デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



J・ケルアック『オン・ザ・ロード』(河出文庫)読了。
作品は、日本の古典や俳句が外国ではなかなかその情感まで伝わりづらいのと同様、英語の語感を理解できないと作品のおもしろさが感じとれないのではないかと思った。また普段からときどきでもジャズやマンボを聴いていないとあのはじけるような感じもピンとこないかもしれない。翻訳もかなり意訳しようとしているが、そうとう手こずった感があるのは読んでいて分かった。
ただ、いかにもアメリカらしい映画のジャンルにロードムービーがあるけれども、『オン・ザ・ロード』はロードムービーの源流というかそういった作品であるようには思う。
人間は所違えば文化も人もまた違う。一国一城の主にたることが幸せの絶対的価値観であるような物言いを何の疑いもなく大前提として豪語する人もいるが、移住や移動することや途上にある状態であっても人は生きていけるし、逆にそういった生き方の方が気楽で安らぐという価値観も存在するのである。
特にアメリカという国は開拓の時代から人の移動が当たり前で、それがアメリカの文化を成り立たせている側面がある。とくに個人が車をもつようになってからは移動の文化に拍車がかかったろうし、現代でも例え旅をしている状態であっても自分たちで稼げる技量さえあるならばキャンピングカーでアメリカ全土を旅してまわって、訪問した土地で子どもを実地で勉強させたり、そこで働いて土地を知りその後の人生に生かしたり、生まれ故郷とは違う町に長く住むのはざらである。
そういった人の移動は西部開拓に始まるのかもとか作品を読んで思ったが、よくよく考えてみると「旧約聖書」のヤコブだって遊牧民という職業柄ではあったが定住に反感を持っていたようなところがあるから、案外ひとつのところに腰を据えてという考え方に負けず劣らず、行商や遊牧の生き方や旅への抑え難い力はDNAに刻み込まれているのかもしれない。
それに作品がカウンターカルチャーの聖書とまで言われているのも、少しだが分かるような気がした。これからもボブ・ディランの歌は絶える事はないだろうし、聴き手がいる以上、やはりケルアックの残したものはアメリカ文化に根を張っていたものをアメリカ国民に喚起させる作用があると言っていいように思う。

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