
それまで、”フレデリック・バック”という人の人生なんて、知る由もなかった。
彼の人生がこの展示だけで語り尽くす事ができないことなんて百も承知だ。
それでも、この展示で知る限りの彼の人生は、
とても一途で、苦しい事も辛い事もすべてが前向きな創造力に変換されていくような、
不思議な魅力があった。
そして、もちろん彼の絵も、その作品が創り出す世界も。
しっかりとした意志を持ちながら、
それでいて主張し過ぎない、
見る人に寄り添うような、
そんな優しさのようなものを私は感じた。
久々に観た展示がフレデリック・バックで良かったと思う。
鑑賞中、私自身の色んな過去も思い出して、色んなことを思った。
中学生の時の絵の先生。
『ピカソは基礎がきちんとできていて、写実がものすごく優れているのよ。
だから、ああいう抽象的な絵が描けるの』
東京の人だった。油絵のプロで、縁あって福岡の人と再婚して、住んでいるというのに
全く博多弁は話さず、ドライでクールな女性で、当時、私は少し苦手だったけど、
振り返ればすごく素敵な人だった。
クラシック音楽と鈍行列車で一人旅をする事は、類似するものがあると思っていた自分。
こうして、一人で絵を鑑賞する事も、少し似ているかもしれない。
『紅の豚』が好きだった彼氏。
おそらく、フレデリック・バックの世界は好きだと思う。
私が知らないずっと昔を生きた人たちの情熱。
多くを考える必要がなく、好きに描いていた頃の自分。
などなどなど…。
鑑賞終了後、私は過去、自分がそうしていたのと同じように、ポストカードを買う事にした。
自分が気に入った絵が、ポストカードになっているとは限らない。
それが、本当に残念でならない。
一緒に展示を見る予定だった幼なじみに、せめてポストカードだけでも…、
と一瞬考えたけど、その思いはすぐに消え去った。
ポストカードとなって、今私の前にあるフレデリック・バックの絵を見て、別の人を思い出したからだ。
私は、数ある、でも少ない彼の作品の中から、私が感じた事が少しでも伝えられるような、
かつ私の好みで、おそらく相手も嫌いではないであろうと予測されるものを選んだ。
メールが3通も入っていた。すでに到着している様子だった。
『美術館に行く予定があるんだけど。』
『フレデリック・バックなら一緒に観たい。』
『じゃあ、一緒に』
結局、仕事の都合で観れず、美術館の前で待たされるはめになった。
今目の前にいる、フレデリック・バック展を観たがっていた彼より、
突然のインスピレーションで浮かんできた別の友達にポストカードを送る事に決めた私。
『ごめんね。』
と、久々に彼の顔を見て
”私って薄情だなあ”
と思いつつも
”まあ、これが私か”
なんて、思ったりして…。