地震・噴火・気象災害への対応 文学・文化論攷

地震・噴火・気象災害への対応 文学・文化論攷、副題( 森鴎外と福沢諭吉、三田文学における その後 ・・・ )

平成29年9年9月21日、山口県 岩国市 吉川史料館 学芸員と連絡と対応を持った

2017年09月21日 | 山口県庁
平成29年9年9月21日、山口県 岩国市 吉川史料館 学芸員と私は、連絡と対応を持った。

その内容について・・・・・ 平成29年9月20日、山口県 萩市 総務企画部 総務課 秘書室 秘書係 高杉保江主査 の許へ行き、山口県 萩市 まちじゅう博物館推進部 文化財保護課 大槻洋二課長と私は、面談した内容に関する件について、島根県 津和野町 教育委員会 文化財保護係り 担当職員と私との間で、『 津教委 第919号 平成29年7月21日「史跡の指定について(意見具申)」文化財保護法第189条の規定に基づき、別紙により史跡指定を受けたいので意見具申いたします。 』 の内容に関し、山口県 萩市 まちじゅう博物館推進部 文化財保護課 大槻洋二課長へ、私からの説明も入れた報告、山口県 萩市 総務企画部 総務課 秘書室 秘書係 高杉保江主査 対し、行った 公益内容、更に、50年前の明治維新100年祭 当時から 公益 文化財の保護における、経過もあり、明治維新150年祭に向け、岩国市 吉川史料館との対応も、私の許では、あることの説明もおこない、岩国市 吉川史料館 館長、並び、学芸員から、私への善処と配慮を求めた。

山口県 岩国市 吉川史料館 学芸員から、私に対し、私が、岩国市 吉川史料館 学芸員へ、お尋ね申し上げた、「岩国市 岩国藩主吉川家墓所 史跡 」に関しては、

「 岩国市 岩国藩主吉川家墓所 史跡 

昭和63年3月29日(山口県教育委員会告示第二号)

由来及び沿革

吉川家墓所は、岩国に入府した吉川家17代家(岩国吉川家初代)から28代経幹(岩国吉川家12代)までの、当主及びその一族の墓所である。

吉川氏は、藤原南家の支流入江氏の出で、駿河国入江荘吉河邑(静岡県清水市)を本質とする東国武士である。13世紀の 4代経光の時代に、承久の乱の勲功として安芸国山県郡大朝本庄(広島県大朝町)の地頭職を与えられ、正和2年(1313年)5代経高の時代に大朝本庄に移った。

 16世紀の吉川氏は、播磨国や石見国の一部にも勢力を張る戦国大名に発展したが、東の尼子氏と西の大内氏・毛利氏の対立の中で、天文16年(1547)毛利元就の次男元春を養子に迎え、毛利一門となった。以後、吉川氏は、元就の三男隆景が家督を継いだ小早川氏とともに、毛利氏を補佐し毛利氏が戦国大名として発展することに尽力した。

 岩国吉川家の始祖となる広家は、この元春の三男で、兄元長の病死により、天正19年(1591)、安芸国旧館、伯耆国3郡、出雲国3郡、隠岐国14万石の家督を継いだ。

 その後、慶長5年(1600)、関ケ原の戦いで、毛利氏は西軍の主将として徳川氏と戦い敗れたが、毛利の一軍として参戦した吉川広家は、内々徳川方と通じ、戦後毛利家の存続に努めた。そのため、毛利氏は、敗軍の将であるにもかかわらず周防・長門の二ヵ国を受領したが、吉川広家はその功績により毛利氏の領国の内、玖珂郡・大島郡の内3万石(のち6万石)を拝領した。

 慶長6年(1601)、岩国に入府した広家は、横山山頂に岩国城を築き、城下町を建設し、知行地を検分して藩制を整備した。その後、岩国吉川氏は、広正・広嘉・広紀・広遶・経永・経倫(徳山藩主毛利広豊の末子)・経忠・経賢・経札・経章・経幹・経健と続き、13代、270余年にわたって在封した。

 明治元年(1868)、朝廷は、毛利氏の末家として、経幹(慶応3年に死去)を諸侯に列し、城主格を与えた。岩国藩が成立するのはこの時からで、この間2代広正以降、幕府からは、正式には、諸侯に列せられなかった。しかし、江戸には邸宅を与えられ、四季折々の献上と家を継いだのち登営し将軍に謁見することを許されており、また、幕府から諸侯に課する諸普請や諸課役も諸大名並みに賦課されていたので、実体は諸侯に準じる扱いを受けていたと考えることができる。

 墓所が形成されるのは、寛永2年(1625)広家が没した年からで、洞泉寺裏山に広家の墓所が営まれる(資料1図中NO.4)。つづいて、寛永18年(1641)広家後室光寿院が没して、その供養のため新豊院(浄土宗、のち光寿院、実相院と改称)が再興され、その境内に墓所が営まれた。場所は、広家墓所の北に続く同じ山腹である(昭和20年山崩れで崩壊)。2代広正の室高玄院は、広正に先立ち正保元年(1644)に没しているが、その墓所もこの新豊院境内に営まれた。

 吉川家墓所の中心を占める地区、寺谷口御塔場(資料1図中NO.1)は、2代広正が没した翌年、寛文7年から造営が始まった。この経緯については「好問随筆」(岩国徴古館)に詳しい。

 墓所造営は、広正が没した寛文6年の秋に3代広嘉より沙汰があり、翌年正月家臣戸川理佐衛門が大坂へ登り石工を調達し、石材は大畠石神で採取している。墓所造営は、長崎より招請した独立禅師(明の書家、医家)に采配させ、同年2月7日より普請を始めている。墓所造営予定地は、家臣の屋敷地だったため、2月27日に竹下長佐衛門ら、3名の家臣に屋敷を明け渡させ同日これを解いている。造営は5月3日に成就したが、この間光寿院(新豊院を改称)の高玄院墓所を解き(後実相院と改称後、跡地には6代経永の墓所が営まれた)、洞泉寺(禅宗)に葬られた広正とともに中心部に石塔を建て納骨を行った。両石塔の刻銘(戒名)は、独立揮毫である。

 また、3代広嘉(玄真院)の墓は、広正室の高玄院の墓石の横に、延宝7年(1679)に造営された。記録(岩国藩御用所日記)によると、11月5日に造営成就したが、石塔建立には約350~360人の人夫が当たり、御塔場建設が、大工事だったことが知られる。また、玄真院墓石の刻銘(戒名)は学僧竹渓昌筰の揮毫である。

 現在の墓所の景観は、寛文7年のこの墓所造営以降順次形成されていったもので、広正・広嘉以降の代々の墓所は、この墓所の前面及び背面に広がっていった。初代広家の墓所が営まれた山腹には、12代経幹夫婦の墓所及び代々の藩主の子女、側室(妾)の墓も営まれている。


構造及び形式

 今回指定申請がなされた地域は、寺谷御塔場と称する地区及びその裏山で、面積9,615㎡(実測)を測る。

 墓所は、木立と土塀にに囲まれ、霊域として盛厳な雰囲気を保っている。

 墓所の構造は、明治時代のはじめに描かれたと見られる「御塔場図」(岩国徴古館)で確認することができる。まず、御塔場の正門を入ると遥拝所と倉が置かれている(現在は撤去)。遥拝所跡地の南には現在寛政6年銘を持つ鳥居があるが、この図には示されていない。後日移したものと思われる。鳥居をくぐると、正面には土塀で区画された墓所が広がるが、正面は8代経忠夫妻の墓所であり、そこから西奥に代々の墓所が造られている。また、遥拝所跡地の西奥は広い平坦地となっている(指定対象外)が、「御塔場図」には「元横道屋敷」及び「元清泰院」という記載がある。このうち清泰院は、3代広嘉室の天長院が元禄年間に建立した法華宗の寺院で、明治3年に廃寺となっている。この広い平坦地には現在円筒形の納骨堂がある。これは昭和39年に建立されたもので、初代広家をはじめ代々の当主及びその一族の御霊が納められ、また、吉川家の墓所として使用されている。

 指定申請地内には、岩国吉川家初代広家から12代経幹までの11公(6代経永を除く)とその室や子女の墓51基、石灯籠95基、手水鉢9基がある。

 51基の墓石のうち大半は五輪塔で34基を数え、他は板石13基、笠塔婆3基、宝篋印塔が1基である。この内、板石は寛永期から寛文期までの古い時期と、文政期以降の新しい時期に見られる。

 当主及び室の墓石を見ると、初代広家、10代経札、11代経章、12代経幹、経幹室の5名が板石であり、高さ280~315㎝の規模である。他の当主及び室は、いずれも五輪塔で、高さ331~389㎝の規模を測る。広家の母吉川元春室の墓石は、やや小振りで高さ260㎝を測る。この墓石は、慶長期の五輪塔で、元々万徳院(横山)にあったものを、明治初年に現在位置に移したものである。

 当主の子女の墓石は、広家及び広正の子女の合葬墓(明治初期に造られる、墓石番号31)や明治以降に造られたと見られる広正の子息の墓(墓石番号33・34)などが板石であり、また、広家十七女宮鶴姫の墓石(墓石番号45)が唯一の宝篋印塔であるのを除いて、大半は五輪塔で、高さ122~210㎝の規模を測る。

 側室(妾)の墓石は、五輪石2基、板石2基であり、うち3基は高さ194~215㎝を測るが、高さ132㎝の板石墓石(広家、広正の妾の墓、墓石番号38)は明治以降の合葬墓である。

 石灯籠及び手水鉢のなかには、12代経幹夫妻の墓所にある「誰が袖の手水鉢」と初代広家墓所にある「みみずくの手水鉢」など、優れた工芸品も遺されている。前者は京都の小掘家から贈られたと伝えられる遠州好みの手水鉢である。幕末安政3年に本藩毛利敬親と12代経幹が手を結んだとき、横山の御館にあったものを萩に持参したと伝えられ、本品はその写しとされている。また、後者は芸州藩の家老であり茶人でもあった上田宗箇が広家に贈ったと伝えられるもので、長く今津の淨浄念寺にあったものを明治40年に現在地に移したものである。」 山口県庁 文化財要録における、配信内容に関する、説明をしていただいた。

  以上の引用は、山口県庁 ホームページの下記 より、
1. 指定文化財の検索(一覧から選ぶ)>
2. 文化財の概要>
3. 文化財要録

平成29年9年9月21日(木)、山口県 岩国市 吉川史料館 学芸員との連絡 対応を持った後、山口県 岩国市 文化財保護課 職員と私は、対談し、山口県教育委員会 社会教育・文化財課 文化財保護班 職員とも対談した。

平成29年9年9月21日(木)、山口県 萩市 総務企画部 総務課 秘書室 秘書係 高杉保江主査の許へ私は、連絡も入れて、萩市農業委員会 会長による、その私に対する、その農政 対応 あるために、山口県 萩市長、並び、萩市 総務部より、私による国内の文化財 保存・維持活動に関しても、善処を求めた。( 島根県 文化財 竹島 等 も 含む 内容  外務省 いわゆる 密約書 不在の問題、・・・・・ )
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沖ノ島、世界遺産登録へ 関連遺産の登録焦点 (2017/07/08 07:06)

福岡県の「沖ノ島」は、8日にも世界遺産に登録される見通しです。日本側が求める九州本土側の関連遺産と一括登録されるのかが焦点となります。日本が登録を推薦している福岡県の「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」は、4世紀から9世紀の古代祭祀(さいし)の変遷を示す遺跡がほぼ手つかずのまま残されています。登録の鍵を握るユネスコの諮問機関は、沖ノ島については世界遺産にふさわしいとしていますが、九州本土の「宗像大社辺津宮」など4資産については除外するよう勧告しています。文化庁や地元自治体は、全体としての世界遺産登録を訴えていて、8日にも行われる審議を前に、関係各国などへのロビー活動を続けています。・・・ 平成29年7月8日(土)、テレ朝news 配信より



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酪農家困った 68市町村 道東で、飼料用トウモロコシ倒伏 広範囲 台風18号 北海道の農業被害

2017年09月21日 | 山口県庁
酪農家困った 68市町村 道東で、飼料用トウモロコシ倒伏 広範囲 台風18号 北海道の農業被害

9/21(木) 7:04配信

18日に北海道に上陸した台風18号の影響で、道東では、飼料用トウモロコシが暴風で倒伏するなどの大きな被害が広がっている。一部地域では品質低下を食い止めるため、緊急の刈り取りが始まった。トウモロコシのサイレージは、地域の生乳生産を支える貴重な自給粗飼料だが、減収による不足分は購入しなければならない可能性もあり、酪農経営への影響を懸念する声が上がっている。

減収なら購入…経費心配 緊急刈り取り懸命
鶴居村で乳牛200頭を飼う清水武志さん(35)は、台風通過翌日の19日から、コントラクター(農作業受託組織)業者に委託して20ヘクタールの刈り取りを進めた。倒伏したのは8割ほど。多くは根元から折れているため、収穫機に負担がかかる。20日には1台が故障し、作業が滞った。清水さんが懸念するのが、自給粗飼料の不足だ。昨年も、相次いだ台風や天候不順でトウモロコシが減収。不足分はカナダ産の乾燥サイレージを購入してしのいだ。「今年も足りないことは間違いない。せっかく自分でトウモロコシを作っているのに、昨年に続き無駄な経費がかかるのはきつい」と話す。根釧地方のJAでは急ピッチで対応を進める。飼料用トウモロコシの作付けが近年増えているJAしべちゃは、職員が現地を調査し、組合員ごとの被害状況を把握した。JAは独自に被害状況を「被害なし」「軽度」「重度」「壊滅的」――の4段階に分ける基準を設定。作付面積約800ヘクタールのうち約7割が、大幅な傾きや地面に接するほどの折れなどで「重度」か「壊滅的」に当たる被害を受けた。19日には、コントラクターを営む地元業者と協議し、「壊滅的」とされた圃場(ほじょう)を優先的に刈り取る方針を確認した。JA管内のトウモロコシはまだ水分が多く本来、10日後あたりが刈り取りの適期。ただ、倒伏して土と接したトウモロコシが腐るなどの影響を懸念し、急ぎ刈り取ることを決めた。作業は21日から始める。JAが特に懸念するのは、飼料価格の高騰だ。「購入した粗飼料に頼る組合員もおり、他産地でも被害があれば価格が逼迫(ひっぱく)する」(ふれあい相談室)。JAは今後、資金対応などを検討し、組合員を支える考えだ。飼料用トウモロコシの作付面積が全道の4割を占める十勝地方でも、被害が広がった。同地方でも作付けが多いJA鹿追町管内では、飼料用トウモロコシの作付面積の約半分に当たる約1000ヘクタールが倒伏や折損などの被害を受けた。品質を落とさないよう、折損被害が大きい圃場を優先して本格的に刈り取りを開始。JAは「今年は出来が良く、収量・品質とも期待していただけに残念」(営農部)と肩を落とす。十勝地方南部、酪農地帯のJA大樹町管内も、飼料用トウモロコシの作付けの半分以上に当たる970ヘクタールが倒伏などの被害に遭った。JAは「刈り取ってみないと分からないが、何らかの影響はあるだろう」とみる。道の農産物被害(20日午後1時現在)は、水稲の倒伏やビニールハウスの倒壊など68市町村に拡大した。釧路、十勝地方からは計14市町が農業被害を報告。釧路地方では、ほぼ全域で飼料用トウモロコシの倒伏が確認された。自給飼料について、ホクレンは「被害の全容がまだ見えていない。被害実態を把握した上で、何らかの対策を考えていかなければ」(自給飼料課)と見据える。(石川知世)

37道府県で農業に被害
農水省は20日、日本列島を縦断した台風18号の農林水産関係被害(20日10時現在)を発表した。同省によると、現段階で37道府県で被害総額は18億8000万円に上る。農作物などの被害は27道府県で1万1823ヘクタール、被害額は9億3000万円。農業用ハウスなどの被害は1265件で2億1000万円。ただ、災害総合対策室によると、調査中の項目が多く、被害は今後さらに増える可能性が強いという。

日本農業新聞

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・・・ 平成29年9月21日(木)、日本農業新聞 配信より

私のコメント : 平成29年9月21日(木)、山口県 総合企画部 中山間地域づくり推進課 地域づくり班 田辺賢清 主任主事と私が、その面談をした件 もとにして、確認の連絡を入れた。

平成29年9月21日(木)、山口県 健康福祉部 薬務課 製薬指導班 班長 香川裕子主幹と面談した時に、山口県 健康福祉部 薬務課 製薬指導班 男性職員からは、その疑問点、私に対し、でてこなかったが、その一方で、山口県 健康福祉部 薬務課 製薬指導班 班長 香川裕子主幹から、私には、「 私との対談内容に関して、わからない 」と言われ、その主張の原因を 私から、山口県 健康福祉部 薬務課 には、その内容に関し、問いただしていくという 次第となった経緯があり、山口県 健康福祉部 薬務課 製薬指導班 班長 香川裕子主幹との間にて、その詳細 内容を詰めていった。

平成29年9年9月21日(木)、山口県 岩国市 吉川史料館 学芸員と私は、連絡と対応を持った。山口県 岩国市 文化財保護課 職員と私は、対談し、山口県教育委員会 社会教育・文化財課 文化財保護班 職員とも対談した。

平成29年9年9月21日(木)、山口県 萩市 総務企画部 総務課 秘書室 秘書係 高杉保江主査 の許へ、平成29年9月20日、山口県 萩市 まちじゅう博物館推進部 文化財保護課 大槻洋二課長と私は、面談した内容に関する件について、島根県 津和野町 教育委員会 文化財保護係り 担当職員と私との間で、『 津教委 第919号 平成29年7月21日「史跡の指定について(意見具申)」文化財保護法第189条の規定に基づき、別紙により史跡指定を受けたいので意見具申いたします。 』 の内容に関する、私からの、その意見具申を島根県 津和野町 教育委員会 文化財保護係り 担当職員へ申し上げた内容 等に関して、山口県 萩市 まちじゅう博物館推進部 文化財保護課 大槻洋二課長へ説明を入れ、更に、また、50年前の明治維新100年祭 当時からの山口県 萩市 文化財保護における、その経過もあり、明治維新150年祭に向け、山口県 萩市 総務企画部 総務課 との対応も、私の許で、それが、あることの説明もおこない、山口県 萩市 総務企画部 総務課からの、その私への善処を求めた。

平成29年9月20日(水)、島根県 津和野町 教育委員会 文化財保護係り 担当職員との間で、『 津教委 第919号 平成29年7月21日「史跡の指定について(意見具申)」文化財保護法第189条の規定に基づき、別紙により史跡指定を受けたいので意見具申いたします。 』 の内容に関する、私からの、その意見具申を島根県 津和野町 教育委員会 文化財保護係り 担当職員へ申し上げた。その後、島根県 津和野町役場から、山口県 萩市役所へ私は、出向き、平成29年7月より、その山口県 萩市 総務企画部 総務課 秘書室 秘書係 高杉保江主査と私は、連絡対応を以下のとおり、それを継続し、保持もしているため、萩市 総務企画部 総務課 秘書室 秘書係 高杉保江主査と面会し、私の名刺を手渡すことができた。萩市役所内にて、その二人だけでの対談を経て、萩市 総務企画部 総務課 秘書室 秘書係 高杉保江主査 紹介と案内のもとに、萩市 まちじゅう博物館推進部 文化財保護課 大槻洋二課長と私は、面談し、平成29年9月20日、島根県 津和野町 教育委員会 文化財保護係り 担当職員と私との間で、『 津教委 第919号 平成29年7月21日「史跡の指定について(意見具申)」文化財保護法第189条の規定に基づき、別紙により史跡指定を受けたいので意見具申いたします。 』 の内容に関する、私からの、その意見具申を島根県 津和野町 教育委員会 文化財保護係り 担当職員へ申し上げた内容 等に関して、萩市 まちじゅう博物館推進部 文化財保護課 大槻洋二課長へ説明を入れ、更に、また、50年前の明治維新100年祭 当時からの萩市 文化財保護における、その経過もあり、明治維新150年祭に向け、山口県 総合企画部 政策企画課 調整班 等との対応も、私の許で、それが、あること、その経過、及び、その説明もおこなった。
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沖ノ島、世界遺産登録へ 関連遺産の登録焦点 (2017/07/08 07:06)

福岡県の「沖ノ島」は、8日にも世界遺産に登録される見通しです。日本側が求める九州本土側の関連遺産と一括登録されるのかが焦点となります。

日本が登録を推薦している福岡県の「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」は、4世紀から9世紀の古代祭祀(さいし)の変遷を示す遺跡がほぼ手つかずのまま残されています。登録の鍵を握るユネスコの諮問機関は、沖ノ島については世界遺産にふさわしいとしていますが、九州本土の「宗像大社辺津宮」など4資産については除外するよう勧告しています。文化庁や地元自治体は、全体としての世界遺産登録を訴えていて、8日にも行われる審議を前に、関係各国などへのロビー活動を続けています。・・・ 平成29年7月8日(土)、テレ朝news  07:06 配信より

私のコメント :  平成29年7月8日(土)、山口県 岩国市 吉川史料館を参観に行き、慶應義塾大学 時代の私の学友とともに、吉川史料館 学芸員から、吉川史料館 展示内容について、説明していただく機会も得た。





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<安倍政権>国会無視「沈黙の解散」質疑ゼロなら戦後初

2017年09月21日 | 山口県庁
<安倍政権>国会無視「沈黙の解散」質疑ゼロなら戦後初

9/20(水) 21:33配信

安倍政権は28日召集予定の臨時国会冒頭での衆院解散を検討している。野党は8月の内閣改造後も森友、加計学園問題などを究明するため臨時国会の開催を要求してきたが、政権は応じてこなかった。このままでは戦後初めて、国会の本格論戦を経ない新内閣による「沈黙の解散」となる。【福永方人、佐藤丈一】

【図でわかりやすく】衆院解散をめぐる各党の思惑

「国会軽視との指摘は全く当たらない。安倍晋三首相は『帰国後に判断したい』と述べており、これに尽きる」。菅義偉官房長官は20日の記者会見で臨時国会のあり方への言及を避けた。首相は23日の帰国後に政権幹部と協議し、解散の手続きを最終判断する。過去の内閣発足や閣僚を入れ替える内閣改造の後は、首相が施政方針や所信表明演説を行い、各党の代表質問に答えてきた。これに対し、「真摯(しんし)な説明」を誓ったはずの首相は、内閣改造後に国会に立っていない。冒頭解散には野党の追及を避ける狙いがあり、与党内では首相の所信表明直後の解散や、所信表明の省略も検討されている。ただ、衆院事務局によると現憲法下で改造も含む新内閣発足後、国会で質問を受けずに解散した例はない。召集初日の冒頭解散は1966年の「黒い霧解散」など3例あるが、いずれも発足後初の国会ではなく、それ以前の国会で所信表明と質疑に応じた。政治評論家の森田実さんは「内閣は国会を通じて国民にメッセージを送るのが議会制民主主義の基本だ。これほど国会を軽視した首相は記憶になく、もはや国会無視だ」と批判。「今なら衆院選で勝てると見込んだのだろうが、支持率急落前の傲慢さが戻ってしまった」と話す。

    ◇

衆院解散は権力の行方を左右する。解散権は内閣にあり、過去の政権も時期や手法を巡ってギリギリの判断を下してきた。新内閣発足後初めて迎えた国会で解散に踏み切った例に、55年の「天の声解散」がある。鳩山内閣は54年12月の通常国会初日に発足。「造船疑獄」を受けて「55年3月までに総選挙を完了する」と表明していた。1月に施政方針演説を行ったが、野党が閣僚の疑惑を追及する姿勢を示すと、野党の代表質問への答弁の途中に解散に踏み切った。安倍政権は今年6月、野党が反対する「共謀罪」法を委員会での採決を省く「中間報告」で成立させた。改造後初の国会で冒頭解散に踏み切れば、再び「奇策」と指摘されるのは間違いない。東京大の牧原出教授(政治学)は「2院制では政権が国会に対して常に説明する責任がある」と指摘。特に加計学園問題に関し「首相の資質や信頼感に起因する問題だ。仮に与党が勝っても首相個人が支持されたということにはならない」とクギを刺した。

 ◇野党「全く無責任」「あまりにせこい」

民進、共産、自由、社民の野党4党の幹事長・書記局長らは20日会談し、臨時国会冒頭にも衆院解散に踏み切る安倍晋三首相の方針を巡り、「国会の議論を逃げており、全く無責任だ」との考えで一致した。4党は大島理森衆院議長に対し、臨時国会で首相の所信表明や、各党の代表質問などの質疑を行うよう申し入れた。また民進党の松野頼久国対委員長は自民党の森山裕国対委員長と会談し、首相が所信表明直後の解散も検討していることを念頭に、「あまりにもせこい。国会をないがしろにし過ぎている」と反対姿勢を示した。【真野敏幸】

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・・・ 平成29年9月20日(水)、毎日新聞 最終更新: 23:11 配信より

私のコメント : 平成29年9月20日(水)、山口県商工労働部 商政課 電力対策室 水野久敬 主幹と対談。その対談内容を踏まえ、山口県 総合企画部 中山間地域づくり推進課 地域づくり班 田辺賢清 主任主事の許へ、私が、すでに、その面談している内容の件をもとにしての連絡を入れ、 島根県 津和野町 教育委員会から、山口県 萩市役所へ 私は、出向く、その途上中、萩市 黒川 付近 地域にて、当該 山口県 総合企画部 中山間地域づくり推進課 地域づくり班 田辺賢清 主任主事から 私の携帯電話へ連絡が入り、電話にて、私は、対談をし、その内容も受けて、以下の経緯があり、その内容に沿い、私は、山口県 萩市 福栄総合事務所 産業振興部 原忠雄 総括と萩市 福栄総合事務所にて、懇談をし、その際、山口県商工労働部 商政課 電力対策室 水野久敬 主幹と私が、対談した内容についての報告も入れた。
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平成29年9月7日(木)、平29薬務 第425号 平成29年9月 5日、 山口県知事 村岡嗣政氏より 「協和発酵バイオ(株)防府工場及び宇部工場の直近の医薬品製造業(大臣・知事認可)更新申請時に添付された文書のうち、国内・輸出用の医薬品製造品目(原薬・製剤)に関する文書 について、公文書 部分 開示決定通知書が、到着して、私は、その公文書 部分 開示決定通知書に関する対応もあるために、山口県 萩市 農林水産部へ出向き、萩市 農林水産部 農林振興課 「薬用作物の取り組みについて」 担当 課長補佐と面談し、萩市 薬用作物栽培 現況を聴き、萩市 近郊 地域における、従来、過去に、私が、東京 星新一氏や星薬科大学 学生 等 から、聞きためていた 薬草に関係する、その学事 内容にもとづき、萩市 農林水産部 農林振興課 課長補佐へ、その内容に沿い、その指導と助言を行った。その後、萩市 福栄総合事務所 産業振興部 原忠雄 総括と、萩市長からの、私宛ての 公文書 全部 開示決定書 もとにし、萩市 福栄総合事務所内で、今後のみとうしに関し、その面談をした。

平成29年9月7日(木)、山口県 健康福祉部 薬務課 製薬指導班 班長 香川裕子主幹と私は、面談した。その際、山口県 健康福祉部 薬務課 製薬指導班 男性職員からは、その疑問点、私に対し、でてこなかったが、しかし、その一方で、山口県 健康福祉部 薬務課 製薬指導班 班長 香川裕子主幹から、私には、「 私との対談内容に関して、わからない 」と言われ、その主張の原因を 私から、山口県 健康福祉部 薬務課 には、その内容に関し、問いただしていくという 次第となった。

平成29年8月7日(月)、山口県 健康福祉部 薬務課 製薬指導班 班長 香川裕子主幹より、私の許へ、連絡が入り、対談した。

平成29年2月10日、山口県 防府市 上田・藤井総合法律事務所 上田和義弁護士から、2月9日、私の許へ、連絡が入った内容に関し、私の現況における、その状況 説明については、防府市 上田・藤井総合法律事務所 職員へ入れた。

平成29年1月20日、山口県 防府市 上田・藤井総合法律事務所 上田和義弁護士との間において、司法における、その多方面に亘る事柄に関し、私は、その対談をした。
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平成29年9月20日(水)、島根県 津和野町 教育委員会 文化財保護係り 担当職員との間で、『 津教委 第919号 平成29年7月21日「史跡の指定について(意見具申)」文化財保護法第189条の規定に基づき、別紙により史跡指定を受けたいので意見具申いたします。 』 の内容に関する、私からの、その意見具申を島根県 津和野町 教育委員会 文化財保護係り 担当職員へ申し上げた。その後、島根県 津和野町役場から、山口県 萩市役所へ私は、出向き、平成29年7月より、その山口県 萩市 総務企画部 総務課 秘書室 秘書係 高杉保江主査と私は、連絡対応を以下のとおり、それを継続し、保持もしているため、萩市 総務企画部 総務課 秘書室 秘書係 高杉保江主査と面会し、私の名刺を手渡すことができた。萩市役所内にて、その二人だけでの対談を経て、萩市 総務企画部 総務課 秘書室 秘書係 高杉保江主査 紹介と案内のもとに、萩市 まちじゅう博物館推進部 文化財保護課 大槻洋二課長と私は、面談し、平成29年9月20日、島根県 津和野町 教育委員会 文化財保護係り 担当職員と私との間で、『 津教委 第919号 平成29年7月21日「史跡の指定について(意見具申)」文化財保護法第189条の規定に基づき、別紙により史跡指定を受けたいので意見具申いたします。 』 の内容に関する、私からの、その意見具申を島根県 津和野町 教育委員会 文化財保護係り 担当職員へ申し上げた内容 等に関して、萩市 まちじゅう博物館推進部 文化財保護課 大槻洋二課長へ説明を入れ、更に、また、50年前の明治維新100年祭 当時からの萩市 文化財保護における、その経過もあり、明治維新150年祭に向け、山口県 総合企画部 政策企画課 調整班 等との対応も、私の許で、それが、あること、その経過、及び、その説明もおこなった。



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