41歳から、エンジニアの生きる道

一昨年、某メーカーを辞め外資系ITメーカーに転職したエンジニア。
資格、建築デザイン、転職と来て昨年から走ってます。

昭和の日本のすまい

2017-04-23 21:56:13 | 建築


図書館で借りて来た本です。
「昭和の日本のすまい」(創元社)

もちろんコルビジェやルイスカーンの様な名建築家の
住宅作品も大好きですが、

一方で近代や戦前と現代、僕が過ごして来た時代を
つなぐ建築にも興味があります。

そして街並みの変化。



スクーリングでも訪れた京町屋の通り庭。
炊事、日常生活、社交の場としての通り庭。
天井を張らない土間空間の抜けのいい解放感が良かったです。

でもこれはかなり恵まれた空間。

庶民の生活空間の変遷を追って行くと
いつの間にか僕や僕の同世代が育っていた
空間のバリエーションにたどり着きます。



俗に言う文化住宅とアパート。
さっきの通り庭が真ん中の廊下になったのがアパート。
長屋を二階にも載せたのが文化住宅。

僕の9歳くらいまで、世田谷砧での原風景です。
2階の廊下で遊んでいて階段を転げ落ちたことが約5回ほど。

階段を転げ落ちるときって意外と痛くないんですよね。
本当に頭の周りを星がめぐる感じ。
気を失って数秒してから痛みで目覚める。
そんな子供時代でした。


通天閣からのこの風景はなんとなくわかります。
昭和30年の風景なのに麓の阪堺電車の恵美須町駅だけ
そのまんまだったりして。

でも都市空間のスクラップ&ビルドと
郊外スプロールでどんどん庶民の住空間が変化して
いく様が今に繋がる様子がよくわかりました。



大阪の守口の長屋風建売。
親友の実家はまさにこれでした。

見舞いで訪れたのにてっちり・てっさでもてなして下さり、
居間に布団ひいて一泊させて下さいました。

戦後の高度経済成長で持ち家を欲する人が増えて
郊外、僻地、山のすそ野まで
しかも注文住宅ではなく建売で家を求める人々...

はい、私もその一人です。

そして社宅や財形、住宅ローン補助について。
特に社宅については、国際労働機関(ILO)が昭和36年に
「日本の社宅は労働者を企業にしばり付けるもの」として
公営住宅化を勧告していたそうです。

16年前、最初の会社を辞めるとき、当然社宅からも出ました。

不連続に見えてみんなしっかりつながっていました。

(一部写真を本文より引用させていただきました)


ジャンル:
おもしろい
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 何を考えながら走っているのか? | トップ | 僕の帰宅ラン »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

建築」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。