ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】孔子

2008年02月09日 22時05分45秒 | 読書記録2008
孔子, 貝茂樹, 岩波新書(青版)65(D44), 1951年
・孔子(B.C.551-479)について。何時何処で何をした、という伝記的な内容よりも、孔子の生きた中国の時代背景に、主に焦点をあてた内容です。文章の密度が高く、また難しい漢字も多いので読むのに一苦労。
・顔回、子貢、子路など弟子の名前が何故だか見覚えがあるのはどうしてだろう、と思ったら、その昔、井上靖著の『孔子』を読んだことを思い出しました。
・『論語』に興味あり。いつか挑戦してみたい。
・「わが国をふくめて、およそ中国を中心とする極東の世界において、孔子の言葉を書き残した『論語』という本ほど長い期間にわたって、広い範囲の読者をもった書物はないであろう。」p.1
・「『論語』は、  子(し)のたまわく、学んで時にこれを習う、また説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)あり遠方より来る、また楽しからずや。人知らずして慍(うら)まず、また君子(くんし)ならずや。(学而篇)  という巻頭の文章をはじめとして、おもに子すなわち孔子がさまざまの機会にいろいろの人たちに語った言葉を書きしるした本である。」p.1
・「『論語』が二千五百年の長い期間多くの読者をひきつけてきた魅力は、何よりも、孔子の言葉のはしばしまであふれ出てくるところの、博大高遠をきわめながら、しかも温厚で親しみやすい人間性にあったと考えるべきであろう。」p.5
・「孔子はこの人間性の完全に実現された状態をば仁(じん)という言葉で表現し、仁をば人間修養の究極の目的と措定したのである。」p.6
・「君子は言に訥(とつ)にして行いに敏ならんことを欲す。(里仁篇)  といって、言葉は遅鈍でも行いは機敏でなければならないとしていた。」p.7
・「政治的には旧来の統治組織が破壊されて無政府状態がつづいているし、社会的には封建制に適合した身分的な道徳が崩壊して無道徳状態におちいっていたのが、この紀元前五、六世紀であった。この混乱の時代に生をうけた孔子は、この無政府、無道徳状態のなかにおいて、その周国創業の大政治家周公の精神にかえるという理想をかかげて、政治道徳の再建をはかったのである。」p.18
・「したがって中国の古代都市国家は祭祀と防衛とを目的とした氏族の集団であり、氏族の祭祀軍事共同体と見なさなければならない。」p.33
・「孔子はこの三家の寡頭政治の下の魯国に、三家のなかで李氏にくらべると勢力の弱い孟孫氏に仕えて、たびたびの戦闘に武勲をたてた勇士を父として生まれた。かれは中国がまさに宗族制の都市国家から、封建制国家へ転化するかと見える時機に、新たに勃興してきた武士階級の子として生まれたのである。」p.43
・「『論語』のなかに、孔子がごく晩年になって、自己の一生を回顧して、  吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順(したご)う、七十にして心の欲するところに従って矩(のり)を踰(こ)えず。(為政篇)  といった言葉がある。」p.50
・「『春秋』の紀年すらこの意味ではまだ相対的年代にすぎない。まして孔子のような微賤な境遇に生まれた人の誕生の年月日の記事に、その厳密な正確さを求めること自体が無理である。」p.50
・「『史記』によると、孔子は身長九尺六寸もあり、世人からのっぽといわれ、異人あつかいされていたと書かれている。」p.59
・「これにたいして子貢は、孔子は周の文王・武王の道を、書物にでも書かれた一つの整った思想体系のようなものとして先生から習ったのではない。現在の社会のうちに残っているその伝統をば、あらゆる人を通じて学びとったので、特定の師から授けられたものではないと答えたのである。」p.66
・「孔子はこの貴族の理想的人格であった君子をとって、自己が修養によって到達しようとする理想の人格と定めた。」p.101
・「知とは結局、経験のなかから、善いものを選び出す、判別するところに成立すると見ていたのである。」p.120
・「知識を単なる知識として知るだけでは足りない。知識は直ちに実践にうつすことにより、徳となり、仁となる。知は仁に至る段階としてとらえられたのである。これは純粋理性である知より、実践理性である仁をば優位においたものとも見ることができる。」p.125
・「孔子は不完全ではあったが、宗教の神秘主義から、学問を解放し、理性の立場を確立したのである。」p.128
・「魯国においてこそ豪族打倒に失敗したが、他の列国において豪族を排撃して国権を回復し、理想の国家を建設したい、そのような希望をもって孔子は旅に出たらしいのである。」p.174
・「孔子の個人の伝記ではなくて、孔子の生きていた時代を書くのが、書き始めたときの狙いであった。孔子の生れや、幼少年時代の環境を細かに書いてゆくうちに、あまり個人的なことにこだわってしまって、孔子のぞくした新興の士人階級一般の性格がはっきりしなくなったのは失敗であった。前半生に筆を費やし過ぎて、後半生を十分に書く暇がなくなったのも遺憾であった。」p.211

?そてい【措定】 1 推論のたすけを借りないである命題を主張すること。  2 推論の前提として置かれている、まだ証明されていない命題。また、ある論点について、反論を予想して、反論の前に主張される意見や学説。たとえば、二律背反における最初の命題や、弁証法論理における第一項にあたる命題の類。
?しぎゃく【弑逆】 君主や親を殺害すること。

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