解脱を目指す人のブログ

自分なりに、解脱を目指すのです

ほしいのか、ほしくないのか

2017-05-17 13:51:43 | 日記
自分が体調が悪くなってしまった原因の一つに、他人への怒りとか恨み、悔しさがあると思えます。


私は結局、ずっと信じられる人を求めていたんだと思うのですが

始めに信じていたのに、関わることで、信じられない!という出来事が起きたときに、猛烈に相手を嫌ったり恨んだりしてしまいました。

それが過去に起きたことなのに、まだその思いが消え去らないな、と感じることがあります。


人間なんていう、欲を持った変化する生き物を信じても、無駄だ。

欲しいのは不変の存在、真理だ、と思うようになりました。


私が一度信じた人はものすごく仏教に通じている人で、僧侶で、肩書きも立派な人だけど・・・


この人をこのまま信じてはいけないのではないか?

と思った出来事があった。


そう感じて距離を置いていたら、のちに確かに信じなくて良かったと思える事実が発覚した。


知識と能力・技術を持っていることと、その人の人格の成熟は別物なんだって、はっきりわかった。


私が偉そうに言える事じゃないのかもしれないけど、大きな失望だったことに違いはない。
信じて喜んでた自分がバカだと思って悔しくなった。


まだ若い僧侶だったから(といっても30代後半だったけど)欲もあるだろうし可愛いもんなのかもしれない。
でも仏に仕えてる僧侶がこれかよ。こんなやつの説法なんて吐き気がする。このままの調子で生きていってじじいになって変わらなくても表向きは僧侶なんだと思うと気持ち悪くなった。

私の目が厳しすぎたというか心が狭いのかもしれないけれど。



それ以後、誰か師、グルが欲しい、お坊さんを通して仏教に帰依したいという気持ちにブレーキがかかるようになった。

あんまり人間を、特別に信頼してはいけないんだと。

何か仏教にめちゃめちゃ詳しい・・・あるいは修業して特別な技を持っている・・・でもそれだけのこと。

そういうことで、すごいなんて思って、人を信じちゃだめなんだと。


ほんとに大事なのは心。
あと嘘つかないこと。
かっこつけじゃないこと。

そういう心の純粋さなんだろうな。

人を信じるのに肩書きは関係ないな。

だけれども、私がたまたま会ったのがそういう未熟な人だっただけで、ちゃんとした人に出会ってないだけでは?という思いもあり・・・



私は神を信じる気持ちがあるけど、霊的に盲人だ。

一生師がいないままでも、目隠しされた状態でも手探りで、1人でも目的地に行けるのだろうか?

いつかは信じられる人に出会えるのだろうか。

あ、でも信じられる人に会いたいなんて欲は持たない方がいいか。


うーん


全ては神に任せるしかないか。
最終的に結論がこうなる。


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