地震・噴火・気象災害への対応 文学・文化論攷

地震・噴火・気象災害への対応 文学・文化論攷、副題( 森鴎外と福沢諭吉、三田文学における その後 ・・・ )

<コラム>吉田茂が駐在した、天津日本人租界地跡を訪ねて

2017年11月22日 | 山口県 下関県民局
<コラム>吉田茂が駐在した、天津日本人租界地跡を訪ねて

中国国内において西洋列強(日本も含む)が設定した利権のなかに租界地がある。租界とは主権は中国に属しながら、中国側に行政権がない(治外法権)極めて限定された地域を長期的に外国人に貸与された地域のことである。アヘン戦争後の南京条約1842年により西洋列強に、広州・アモイ(廈門)・福州・寧波・上海5港を開港させ、最初にイギリス、次にフランス、次にアメリカが上海に租界地を置いた。その後天津条約1858年で、漢口・九江・南京など10港を開港、北京条約1860年に天津を開港させた。西洋列強は戦勝国の立場で特権を中国に強いる傾向が強く、あわせて中国内の内乱をもうまく利用し、租界地の拡大を図った。

【その他の写真】

日本は日清戦争に勝利し、1895年下関条約によって重慶・蘇州・杭州・沙市の開港と専管租界開設の準備を開始、さらに1896年「日清通商航海条約」で上海・天津・漢口・蘇州・杭州・アモイでの租界開設を認めさせた。しかし、候補地の交渉では清国政府の外交戦術がうまく、条件の悪い墓場とか荒野を割り当てられるケースが多く、当時経済力の乏しい日本は市中心から離れ交通の不便な地域での発展が見込めず、途中断念するケースが多々であった。

沙市の場合は中国住民による抗日暴動事件や日本国領事館焼き討ちなどあり、福州・アモイも同じく租界設置には至らなかった。9つの租界地の中で、一定の発展を見たのは上海(共同租界)・天津・漢口ぐらいで、重慶・杭州・蘇州は最大でも100名程度、福州・アモイ・沙市は設立もなかった。当時の租界の歴史を大きくまとめると、1896~1905年の開設期、1937年までの成長期、そして敗戦までの1945年の終焉期と3段階に分けられる。

天津には1898年から1943年にかけて、日本人租界地が置かれ、最大規模であった(上海は欧米との共同租界地)。明治維新後、天津は中国政府(清国)との外交の入口であった。1871年の日清修交条規締結以後、天津が日中間外交交渉の窓口となり、1874年の台湾出兵に関しても、外務卿副島種臣や全権便利大臣大久保利通が天津にて交渉、翌年の朝鮮問題も全権大使伊藤博文が天津に赴任している。1871年の条規で領事館を置く権利を得て、1873年に上海に最初の領事を設置、1875年に池田寛治が5年間副領事として天津に派遣、1883年には後に平民首相となる「原敬」が領事として赴任した。1896年7月、北京で日清通商航海条約が締結され、1898年8月には天津において約100万平米の租界地を得た。ただし、獲得した土地の南部は大半が沼沢地であり、まずは干拓(埋め立て)が最初の任務であった(地図1)。

天津租界地は、まずは海河に近い土地から建設が始まった。日本政府はのちに栄街(新華路)となる北側の旭街(和平路)までを第1期、栄街から春日街(河南路)を第2期とした。日本領事館がある花園街(山東路)から芙蓉街(河北路)付近が政治経済の中心地となった。1903年には、フランスから割譲された予備地を入れて最終的には124万平米となった。西北は福島街(多倫路)、南は住吉街(南京路)、東は秋山街(錦州道)、北は海河にかけての領域である。

1902年1月、日本政府は天津領事館を総領事館に昇格、第一代総領事には、伊集院彦吉が就任、1909年に栄街に移転。1915年には、宮島街(鞍山道)、花園街(山東路)角に、新領事館を建設した(写真1)。1922年には、吉田茂(戦後の総理大臣)が総領事として赴任、3年後には奉天総領事となっている。吉田茂は外務省記録から見ると、多くの報告書を残し、中国専門家としての一輪を見ることができる。その後、イタリア大使・イギリス大使を歴任、1939年に退官してから、戦後は自由党総裁として組閣、5次に渡り首相を務めた。

1894年日清戦争開始時には天津在留邦人は48名に過ぎなかったが、義和団事件、第一次世界大戦、日中戦争と数度の戦乱の度に邦人は増加、1931年に1万人、その後毎年1万人増加し、1941年には7万人近くになった。日本租界は9カ国の中で一番西北部に位置し、東はフランス租界、北は天津県城(旧城内)、北西部に中国人街三不管(南市スラム街)、南西部に日本軍支那部隊の駐屯する「海口寺」で、現在地下鉄一号線「鞍山道」駅から北西に走る「鞍山道」の左右に格子状に街路が出来た。

鞍山道(宮島街)と並行に斜めに走るのが、万全道(伏見街)・四平東道(浪速街)・哈蜜道(松島街)・瀋陽道(蓬莱街)・錦州道(秋山街)である。メインストリートは鞍山道(宮島街)になる。駅を降りまず見えるのが武徳殿(写真2)であり、柔剣道などで日本人が心身を鍛えていた。鞍山道を北西に向かうと、甘粛路(淡路街)で旧淡路小学校建屋(写真3)の遭遇、その周辺には日系企業の社宅や一軒屋など見ることができる。

北上すると日本総領事館(1949年解体)や警察署があったのが、河北路(芙蓉街)と山東路(花園街)に挟まれた地域である。日本総領事館(現科技金融大厦)の北、新華路(栄街)との間に、大和公園(現八一礼堂:写真4)と天津神社(現天津市豫商会館)があった。天津神社社務所は現存する(写真5)。その北に路面電車が通っていた和平路(旭街)があった。この路面電車で北の旧天津城内や東の仏国租界・英国租界に移動ができた。現在でも金融関係の建物が多いのが英国租界であり、ファッション店が多いのは仏国租界である。日租界は一般中国人と日本人が住む寂しい環境であったようだ。旭街の北に、曙街(嫩江路)があった。旧横浜正金銀行(現中国銀行:写真6)は英国租界にあった。天津租界地は天津政府の保護により、昔日の日本人住居跡などその痕跡を確認できるのが特徴だ。

■筆者プロフィール:工藤 和直
1953年、宮崎市生まれ。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、日中友好にも貢献してきた。

レコードチャイナ 2017年6月28日 21時40分 (2017年7月1日 00時00分 更新) 配信より

私のコメント : 平成29年11月22日、山口県 下関市役所 国際課 職員と私は、今年8月8日、英国大使が、下関市へ来訪された件にて、その対談をした。
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下関市長選 新人の前田氏が初当選

2017年03月13日 | 山口県 下関県民局
下関市長選 新人の前田氏が初当選

任期満了に伴う下関市長選挙で新人で元市議会議員の前田晋太郎氏が三つどもえの選挙戦を制し初当選しました。前田氏は下関市出身の40歳、安倍晋三事務所の秘書や市議会議員を経て市長選に立候補。自民党の推薦を受けて挑んだ選挙戦では組織戦を展開しました。当選の情報を受け前田氏は「市民の皆さんが驚くような皆さんが今まで感じたことがないような新しい政治を国と連携してやっていきたいと思っています」とあいさつしました。一方、敗れた中尾氏はこれまで2期8年市長を務め選挙戦でも自らの実績を強調していましたが及びませんでした。事務所に集まった支援者を前に中尾氏は「8年間悔いがないようにやってきたがそれが評価されなかったことがとても残念」 松村氏は洋上風力発電計画の撤回などを訴えましたが、票を伸ばすことはできませんでした。・・・2017年3月12日(日)、山口朝日放送 県内 ニュース 配信より

私のコメント : 2017年3月12日(日)、山口県 下関市長選挙で 新人で元市議会議員の前田晋太郎氏が三つどもえの選挙戦を制し初当選しました。
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遺恨の「安倍vs林」代理戦争 12日投開票の下関市長選過熱

2017年03月11日 | 山口県 下関県民局
遺恨の「安倍vs林」代理戦争 12日投開票の下関市長選過熱

12日投開票の山口県下関市長選で、自民党を二分する選挙戦が展開されている。下関は安倍晋三首相と林芳正元農林水産相のおひざ元で、過去に首相の父・晋太郎元外相と林氏の父・義郎元蔵相が激しく争った土地柄だ。保守層は今も安倍派と林派に色分けされ、遺恨が残る。林派が推す現職に元首相秘書の新人が挑み、「安倍vs林」の代理戦争の様相を呈している。1月9日、首相が下関市で開いた恒例の「新春のつどい」の出席者は「あれは事件だった」と振り返る。来賓の中尾友昭市長(67)が「首相のご理解をいただき、3期目を担わせてほしい」とあいさつした後、約3千人が集まった会場がざわめいた。首相が“特別ゲスト”として元市議の前田晋太郎氏(40)を壇上に呼んだのだ。「世界で活躍される首相の地元にふさわしく、日本一輝く下関を目指したい」前田氏は市長選への決意をこう述べ、首相とがっちり握手を交わした。首相が中尾市政にノーを突きつけた瞬間だった。前田後援会の幹部は「あの握手で潮目が変わった。首相がここまでしてくれたのだから絶対に負けられない」と語る。

× × ×

中尾氏は、芳正氏の支援団体である下関唐戸魚市場の取締役を経て、首相が第1次政権を退陣した後の平成21年に初当選した。今回も芳正氏に近い県議や市議らが支援し、選挙事務所には林後援会の「ため書き」もある。前田氏は首相の秘書を7年半務めた直系だ。中尾氏が当選した過去2回の市長選で自民党下関支部は、どの候補にも推薦を出さなかった。しかし、今回は前田氏を推薦する。中尾氏は旧民主党政権の22年6月、菅直人首相(山口県宇部市出身)を官邸に訪ね、「下関奇兵隊」の幟(のぼり)やフグの刺し身を手渡した。首相の旧敵である菅元首相との親密さが保守層の不評を買った。中尾氏も今回推薦願を出したが、条件に憲法改正を訴えることが盛り込まれ、「政党カラーが強すぎる」と取り下げた。下関支部長は首相の側近とされる県議で、「あえて中尾氏が取り下げるよう仕向けた」との見方もある。

× × ×

代々国会議員を輩出してきた安倍、林両家による保守分裂の構図は根深い。ガス、交通など実業家の家系でもある林家は、芳正氏の祖父・佳介氏までは晋太郎氏の後援会に名を連ねた。しかし、昭和38年の衆院選旧山口1区で晋太郎氏が落選した後、芳正氏の父・義郎氏が1区に出馬し、亀裂が生じた。以来、晋太郎、義郎両氏は激しい選挙戦を展開。小選挙区制導入後は首相と義郎氏が選挙区と比例ですみ分け、芳正氏は参院議員を務める。とはいえ、隙間風は今も吹く。芳正氏は平成24年9月の総裁選に出馬して首相と争い、同年末の衆院選前には、将来の総裁就任への布石として衆院山口3区への転身を画策した。

× × ×

首相は昨年末に面会した前田氏に「現職の批判はせず自分の公約を力強く訴えなさい」と助言した。国政選挙で4連勝を誇る首相だけに、地元での敗戦はメンツにも関わる。一方、党支部が前田氏を推薦したことで、林氏側は表立って中尾氏を支援することができていない。告示日の5日、中尾氏の出陣式には芳正氏の叔父で山口合同ガスの泰四郎会長が駆け付けたが、林事務所の関係者の姿はなかった。芳正氏が応援に入る予定もない。前哨戦まっただ中の2月3日、義郎氏が死去した。同月19日に下関で営まれた葬儀で首相は「林派、安倍派がしのぎを削る激戦」の過去に触れつつ、「好敵手でありながら父は常に林先生の優れた能力、見識、品格に畏敬の念を持っていた」と故人をしのんだ。一方、中尾氏は「林芳正先生の力をお借りして継続して市政を担う」と述べた。葬儀の場で市長選に言及したことへの批判も少なくないが、中尾陣営からは「弔い合戦だ」との声も出ている。(小沢慶太、大森貴弘)

 ◇下関市長選(届け出順)

松村 正剛63 元市議   無新

前田晋太郎40 元市議   無新【自】

中尾 友昭67 元会社役員 無現〔2〕

・・・ 2017.3.8、産経新聞 21:44更新 配信より

私のコメント : 平成29年1月9日、首相が下関市で開いた恒例の「新春のつどい」、来賓の中尾友昭市長(67)が「首相のご理解をいただき、3期目を担わせてほしい」とあいさつした後、会場がざわめいた。首相が“特別ゲスト”として元市議の前田晋太郎氏(40)を壇上に呼んだ。前田氏は市長選への決意、「世界で活躍される首相の地元にふさわしく、日本一輝く下関を目指したい」と述べ、首相とがっちり握手を交わした。首相が中尾市政にノーを突きつけた瞬間だった。前田後援会の幹部は「あの握手で潮目が変わった。首相がここまでしてくれたのだから絶対に負けられない」と語る。林氏側は表立って中尾氏を支援することができていない。告示日の5日、中尾氏の出陣式には、林事務所の関係者の姿はなかった。芳正氏が応援に入る予定もない。一方、中尾氏は「林芳正先生の力をお借りして継続して市政を担う」と述べた。葬儀の場で市長選に言及したことへの批判も少なくないが、中尾陣営からは「弔い合戦だ」との声も出ている。





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駐韓大使帰任「現時点では決まらず」…菅氏

2017年01月10日 | 山口県 下関県民局
駐韓大使帰任「現時点では決まらず」…菅氏

韓国・釜山(プサン)の日本総領事館前に慰安婦を象徴する少女像が設置された問題を巡り、安倍首相は10日午前、9日に一時帰国した長嶺安政・駐韓大使、森本康敬・釜山日本総領事を首相官邸に呼び、今回の経緯や韓国内の状況について報告を受けた。政府は韓国側の対応を慎重に見極め、長嶺氏らの帰任時期などを判断する方針だ。面会は約30分間で、杉山晋輔外務次官らが同席した。首相に先立ち、菅官房長官にも報告を行った。面会後、長嶺氏は「首相、官房長官に報告した。内容は申し上げることはできない」と記者団に語った。菅氏は10日午前の記者会見で、長嶺、森本両氏の帰任について、「現時点では決まっていない。今後の諸状況を総合的に判断して検討していきたい」と述べた。長嶺氏らは「1週間程度は日本に滞在する」(外務省幹部)とみられる。・・・ 平成29年1月10(火)、読売新聞 11:48配信より

私のコメント : 平成29年1月10(火)、 安倍首相、10日午前、9日に一時帰国した長嶺安政・駐韓大使との面会は約30分間、杉山晋輔外務次官らが同席。首相に先立ち、菅官房長官にも長嶺安政・駐韓大使は、報告を行った。面会後、長嶺氏は「首相、官房長官に報告した。内容は申し上げることはできない」と記者団に語った。


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豪華客船「クイーン・エリザベス」、横浜に寄港

2016年03月20日 | 山口県 下関県民局
豪華客船「クイーン・エリザベス」、横浜に寄港

世界一周旅行を続けている豪華客船「クイーン・エリザベス」が20日、横浜に寄港しました。バミューダ船籍の豪華客船「クイーン・エリザベス」は現在、世界一周旅行を続けている最中で、20日、乗客乗員およそ2100人を乗せ、横浜に寄港しました。横浜を訪れる旅客船のほとんどが大さん橋国際旅客ターミナルに着岸しますが、「クイーン・エリザベス」は全長294メートル、およそ9万1000トンと巨大で、ベイブリッジの下をくぐれなかったため、大黒ふ頭に着岸しました。「クイーン・エリザベス」が横浜を訪れるのはおととしに次いで2回目で、20日深夜には次の目的地・大阪に向けて出港する予定です。(20日11:08) ・・・ 平成28年3月20日(日)、TBS 11:08 配信より

私のコメント: 豪華客船 「クイーン・エリザベス」、横浜に寄港された後、今後、山口県 下関港にも、豪華客船 「クイーン・エリザベス」が、寄港されるように、自治体関係者は、配慮もされていきたいものである。








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靖国爆発音:火薬所持し再入国か 荷物からタイマーも

2015年12月11日 | 山口県 下関県民局
靖国爆発音:火薬所持し再入国か 荷物からタイマーも

靖国神社(東京都千代田区)の公衆トイレで爆発音がして不審物が見つかった事件で、建造物侵入容疑で逮捕された全昶漢(チョン・チャンハン)容疑者(27)=韓国籍=が9日の再入国時に持っていた荷物の中から火薬とみられる粉末状の不審物やタイマーが見つかっていたことが捜査関係者への取材で分かった。警視庁公安部は、再び事件を起こすために時限式発火装置の材料を持ち込もうとした可能性があるとみて調べている。捜査関係者によると、全容疑者は9日午前8時ごろ、日帰りの予定で韓国の金浦空港を出発し、同10時ごろ羽田空港に到着した。公安部が韓国を出国する際に機内に預けた荷物を調べたところ、中から不審物が見つかった。全容疑者は荷物を受け取る前に、再入国の情報を得て空港に待機していた捜査員に任意同行を求められており、荷物について「自分のものではない」と説明しているという。爆発音がした靖国神社の公衆トイレでも、床にデジタル式のタイマーが落ちていたほか、天井裏から見つかった金属製のパイプには、火薬のようなものが詰められ、一部は燃焼したような痕跡もあった。全容疑者が国内に滞在中に購入した形跡はなく、公安部はこの時も韓国から持ち込んだ可能性があるとみている。全容疑者は「靖国神社に爆発物を仕掛けた」と一度は供述したが、その後は否認に転じているという。公安部は11日午前、全容疑者を東京地検に送検した。【堀智行】 ・・・ 平成27年12月11日(金)、毎日新聞 配信より

私のコメント: 外務省アジア大平洋州 北東アジア課 大村久美様 宛て「 平成27年1月18日、金曜日の午前中、私の都合がつきましたなら、この続き、外務省アジア太平洋州 北東アジア課 鶴間様 宛てに、詳細を申し上げたい所存であります。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。 」と連絡を申し上げた。

その後、外務省アジア太平洋州 北東アジア課 鶴間様と私は、対談もした。外務省アジア太平洋州 北東アジア課 鶴間様からは、「海外から観光客が日本に増加することは、好ましいことであり、積極的に、外務省において、その活動している 等・・・・・」 、それに対し、私は、「日本における、各国における歴史認識の問題 等についても、前向きに、日本外務省において、取り組まないと、海外からの外国人 観光客の増加は、日本国民の負担になっていく 旨について・・・」を申し上げたが、外務省 アジア太平洋州 北東アジア課 鶴間様から 私からの外交上における各国間における各 歴史認識に関する対話問題についても、その聴き取りを、日本外務省にて、前向きに、されようとされずに、今に、いたっている。



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