デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ここがどこだったか分からない…

カオサン通りから宿に帰ろうとしたときに乗ったバスが予想以上に速く、降りるべきバス停を乗り過ごしてしまったことに気づかなかった。
一直線に北に走ったので、そのまま南行きのバスに乗れば最悪でも繁華街のほうに戻れるので、16番のバスに乗って降車したいピッサヌローク通りに向かっていたら、バス路線図では曲がったりする必要も無いのにやたら交差点を曲がって走るので失いたくない方向感覚を失ってしまった。運転席では大音量のタイのロックが流されていて、運転手と料金回収係りの仲間が楽しそうに雑談しながらバスを走らせていた。
大丈夫かな、と思って心配し始めたころに「ピッサヌローク」と運転手が言うので、バスを降りた。今ならば、ネット上の地図等でロイヤル・ドゥシット・ゴルフ・クラブの傍のバス停で降りたことが分かるのだが、当時は夜だったしどこにいるのかも分からなかった。とはいえ、少なくともガイドブックに載っている「ピッサヌローク通り」には立てたから、何時間かけても通りを北西に真っ直ぐ歩いてさえ行けば宿には帰れると思って歩きだし、しばらく歩いていくと大勢の機動隊が歩道にたむろしていたので話しかけて、行きたい北西方向を確認してもらった。
ところがPrem Prachakon運河に差し掛かったら別の大人数の機動隊が橋を封鎖していてピッサヌローク通りを北西に歩けなくしてしまっていた。どうしても橋を渡りたいので機動隊員に話しかけて「~に行きたいのです」とタイ語で訴えかけても、話を理解してくれず、仕方無しに「通りたいんだ」と英語で訴えても意味が通じなかった。その間、どうなることか?と思ってはいたものの周りにいた機動隊員たちはなにやら漫才を見ているようでニコやかに笑っていたので、怖くは無かったのが救いだった。
埒が明かないと機動隊員が近くにいたトゥクトゥクの運転手に声をかけて、この旅行者を宿まで送っていけ、みたいなことを言い出した。こればかりは仕方ないのでタクシーを利用せねばならないな、と思い、地図を見せて「国立図書館」に行きたいと言ったら、その運転手、ナショナル・ライブラリーという単語が理解できなかったのか、そもそも図書館のことを知らなかったのか、とにかくそんな場所は知らないという。
そんな状態でタクシーに乗ったらどうなるか分からないので、乗らない旨を伝えたら、運転手が「トゥ・ユア・ステイング・ホテル。キャン・ユー、トゥ・フォーン(phone)・トゥ・ユア・ホテル。」と言い出した。どうやら宿に電話して宿から迎えに来てもらえ」と言いたいらしい。しかしユースホステルにそんなお願いをしようとも、そもそも「ここはどこなんだ!?どうやって居場所を伝えるんだよ(笑)」と日本語でツッコンでしまった。機動隊員たちはいつまでやってんだ?という感じではあったがタイ式のほほえみ顔で我々を見守っていた。
機動隊員とトゥクトゥクの運転手と周囲からすればどう見ても意味不明な漫才をしている間に気分が落ち着いてきて、それじゃ封鎖されているピッサヌローク通りと並行に走っている通りに歩いていけばどうにかなることに頭をめぐらせた。運転手には自分で歩いて帰るよ、と言い残し、再び16番のバスを降りた停留所に戻った。最初に北西方向を教えてくれた機動隊員たちが「またこの人戻ってきたよ(笑)」という風に私をみた。私はにこやかに彼らの前を通らせてもらい、ピッサヌローク通りを右折してクルン・カセーム運河およびクルンカセーム通りに向かった。
クルンカセーム通りに差し掛かると遠目に昨日の昼間何度か目にした53番バスが停まっているのが見えた。しめた!これで確実に宿近くのサームセン通りまで行けると思い、乗車した。始発駅で発車時間の調整のために停まっていたらしいが、運転手と料金回収係りが延々とお喋りに興じていてバス賃を集めることなく発車した。降りたいサームセン通りに行きますか?と訊ねたら行くとのことだった。停留所が近づいてくると、ここだよ、と教えてくれた。ありがたかった。あとは宿に歩いて帰った。
カオサン通りから宿まで本来なら15分くらいで済むところ、迷子になったせいで1時間半ぐらい経過していた。しかし、じっさいに迷子になってみると途方も無く長い時間を歩き、延々と意味不明な漫才をかましていたような気持ちであった。早朝に出発を見送ってくれた宿の受付の担当の娘がにこやかに、ここでは何も起こってません平常通りですよ、といわんばかりに迎えてくれた。宿のパソコンでこの「冒険」について簡単なメールを書こうとすると日本語入力には未対応だったので、すまなそうな表情をつくった担当の娘だったが、マイ・ペン・ライ(気にしない)と返事して、簡単な英語でエキサイティングな体験をしたことを興奮を抑えつつメールにして送った。

土地勘の無い外国でそれも夜に迷子になるというのは、やっぱりおっかないことだし避けたいところだ。もちろん、乗り過ごしたのは自分のドジ以外のなにものでもない。しかし、本来ならリカバリーをたやすく効かせることのできる程度のミスだった。それが予想外に遠回りになってしまったのは、バンコク市内でタックシン元首相の帰国の件でデモ隊の活動が活発になっていたことで、夜は王族や政府機関の建物周囲を警備するために機動隊が通りをいくつか封鎖したことで、バスもルート変更せざるを得なかったことに原因がある(と、あとで分かった)。引き返すために乗ったバスが宿の近くを通らずに交差点で曲がってあさっての方向に走ったのはそのためだったのだ。
大変な思いをしたことは確かだが、でもどこかこれも「マイ・ペン・ライ」精神というか、当時の日記をみれば案外たのしい体験であったがごとく書いてある(笑)。


メールを送った後、シャワーを浴びてからコンビニに
行きビールを二缶買って飲んだらより美味く感じた(笑)


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