なんかカールしてる

良いことあったら、ちょっとおしえましょう。

「人生フルーツ」観ました

2018-01-28 18:00:25 | 日記
   夫のインフルエンザによるウチの厳戒態勢はほぼ解かれたのに、この週末は誰も外に出ていません。寒いと気持ちも縮こまるのか、行きたいところもやりたいことも見えてこない。雨混じりの雪が降りだして屋根にぽつぽつと当たる音がしています。ご近所も静まり返っていて、みなさんどうやって過ごしているんだろう。

 トイレにシロクマ なんか寒そう

   昨日はお正月に夫が録画した「人生フルーツ」を観ました。津端ご夫妻のつつましやかだけれど、豊かな生活をそのまま記録していました。落ち葉が堆肥になって、それをすき入れた畑に実が生る。それを使って食事を作り、食べきれないものはたくさんの人におすそ分け。それだけでは、なかなか映画にならないところですが、そういったゆっくりとした暮らしを、楽しんでいつくしんでいるお二人の人柄が画面に溢れていて、魅力あるドキュメンタリーになっていました。

 ねこ歩き サンフランシスコの仲良し兄弟

   こういう生活、昔(昭和40年代ごろ)は普通にあったよねー、と思います。わたしが育った岩手のウチも、自分のところで食べる野菜は父が全部作っていたし、それを使って祖母が食事や保存食を作っていたし(母はしなかったけれど)、野菜くずも、豆炭あんかの灰も、柿の木の根元に置いて肥料にしていた。石油製品がなかったので、ゴミもそんなに出なくて、今で言うところのエコでスローな暮らしだったと思います。今でも田舎ではそんな暮らしが残っているんじゃないのかな。

 よく見るとデザインはなかなか

   「人生フルーツ」を観て、都会(?)でそれをするのは、時間とお金がある人の贅沢な暮らし、と感じる人がいるみたいだけれど、時間やお金があるからできるというものでもないし、何を大事に暮らしたいのかを、ちゃんと自分でわかって、それを実行し、続けているのはスゴイことだと思うのです。

   高蔵寺ニュータウンが、津端さんの思い描いたように設計されなかったのはとても残念です。経済優先の、のっぺりとした味気ない町並みじゃなくて、もとの山の起伏を活かしたゆとりのある、緑豊かな町になっていたら、どんなに素敵だったでしょう。

 知床のシャチの親子

   わたしの住んでいる町でも、街路樹の公孫樹が色づく前にばっさり切られたりして、どうも皆さん、落ち葉が嫌いみたい。落ち葉が汚いゴミにしか見えないんですよね。ウチの庭の木も、落ち葉でご近所にはご迷惑をおかけしているかもしれませんが、鳥がその裏に隠れた虫を食べにきたりして、まったくの無駄なものではないと思う。(すこしぐらい落ち葉が落ちてもいいじゃないか!)

   この映画がじわじわヒットしているのは、みんながしたくてもできないことをやって見せているからだと思います。こんな暮らしいいよねーと思う人がいるということは、まだまだ見込みがある(上から目線だな)というか、何に突き進んで行ってるのかわからない今の状況(ケーザイケーザイって、一体誰のため?)を、考えなおすきっかけになるというか…、そんな気がします。

 

   今日は、もう昨日のうちにおでんを炊いておいたのでそれで夕ご飯。今夜は夫の散髪もしないといけないのです。節約のため、ストーブをつけていないので、息子も夫も肩までこたつにもぐってお相撲見てる。なんてダラダラした日曜日だったんでしょう。「実りある日々」は、遠い憧れ…。
   (お相撲の「栃ノ心」の優勝インタビューを観て夫が泣いてる。ダラダラだけど、平和な日曜日だ。)

 これは先週のロールキャベツ

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