アリババ集団会長の馬雲(ジャック・マー)はその一人だろう。

2014年に果たした米国株式市場への上場は記憶に新しい。

 飛躍の秘密はクレジットカードなど個人の決済手段が発達していなかった中国で、自ら決済の仕組みを作ったことにある。

商品発送と代金振り込みの双方を確認してから取引を成立させるシステムで、顔の見えない相手とも安心して取引できるようにした。

 「企業家は規律を理解し尊重すると同時に、壊す必要がある」。

政府による経済支配の強い中国にあって、馬は民間主導で新たなインフラやルールを築く必要性を説く。

 IT(情報技術)の世界で進む「グローバル分業」も見逃せない潮流だ。

アップルのように商品の企画・販売に専念する企業から受託して生産に特化する企業が相次ぎ登場。

魅力的な商品を安い価格でつくる仕組みが一気に広がった。

 その意味でシリコンバレーを支えているのは、鴻海(ホンハイ)精密工業の郭台銘(テリー・ゴウ)や、台湾集積体電路製造(TSMC)の張忠謀(モリス・チャン)ら台湾の起業家ともいえる。

 鴻海は2016年にシャープを傘下に収めた。

一方、iPhone(アイフォーン)の頭脳となる半導体の大部分を供給するTSMCは人工知能(AI)向けに裾野を広げ飛躍を図る。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
松尾博文記者、村山恵一記者、小川義也記者、丸山修一記者、加藤貴行記者、久門武史記者、佐野彰洋記者、鈴木大祐記者、長縄雄輝記者、平本信敬記者、高見浩輔記者、本田幸久記者、岩戸寿記者、黒瀬泰斗記者、寺井浩介記者、山口平記者、上間貴司記者がたんとうしまs
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日経新聞 経済史「7の年は市場が荒れた」=景気指標=

2017年01月04日 05時23分01秒 | 経済史
日経新聞 2017年1月3日(火) P.9 景気指標面
連載コラム『景気指標』

=7の年は市場が荒れた=

 株式市場のトランプ・ラリーが続くなか、2017年についても株高の見通しが目立つ。

そんななかで、ひとつ気になるのは「7」で終わる年のジンクスである。

 1987年10月はブラックマンデー。
ダウ平均はたった1日で20%下落し、米国発の世界同時株安で市場関係者は肝を冷やした。

 97年はアジア通貨危機。
7月のタイの通貨切り下げを機に、年末に韓国、翌98年春にはインドネシアに危機が連鎖。

98年8月にはロシア国債が債務不履行となった。

 07年8月には米サブプライムローンに端を発したパリバ・ショックが発生した。
米住宅と証券化のバブル崩壊で、08年9月にはリーマン・ショックに至る。

 ほぼ10年サイクルで繰り返される金融危機は、経済活動がバブル化し、負債が積み上がったことの反動である。

引き金は長期金利の上昇という、債券市場の乱だ。


 今から振り返って気になるのは、30年前のブラックマンデーだ。

直接のきっかけは、金融政策をめぐる米独の角逐(かくちく)でドルが急落したことだった。

だが87年の春先から米国を筆頭に主要国の長期金利はじりじりと上昇し始めていた。

 市場に警戒感が広がったのは、金利が上昇すれば株価が割高になるからばかりでない。

米国が財政と経常収支の赤字に悩む(=「双子の赤字」と呼称された)なか、海外からの米国債投資が細ったら、大ごとだったためだ。

当時の海外勢の代表選手が、生命保険会社などわがジャパンマネーだった。

 リーマン・ショック以降の米国債は、外貨準備を膨らませた中国が最大の投資家だった。

ところが中国の外貨準備は16年11月には3兆ドルすれすれと、14年6月のピーク時に比べて1兆ドルも減少。

16年10月には中国の米国債保有額は日本に次ぐ2位に転落した。

 中国当局が意図的に米国債を売っているというよりも、資本流出の加速で背に腹は代えられないのだ。

しかもトランプ次期政権の下では、米中間の通商と安全保障の摩擦が激化すると予想される。

中国の債券、株式市場がふらつくとき、米国市場にどんなハネ返りがあるか。
「7の年」の留意点である。

(編集委員 滝田洋一)


▼ことばのメモ:
 『角逐(かくちく)』
~〔「角」は競う意〕互いに競争すること。 せり合うこと。 「三大勢力がーする」

●関連日経記事
:2017年1月3日グー・ブログ「息子たちに読んでほしい日経記事」投稿記事参照
 日経新聞 政治「世界大転換の可能性」=ウェストファリア条約の基盤を揺るがすか、トランプ政権…=』(2016年12月31日付)

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日経新聞 経済史「AIG復活劇、リーマン・ショックとその後」=「企業再生」成功の条件 ③=

2016年12月15日 01時56分21秒 | 経済史
日経新聞 2016年12月11日(日) P.11 日曜に考える面
連載『「企業再生」成功の条件 ③』=AIG復活劇 旧敵の名演=

『同業前CEO「安値売却」を回避』=公的資金20兆円を完済=

 8年の任期を来月終えるオバマ米大統領が当選時から直面したのがリーマン危機だ。

AIGなどの金融機関にとどまらず、ゼネラル・モーターズ(GM)をはじめとする米国製造業の経営問題に発展した。

巨額公的資金や外資による土壇場の救済劇を通じて再建を果たしたが、米国経済の再生は道半ば。

トランプ大統領の誕生がそれを端的に示す。

(編集委員 佐藤大和)

 異様な光景だった。
2008年12月の横浜国際総合競技場。

世界制覇を成し遂げ、トロフィーを掲げる英サッカーチーム、マンチェスター・ユナイテッド(マンU)の選手たちのユニホームに場違いな3文字が躍っていた。

「AIG」。
同社はその3カ月前に実質破綻(はたん)に追い込まれていた。

 栄光に彩られたマンUの初代胸スポンサーは「SHARP」だ。
海外市場で知名度を高めるため、1980年代から2000年まで同クラブと組んでいた。

 世界最強の保険会社をに自任したAIGは3代目。

06年、ネット賭博会社に競り勝ち、年1400万ポンド(約20億円)で4年契約を結んだ。

だが「ギャンブル」がないわいだったのはむしろAIGの方だった。
王国の崩壊は突然やってきた。

 08年9月13~14日の週末、財務長官のヘンリー・ポールソンは投資銀行4位のリーマン・ブラザーズの救済を断念する。

一方で3位のメリルリンチには大手銀バンク・オブ・アメリカによる救済買収を土壇場でお膳立てした。

しかし危機対応は序章にすぎなかった。

 その頃民主党オバマ対共和党ジョン・マケインの大統領選が佳境だった。
政府による金融機関の救済は与党候補マケインの足を引っ張る。

15日朝、マケインは「金融機関に税金を投じないというブッシュ大統領の判断に満足だ」との声明を出した。

しかし、とんだ自己満足であることがその日のうちに判明する。

「自分しかできぬ」
 ポールソンから大統領のブッシュに連絡が入る。

「リーマン破綻をきっかけにAIGの資金繰りが極度に悪化しています」

 AIGはクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)と呼ぶ証券化商品の保証業務を手広く展開していた。

保証額は4400億ドル。

高収益事業のはずだったが住宅バブルの崩壊で商品の価値が暴落し、保証の履行を迫られた。

格付け会社は一斉にAIGの格下げに動き、株価は一時1ドル台に急落する。
AIGが倒れれば金融システムの崩壊につながりかねなかった。

 ポールソンは公的資金の投入に動く。

融資と出資を組み合わせた支援額は米国史上最大の1820億ドル(約20兆円)まで膨らんだ。

 政府管理下に入ったAIGをどう再生し、公的資金を回収するか。
バトンはマケインを下して09年に大統領に就任したオバマの手に託された。

 AIGは「先に予約していた」として公的資金注入直後に豪華リゾートで研修会を強行。
幹部らに1億ドル超のボーナスも支給した。

モラルは地に落ち、「米国で最も嫌われた会社」と呼ばれた。
その再建役としてオバマ政権は「劇薬」に白羽の矢を立てた。 

 09年7月、ブドウ畑を備えた中欧クロアチアの別荘で悠々自適の引退生活を送っていたロバート・ベンモシェの電話が鳴った。

 AIGとライバル関係にあった米保険大手メットライフの前会長兼最高経営責任者(CEO)。

同社の株式上場を実現した中興の祖だ。

「最初はふざけるなと思った。 でも自分しかできない仕事だ」と考えた彼は、CEOとしてAIGに乗り込み再建に着手した。

 朝鮮半島に駐在した元陸軍将校で2メートル近い巨体を持つベンモシェは、「ビジネススクールは経営の役に立たない」など歯にきぬ着せぬ異端の経営者。

AIGでは余剰人員のリストラは実施したが、拙速な事業のたたき売りは拒否した。
これが再生のカギを握った。

「追加利益2兆円」
 「ワシントンの愚か者たちよ」。

公的資金の早期回収へ事業売却の加速を迫る政治家の介入に、こうすごんだ。
お目付け役の会長も追い出し全権を掌握した。

 保険業界に精通し、CDS部門を除くAIGの国際事業は、実は痛みが少ないことを把握していた。

周到な事業の「高値売り」と業績のV字回復を通じて5年たたずに公的資金の完済にこぎつける。

2兆円の追加利益も国庫にもたらした。

 剛腕ベンモシェはAIGに転じた直後から肺がんを患っていた。
再建を見届けた上で14年夏に辞任。

半年後に波乱の人生を終えた。

 独り立ちしたAIGは今、新たな試練に立たされている。
政治家より手ごわい「もの言う株主」の圧力だ。

著名投資家のカール・アイカーンは大手生保に大手銀行並みの自己資本の確保を義務づける新たな金融規制を踏まえ、AIGに「3つに解体するのが得策だ」と要求している。

 保険会社に対する規制強化はAIGの身から出たさびでもある。
守護神を失った「保険王国」の復活の行方はまだ見通せない。


『同じく政府支援のGMは…』
『株価低迷響き、1兆円の損失』


 市場の混乱は実体経済に波及した。
焦点は米自動車産業の経営危機だった。

 09年4月、米ビッグ・スリーの3番手クライスラーが米連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用を申請。

6月には最大手ゼネラル・モーターズ(GM)も追随した。

両社への公的資金の投入を決断したオバマは「会社が清算されたら、経済に深刻な影響をもたらし、100万人の雇用が失われる」と釈明した。

 だが公的支援は公平性に課題を残す。
破産法適用を見送った2番手のフォード・モーターは政府の出資なしで乗り切ったからだ。

 そのフォードがトランプの最大の標的になったのは皮肉だ。

メキシコ新工場建設計画を「米国人の仕事を奪う」と決めつけ、メキシコからの輸入に制裁関税をちらつかせた。

トランプの主張は、製造業が集積する中西部の激戦州で支持を得た。
危機後の景気回復の恩恵が十分に浸透していなかったことが背景にある。

 13年末、米政府は保有していたGMの全株売却に踏み切った。

だが株価が着実に回復したAIGとは対照的に、ブランドが失墜したGMの株価は再上場後も停滞が長引き、米政府は損切りを決断。

1兆円超の公的資金の損失が発生した。

 マンUの胸には今、GMの世界戦略ブランド「シボレー」のロゴが刻まれている。
「GM復活の象徴」として14年に結んだ史上最高5億5千万ドルの7年契約。

マンUのスポンサーをめぐる「呪縛」をGMは解くことができるか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『薄氷のモルガン出資交渉』=米プライスウォーターハウス・クーパース プリンシパル 中島 孝明氏=

 --リーマン危機から8年たちます。 米金融の現況は。

 「当時、金融機関の破綻がもう少し続けば金融仲介システム全体がダウンしただろう。
米経済は底なし沼に入り、今の回復はなかった。
 
今は投資銀行は銀行に転換し米連邦準備理事会の監督下に入った。
規制も整い金融機関が取れるリスクは減った。

一方で危機前の高収益を謳歌(おうか)するのはもう難しい」

 --AIG救済後、市場の次の標的は投資銀行のモルガン・スタンレーでした。 
三菱UFJが資本支援に動きました。

「日本勢は千載一遇の好機だと思った。

当時は銀行・投資銀行にも一斉に資金注入される見通しだったが、それだけでは市場は足元を見る。

さらなる出資とビジネスパートナーを確保して初めて底打ちが意識される状況だった。
中国勢に出資を断られ、モルガンは後がなかった」

 --あなた自身が出資金90億ドルの小切手を運び込みました。

 「モルガン破綻は避けなければならず、出資交渉は国家レベルだと感じた。

出資当日、米国は祝日だったため(振り込みではなく)小切手を携え、マンハッタン6番街の法律事務所に待機していた同社首脳に手渡しに赴いた。

日本円で9千億円の小切手だったが、不思議と緊張していなかったのを覚えている」

▼なかじま・たかあき
 83年東大法卒、三菱銀行(現三菱UFJフィナンシャル・グループ)入行。

米州企画部長を経て11年に現職。
57歳。

(ニューヨーク=山下晃記者)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『救済策でモラルハザード』=スタンフォード大学教授 アナト・アドマティ氏=
 
 --リーマン危機が起きたのはなぜですか。

 「膨大なリスクを一部の金融機関が引き受けていた。
的確なリスク分析や生じうる損失への備えがなかった。

大地震の潜在リスクを常に抱える日本は、備えを懸命に整えようとしている。
そうした基本が欠けていた」

 --米政府がリーマンを見捨てなければ、あのような惨状にならなかったのでは。

 「愚問だ。

そもそもリーマンを救うか、破綻させるかという難しい選択を未然に防がなければならなかった。

少なくとも1年半前から危機の兆候はあった。
政府も適切な対策を怠った」

 --では公的資金による企業救済をどう評価していますか。

 「大恐慌の再来への恐れから巨額資金を投じてAIGを救済した。
この結果、AIGは契約を完全履行し、多くの金融機関は損失を回避できた。

だが損失を完全に回避させたのはおかしい。
一連の救済策がモラルハザードを生んだのは疑いない」

 --トランプ氏は金融規制の緩和を打ち出しています。

 「オバマ政権下の金融規制がすべて正しいとは思わない。
ただ規制を緩和しようとする今の機運は極めて危険だ。

金融機関は本質的にリスクを取りたがる習性を持つことを忘れてはならない。
このままでは金融危機の再発回避に悲観的にならざるを得ない」

▼ Anat Admati
 金融規制強化の最強硬派の論客。

共著に「銀行は裸の王様である」(東洋経済新報社)。
イスラエル出身、60歳。


●関連日経記事
:2013年10月21日グー・ブログ「息子たちに読んでほしい日経記事」投稿記事参照
 日経新聞 経済史「金融危機、バフェット氏も動く」=ゴールドマンやGEに出資=』(2013年10月20日付)

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日経新聞 経済史「原油先物市場に マネー沸く」=石油転変 ③=

2016年04月18日 04時57分27秒 | 経済史
日経新聞 2016年4月17日(日) P.11 日曜に考える面
特集連載『石油転変 ③』

『先物に マネー沸く』=市場膨張、覇権争う二大勢力=

 今や原油市場と金融市場の間に垣根はない。

取引には石油会社だけでなく、金融大手やヘッジファンドが多く参加する。
マネーはより大きな利益を得る機会を求め、市場を自由に行き来する。

こうした姿ができあがった発端は1983年3月、ニューヨーク・マーカンタイル取引所(NYMEX)に世界初の原油先物が上場されたことだった。

(編集委員 志田富雄)


 上場商品の正式名称は「軽質低硫黄(いおう)原油」。

その標準油種が、テキサス州で産出されるウエスト・テキサス・インターミディエート(WTI)原油だ。

 資源枯渇で産油量は1日数十万バレルにすぎないが、昨年の先物売買高は初めて2億枚(売買単位の1枚は千バレル、オプション取引を除く)を突破した。

量に換算すれば世界の石油生産の5年分を上回る。

『米政策が契機に』
 原油先物が誕生した背景には市場や民間活力を重視し、「小さな政府」をめざした米レーガン政権の政策があった。

 みずほ銀行産業調査部の松本成一郎調査役は「政策で石油価格を安定させたり、補助金で代替エネルギーの開発を促したりする従来の考えを改め、価格形成を市場に委(ゆだ)ね、価格が上昇すれば代替エネの開発などはおのずと進むという発想に変わった」と指摘する。

 国際市場に目を向ければ、70年代の相場高騰がノルウェーやロシアなどの非石油輸出国機構(非OPEC)諸国を台頭させ、あふれた原油が市場で自由に取引されるようになった。

 市場取引を通じて価格が決まるようになれば、生産者や需要家は価格の変動リスクをヘッジする場が必要になる。

原油先物の誕生は当然の帰結だった。

 米原油先物とそれに続くロンドン国際石油取引所(IPE)の(欧州原油価格の指標となる=)ブレント先物(1988年)は「市場の時代」を決定づけ、石油取引の金融化に道を開いた。

 先物取引は決済を通じて現物市場とつながっていても、日々の取引は金融の世界だ。

石油市場では米ゴールドマン・サックスなどの金融大手が存在感を強め、「ウォールストリート・リファイナリー(製油所)」とも呼ばれた。

 90年代の旧日本興業銀行の在籍時から商品デリバティブ(金融派生商品)に取り組んだ新村直弘マーケット・リスク・アドバイザリー代表取締役は「2000年代に入り、原油相場の動きが激しくなると金融化の動きは加速した」と話す。

 人材の移動も石油市場の金融化を後押しした。

商品取引大手の国際事業部長だった山崎秀人氏(故人)は、石油・天然ガスレビュー誌への寄稿「NYMEX石油先物取引の実態」(03年11月)で、01年に起きたエンロンの経営破綻や米エネルギー会社の事業再編で優秀なトレーダーがヘッジファンドに移り、市場の一体化を進めたとみる。

『運用残高13兆円』
 原油市場の需給は新興国の台頭で急速に逼迫(ひっぱく)し、そこに金融市場からマネーが流れ込んだ。

 商品相場に連動した上場投資信託(ETF)や上場投資証券(ETN)が次々と開発され、欧米の年金基金は商品指数に連動する資産運用を組み込み始めた、

バークレイズの調べでは、原油などエネルギー市場での運用残高は10年末に1200億ドル(約13兆円)に達した。

 ブレント先物を上場したIPEは01年に米インターコンチネンタル取引所(ICE)に、米原油先物を扱うNYMEXも08年にシカゴ・マーカンタイル取引所(CME)に買収された。

米原油先物とブレント先物の売買競争は、世界のデリバティブ市場の覇権を狙うCMEとICEの激烈な争いでもある。

 後発のブレント先物は12年に米原油先物を売買高で初めて抜いた。
背景には、米国内の在庫積み上がりで米原油相場の指標性が揺らいだことがある。

サウジの国営石油会社サウジアラムコは10年、対米輸出価格の指標をWTI相場から、英エネルギー情報会社が発表する「アーガス・サワー・クルード指数(ASCI)」へと変えた。

 一方のブレント相場はロシア、アフリカ産原油など多くの油種で現物取引の指標として利用されているのが強みだ。

ICEはシンガポールを中心にした石油製品市場の取引も取り込み、勢力を拡大している。

 ICEは電子売買に特化した取引所であり、CMEも「GLOBEX(グローベックス)」という名前の24時間売買システムが売り物だ。

主戦場はサイバー空間にある。

 住友商事は米英やシンガポールの子会社を中心に、100人近いエネルギー商品トレーダーを擁する。

彼らが手掛ける原油や天然ガス、電力など多くの取引はもはやCMEやICEなしで成り立たない。

 高井裕之・住友商事グローバルリサーチ社長は「現物市場の上に、相場を取引するデリバティブの世界が形成されて急成長した」と話す。

そこではヘッジファンドやコンピューターを利用する超高速取引の売買が影響力を増す。

高井社長は「1バレル140ドルを超えた08年の最高値も、今年に入り一時30ドルを割り込んだ安値もデリバティブの世界が作った相場だ」とみる。

 08年のリーマン・ショック以降、各国の金融当局は金融大手の商品業務を厳しく管理するようになり、欧米の金融大手は商品業務の縮小や撤退に動いた。

それでも米原油先物やブレント先物の売買高は増え続けている。

国内の東京商品取引所では、原油先物の注文残高のうち8~9割を野村グループの扱う原油ETN(上場投資証券)に由来する売買が占める。

 市場の変化は止まらない。

円滑な市場の機能を維持しながら、現物市場を大きく上回る規模に拡大したデリバティブ市場とどう向き合うのか。

各国当局や市場参加者は課題を突きつけられている。

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日経新聞 経済史「平安時代、中国からの渡来銭が日本に広がる」=貨幣の始まり=

2016年03月10日 03時42分29秒 | 経済史
日経新聞 2016年3月9日(水) P.1
連載コラム『春秋』

 中国から渡来銭(とらいせん)が入り始めたのは平安時代が終わりに近い12世紀半ばのことだ。

朝廷は、これをお金として使ってはならないというお触れを出した。

当時は米や布が貨幣の代わりになっており、大陸からやってきた銭が広まって物価が不安定になるのを防ぐためだった。

▲ところが禁令の効果はなく、渡来銭は急速に日本に浸透する。

日銀貨幣博物館の解説によれば、ちょうど地域の産物が活発に取引され始めた時期にあたっていた。

米や布に比べ、小さくて軽い銭は持ち運びしやすい。

売買に欠かせなくなり、朝廷も鎌倉幕府も海の向こうからの銭貨の使用を認めないわけにはいかなくなった。

▲便利な新しい「お金」が広がれば、現実を当局も追認せざるを得なくなる。
インターネット上の決済取引などに使われている仮想通貨をめぐる状況も似ていよう。

政府は仮想通貨が、貨幣の機能を持つと認めることにした。

中央銀行が管理できない点は気になるが、金融のネット化の流れには逆らえないという判断だろう。

▲ 渡来銭の流通をきっかけに日本は貨幣経済が発展し、各地で中国の銭を模倣したお金が造られた。

ただ質のばらつきが大きく、取引の混乱もあったという。
価値(=市場からの信認)に疑問が持たれれば貨幣は貨幣として機能するのが難しくなる。

仮想通貨はテロ資金に使われる恐れがあるなどの課題もある。
ハードルを越えていけるだろうか。


●関連日経記事:2016年2月26日グー・ブログ「息子たちに読んで欲しい日経記事」投稿記事参照
 『日経新聞 インターネット「仮想通貨 利用者保護急ぐ」=「貨幣」認定、金融庁が法改正へ=』(2月25日付)

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日経新聞 経済史「行天元財務官: 円高への対応間違えた」=通貨攻防 プラザ合意30年 ③=

2015年09月17日 02時32分13秒 | 経済史
日経新聞 2015年9月16日(水) P.3 総合2面
特集連載『通貨攻防 プラザ合意30年 ③』

『円高への対応 間違えた』=元財務官 行天豊雄氏=


 --30年前のプラザ合意をどう評価しますか。

 「米国の覇権的地位が衰えていくなかで、国際的な経常収支の不均衡を為替相場で修正しようとした。

日米英独仏の5カ国(G5)が協調するはっきりとした、そして最後の例だった。

日本にとってはその後の円高や、バブル経済、1990年代以降の長期デフレにつながる転機となった」

 --失敗だったのでしょうか。

 「今から思うと準備が足りなかった。
ドル高是正の協調介入は効果があり過ぎた。

目標は何か。
目標を達成したらどうするのかなど詰めがはっきりしていなかった。

ドル高の勢いは非常に強いと思っていたがそうでもなかった。
坂道に置いてあるボールを下に向けて蹴っ飛ばしたようなもの。

放っておいても転がっていったかもしれない」

 --米国の圧力に負けたということですか。

 「それは違う。
日米貿易摩擦がありG5のなかでも日本が一番(米国に)協力的だった。

あくまで日本独自の判断だ。

米国の過剰消費が問題だったが、当時の世界経済は米消費に依存しており、ほかの国が文句を言える状況ではなかった」

 「円高自体が問題というよりも、円高への対応を間違えたということだろう。
もっと早く本格的な構造改革に努力すべきだった。

いまでいうアベノミクスの第3の矢は当時から課題だった。
前川リポートなどの提言はあったが、やろうとする意欲が政治にも一般の国民にもなかった」

 --構造改革が後手に回り金融緩和に頼る構図は今と変わりませんね。

 「あの頃は日銀法は(政府が総裁の解任権を持つ)旧法だったから大蔵省(現在の財務省)も同罪だ。

構造改革はやりたくないし財政は赤字が大きいからこれ以上、悪くはできない。
内需を増やすには金融緩和しかなかった。

87年にはバブルの要素が出てきたが株価が暴落したブラックマンデーがあり引き締めなんてとんでもないとなった。

この時に締め遅れ、後に締めすぎてしまった」

 --中国はいま構造改革が問われています。

 「習近平政権は現在、賞味期限が切れた国家資本主義の弊害を除こうとしている。
汚職を撲滅し、国有企業の役割を減らし、地方の政府の赤字体質を改善する。

ただ、ある中国人から『我々には危機管理の経験がない』という話を聞いた。
中国がどう変わっていくかは非常に大事で、日本は関わっていくべきだ。

課題先進国として知恵を出していくことができる」

 --プラザ合意以降、主要国の政策協調は見られなくなった。

 「プラザ合意までのG5は完全非公開で少人数でひっそり話し合うことにそれなりの意味があった。

それが衆人環視の下での開催となり、G7となった。
いまであれば、米国、ユーロの代表、英国、日本、中国。

秘密会議は難しいかもしれないが、主要通貨国が話し合いの場を持つことは決して無意味ではないと思う」

▲ぎょうてん・とよお
 プラザ合意のあった85年は大蔵省(現財務省)国際金融局長、86年から財務官。

84歳。

(聞き手は石川潤記者)


●関連日経記事:2012年11月29日グー・ブログ「息子たちに読んで欲しい日経記事」投稿記事参照
 『日経新聞 経済史「サミット発足(1975年)」』

●関連日経記事:
2015年9月16日グー・ブログ「同上」投稿記事参照
 『日経新聞 経済史「米国主導、欧州とズレ」=通貨攻防 プラザ合意30年 ②=』(9月15日付)

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日経新聞 経済史「米国主導、欧州とズレ」=通貨攻防 プラザ合意30年 ②=

2015年09月16日 07時46分44秒 | 経済史
日経新聞 2015年9月15日(火) P.3 総合2面
特集連載『通貨攻防 プラザ合意30年 ②』

『米国主導、欧州とズレ』=元独連銀総裁 ヘルムート・シュレンジンガ―氏=


 --ドイツ連邦銀行はプラザ合意の効果に最初から懐疑的でした。

 「ドイツは対ドル相場だけではなく、欧州の通貨全体に及ぼす影響を見ないといけなかった。 

この点が日本とは違う。
日本にとっては米国との関係だけが焦点だった」

 「欧州では(通貨統合の第一歩である)欧州通貨制度(EMS)が発足しており、西独マルクに連動してほかの欧州通貨も動く。

上昇に耐えられない通貨もある。
ドルと欧州通貨に対する介入を同時にやり遂げるのは非常に難しと考えていた。

だからドイツはプラザ合意で拘束力を設けることに最も消極的だった」

 --日本は円相場の上昇に神経質ですが、ドイツは早い段階から通貨高を容認しました。

 「ドイツでは行政機関の役割が大きかった。
ひとつは経済省。

1963年まで経済相だったエアハルト氏(後に西独首相)は市場経済の信奉者で通貨切り上げに賛成だった。

こうした考えを財務省も共有し、政府に経済政策を指南する学識経験者も通貨上昇を促した。
この流れに独連銀も強く影響されたと思う」

 --通貨高がインフレを抑える効果にも注目したのでしょうか。

 「そういう面もある」

 --今は主要7カ国(G7)や主要20カ国(G20)の枠組みでの政策協調が難しくなりました。 なぜでしょうか。

 「プラザ合意も特段、うまく機能しなかった。

だからこそ米国はルーブル合意で政策協調の枠組みを作ろうとしたわけだが、実現しなかった」

 「プラザとルーブルという2つの合意で米国は(自らが主導してきた戦後の通貨体制である)ブレトンウッズ体制を再構築しようとしたと私には見える。

財政赤字も経常赤字も(人為的なドル高政策による海外マネーの流入で=)外国のお金で賄えるというのは米国にとっては素晴らしい仕組みだったからだ」

 --欧州内でも足並みの乱れが目立ちます。 どこに問題がありますか。

 「単一通貨であるのに参加国が主権を持っている。

つまりユーロ圏は資金繰りが行き詰るまで財政赤字を膨らませるかもしれない19カ国の政府を抱えている」

 「独連銀総裁に内定した際にコール独首相は『通貨統合には政治統合が必要だ』と語っていた。

実際に99年に通貨ユーロが生まれた際は政治統合どころか財政政策の一本化もできていなかった」

 --改善の方策は。

 「参加国のあいだで国際競争力に大きな格差があることも懸念だ。

欧州の中銀間で資金を融通する仕組みにも支えられて(南欧などの)借り手は借金に頼り、身の丈を超えた生活をしているという実感がない。

通貨統合を維持したいならば、財政統合を進めるしかない」

▲Helmut Schlesinger
 85年のプラザ合意時には独連銀副総裁。

91~93年に総裁。
通貨統合にも携(たずさ)わった。

91歳。

(聞き手はベルリン支局長 赤川省吾)


●関連日経記事:2015年9月14日グー・ブログ「息子たちに読んで欲しい日経記事」投稿記事参照
 『日経新聞 経済史「プラザ合意 (1985年9月)」=日本経済の転換点に=』(9月13日付)

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