Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

出版企画で初めて作曲されたドイツ舞曲集=17のドイツ舞曲Ms.45(No.2515)

2017-01-25 02:56:21 | シューベルト:作品大系&詳述
「魔王」が1821年4月2日にカッピ&ディアベリ社から「作品1」として出版以来、1822年12月13日に「作品14」歌曲集までが傍目には順調に出版されていたかに映っていた。
 が、実態は「シューベルティアーデ最盛期の友人たち」が費用を全額負担する、と言う契約だった。つまり、シューベルトはいくら出版しても収入にはならなかったのである。『シューベルトに対して作曲代金を支払う出版社』を見付け出す必要に迫られ、ウィーン中の音楽出版社と交渉したことだろう、ついに

ザウアー&ライデスドルフ社が、3つのドイツ舞曲D971 を1823年1月10日から出版した(作品番号なし)、続き4月10日に歌曲集作品20も出版


 この前に「さすらい人」幻想曲作品15 と 舞曲集作品18 がカッピ&ディアベリ社から出版されたので、作品16-17&19 はこの時点で欠番になった。この後は人気ある歌曲(ドイツリート)は「作品22」5月27日、「作品21」6月19日、「作品23」8月4日、「作品24」10月27日 「美しき水車小屋の娘 作品25第1部」1824年2月17日 と次々にザウアー&ライデスドルフ社のみから出版される。
 シューベルト作品で人気があったのは、舞曲集とリートであった。難しいピアノ独奏曲や、重唱曲、連弾曲は需要がそれほど大きく無かった。舞曲集は特徴があり何でも売れる訳では無かった。ワルツ集かレントラー集は単独でも人気が高いが、エコセーズは退場用として付録でしか売れなく、状況はシューベルトの生涯に亘り全く変わらなかった。
 ザウアー&ライデスドルフ社からD971が出版された直後から、ドイツ舞曲集は「17のドイツ舞曲集」Ms.45,「12のドイツ舞曲」Ms.47 D790,「11のドイツ舞曲集」Ms.51 の3群が作曲した。新作リートは次々と出版を続けるのだから、「ワルツ集も出版してくれる=作曲代金が入る」だろうと期待したのだが、ライデスドルフは別の目論見があった。『人気のシューベルト作品と抱き合わせで自分や他の群小作曲家舞曲を売る』であり、まさに D971 で実行した方式でのみ、終生舞曲では付き合わなかったのである。
 ライデスドルフは「ディアベリ変奏曲」にシューベルトと並んで作品が出版され残っているが、後世に伝わったのはこの1曲だけであった。
 Ms.51 には愛着が特に強く、7曲はシューベルト生前出版され、残り10曲は没後直後に唯一出版された「20の最新ワルツ集」作品127 に全て収められた。ディアベリ社は、残った舞曲の中で、最も愛着の深い曲集がどれか、を正確に把握していたと推察される。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« シューベルトが終生手本にし... | トップ | 佐伯周子のシューベルトを聴... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

シューベルト:作品大系&詳述」カテゴリの最新記事