デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



藤野彰著『蘇州通信-暮らして知ったディープな中国-』(新評論)読了。

著者は2003年1月から2006年11月まで富士フィルム(株)蘇州工場の駐在員として蘇州で生活した。その期間、日本にいる友人たちに「蘇州通信」として送ったメールの文がこの本の内容の大半を占めている。
現地に住むことになった人にしか書けない文章ってあるなぁとしみじみ思った。こういった人が書く文章は気取っていなくて読みやすく、それでいて非常に感性に訴えるものがあった。たとえば「蘇州の歴史と文化」の章は、難しい歴史の解説書のように時にやたら読みにくかったり、ページ数が限られているゆえ、無理やりコンパクトにさせられた旅行ガイド書の掻い摘みすぎる無味乾燥な事実の列挙だけに終わっていないおもしろい章で、実際に著者本人が自転車で蘇州の街をめぐっているから具体性に富んでいることもあって、蘇州への一人旅に即生かせそうな内容にさえなっている。古代中国史をもう少し深いところまで知りたいと思うも足がかりがほしい人には是非おすすめしたいと思った。
現地で責任ある立場にあったというのもあろうが、SARSの事態に現地で著者が体験したことは、大変な事態ではあれど思わずブッと噴いてしまいそうになった。

 さらに、キャンペーンの文字とセットでSARS撲滅の歌までつくられた。一つは『共創奇跡(ゴンチュアンチージー)』という曲で、「万衆一心」とか「団結貢献」などといった詞が歌われている。いつも続けて流れている『天使在人間(ティエンシーザイレンジィアン)』という曲では、非典による医療従事の殉職者の写真とともに、その貢献を称える歌詞を女性歌手が歌い上げていた。
 別のチャンネルでまたまた驚いた。そこでは、『We shall overcome(勝利を我等に)』が大合唱されていた。「SARSに勝利しよう!」というわけだろうが、まさかこの中国で、三〇年前のウッドストックでジョーン・バエズがベトナム戦争の反戦歌として歌い、日本でも新宿西口広場で声を合わせた歌に出会うとは思わなかった。(p60)

やっぱりこういったことは現地にいた人しか書けないなと(笑)。
また中国人の反日感情について日本人自身が意識していない日本人の本音を穿っている章には考えさせれるものがあった。日露戦争の頃から始まる侵略の事実に関する知識の浅さは、受験に出ない問題も含めて結局のところ相手と直に触れあうことの少なさの割に相手に対するイメージだけが誇大化している原因にもなっている。それが現代史に対して軽薄で怠慢な態度として映ることが少なくないことを著者はいいたいのだろうと思った。
その点、本の最後にある蘇州で日本と中国の子供たちによる日本の能楽と昆曲を演じる交流の機会をつくりあげるために著者が一肌も二肌も脱いだ実践の記録は大いに希望が持てる章だった。蘇州に行けたら昆曲をぜひ見たくなった。

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