BLOW OUT

最近疲れ気味・・・

移転しましたー。

2005-06-23 23:02:47 | 一般
散々悩んだすえ移転することにしましたー。
新しいブログはこちら
これからもよろしくお願いします。

今僕の感じる一番の幸せ

2005-06-23 03:19:46 | 一般
自分は現在男声合唱部に所属している。
この男声合唱部のよいところは緩むときはひたすら緩んでいるけれど、やるときは本気でやるところだと思う。
そして自分もその中で本気で活動している。
本気で何かを出来る、これはなんて幸せなのだろうと思う。

自分は割とデジタルな人間だと思う。
要するに0か1、何かに対して全くやらないかぶっ倒れるまでやるかその選択肢しか選べない人間だということである。
しかし集団のなかで生活をおくるなかでこれでは対応できない場面が出てくる。
周りのやる気等を無視して一人で突っ走っていると「あいつやる気出しすぎだろ、きもい。」等と陰口を叩かれたりすることがあるのである。
こんなノイズは無視して進んでしまえばいいのだけれど、自分はこれを無視できるほど強い人間ではなかった。
そこで自分は0.5という概念を覚える。
周りのやる気をうかがってそれに合わせて行動したり、自分はやる気なんてないよというポーズを取って集団からはみ出ないようにする策である。

しかし最初はポーズであったとしても、繰り返していればポーズは実像に成り代わる。
いつの間にか自分は本気で何かを出来ない、それ以上にそうすることを恐れる人間となってしまっていた。
何かに本気で取り組もうとしても、一回はまってしまった0.5という観念からはなかなか逃げられない。
大学でも本気で取り組めることなんてないのだろうな、とそう思っていた。

でも何気なく入ってみたサークルでその観念からするりと抜け出すことが出来た。
それは先輩方や同輩達が本気で練習に取り組んでいて、自分が本気になっても恥ずかしくない雰囲気があったからだと思う。
本気で何かに取り組めるっていうのはこんなに楽しいものだっただろうか、本気でそんなことを考えている。

僕はこの点において最近とても幸せです。

そして25日の初舞台にむけて今日もまた本気で練習してきたいと思う。

”右に習えと学ばされ、気が付けば今も並ばされてます。友情・同情・純情・薄情全てマスターしたけど何か大切なことを忘れてしまった気がする今日この頃です。いつだって自分らしく生きたいけど、一体何が自分か分からなくなるよ・・・”
(SIAM SHADE 「LOVE IS POWER」より引用)

Wikipediaがすごいかも

2005-06-23 01:57:24 | マルチメディア
有志の手によって編集が進められているオンラインの辞書であるWikipedia
最近では適当な単語を入れてやっても大体結果がかえってくるし、かなり使えるものになっているように思う。
正直自分はこの状況に驚いていたりする。
というのも自分はこのプロジェクトが多くのオープンソースソフトウェアのプロジェクトと同じように頓挫すると思っていたからだ。
辞書を作るという作業は少し考えれば分かることだが途方もなく大変であるとともに規模が大きい。
そして規模が大きくなればなるほどこの手のプロジェクトは分裂したり頓挫してきたように思える。
そんな中Wikipediaの状況はどうだろう。
これだけ大きなプロジェクトをしっかりまとめあげている方がいて、それに協力している有志の方が沢山いらっしゃる。
凄いことだなと素直に思う。
自分も利用するだけでなく、いずれは編纂に貢献していかなくてはなと感じた。

アメニモマケズ

2005-06-22 08:07:25 | 一般
こんな雨の中ですが登校しなくてはなりません。
果たして電車は動いているのでしょうか。
間に合ったら奇跡っぽいですね・・・

というか アメニモマケズ の締めは サウイウモノニ ワタシハナリタイ なので現時点では普通に負けちゃってるんですけどね(笑)

rainy day

2005-06-22 07:45:42 | 一般
外をみるとどしゃぶりの雨が降っています。
こんな日はとても憂鬱になります。
雨音の一つ一つが自分の心にひびが入った音か、自分の心の表面が剥けた音(それは生卵のように、それでいて玉葱のように終わりのない)のように思えます。
そして人はこの時期の雨をこう呼びます、梅雨と。
この梅雨と名づけた人の言語感覚に僕は魅了されるのです。
誰があの雨を見て梅を想像するのでしょう?
でも梅雨という字を見た瞬間に青々とした梅が露に濡れている官能的な姿が目に浮かびます。
他にこれほどこの雨を正確に描写した語があったでしょうか?
僕はこの梅雨という語の語源が気になり調べてみましたがどれも決め手に欠けるようです。

雨は生命を育みそして夏にその命は繁茂します、今は潜伏期間であり充電期間のようなものなのかもしれません
そう考えるならば、今僕がこうして憂鬱にしているのも未来に繁茂するための充電であり、生みの苦しみのようなものなのかもしれません。

”曇りのち雨でも、雨のちくもりでもいつかは青空に晴れるさ”
あがらない雨はありません。
いつか終わることがわかっていても、ひたすらに降りつづける雨。
自分が消えても生命に命を分け与えて、消えていく雨。
この雨という現象のもつ大きすぎるエネルギーにあてられながらも、この雨という生命に人が惹かれたからこそ梅という名を冠した・・・
寝起きのまどろみの中でそんなことをぼんやりと思った。