Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

世界を見極める知識経験

2008-07-30 | 文学・思想
来シーズンの会員証が送られてきた。そんな予測をしながら、先日から少しづつ、アルフレード・ブレンデルのフランクフルト最終公演のプログラムなどをみて、手元にあるLPを幾つか鳴らしてみている。

取り分けシューベルトの遺作の変ロ長調ソナタは、今後これほど聞くことはないかもしれないと感じている。このピアニストがフィリップスで録音を始めて、その書籍などが日本語に翻訳されて紹介された1970年代に訪日して、この曲をとりにしてリサイタルを開いた覚えがある。

そのときの印象が今でも強く残っているのは、ここ十年間にフランクフルトでシューベルトのソナタが取り上げられても、当時のような軸になるような演奏は繰り返されていないからである。

そう思いながら当時制作のアナログ録音を聞いて、春に日本から送ったブレンデル著「楽想のひととき」に久しぶりに目を通していると、このピアニストが使命感を持って演奏していたのと現在では異なる理由が、その演奏実践からもよく聞きとれるのである。

フィリップスへの二度目の録音となるデジタルのシリーズものは、そららの録音と平行して殆ど生で聞いているので、あまり所持していなかったが、安売りされている自薦のシリーズなどを中心に幾つか購入した。今回も新たに棚卸のように安売りで販売されていたのでベートーヴェンとモーツァルトを五枚ほど注文したら本日届いた。

CDのクレジットをみて驚いたのは、フランクフルトのライヴ録音が二曲交じっていたことで、手元のプログラムを調べると珍しく丸印が付けられているベートーヴェンの作品10三部作ではないか。安物のライヴ録音は態々金を出して購入する気は毛頭ないのだが、あの演奏となれば少し話は違う。

それを鳴らす前に色々と思い出さなければいけないが、実は別に制作録音されている作品10第三番に二重丸がついているのである。このあたりから、上方落語の故桂枝雀の謂わんとする「緊張と緩和」ではないが、疾風怒濤の様式を借りたユーモア溢れる表現へとこのピアニストの晩年の芸風が前面に押し出されて来ている。

ベートーヴェンからハイドンへとまたハイドンからモーツァルトへとそしてベートーヴェンへとヴィーン古典派の創作の演奏行為と催し物自体が、こうして現代社会において新たな意味合いを獲得したと言っては大げさだろうか。それが記録されているのである。

上の著書を読んでいて、レーベル「ターナアバウト」に録音した最初のシリーズの話などで、「録音技術の限界のために十分にペダルなどを使って十分な弱音を弾けなかった」とあり、ある中欧の小国を代表する作曲家兼大校長先生が、自作の録音に際して同じような氏の知識と経験から「強めに演奏してくれ」と指示出ししたのを思い出した。

それに対して、デジタル技術で育った録音スタッフは、「今はそんな事はないから要らぬことを言わないでくれ」と叱ったのだったが、嘗てのSN比の優れないアナログ録音時代には常識になっていたノウハウだったのだろう。

それを考慮して、最後の制作録音シリーズとその前のアナログ録音のものなどとの差異が分かるばかりではなく、ネットで見つけたヨアヒム・カイザーとアルフレッド・ブレンデルの対談におけるジャズ畠の同業者故フリードリッヒ・グルダ批判などが鮮烈に響く。

アナログ録音のシューベルトシリーズも今後とも価値は薄れまいが、発売時から評価の定まらなかったベートーヴェンのハンマークラフィーアゾナータなども聞き直すととても面白い。

因みにグルダ演奏の古いLPで作品30を持っているのだが、そのように評価してしまえば無残に元も子もなくなって仕舞い、結局今回注文のCDの中に同曲が含まれることとなった。グルダのリサイタルは一度しか体験したことがないように思うが、舞台でズボンもパンツも脱がなかったように覚えている。今年は、謎の自作カセットテープなども商品化されて世界中で評判となったが、どうしてもその市場について目を向けさせる事象である。


PS.そのグルダと共演したことがある、去る日曜に死去した指揮者ホルスト・シュタインは、カール・ベームに代わってシュトラウスの「アリアドネ」を振って、遥かに繊細な音楽をヴィーナーフィルハーモニカーと舞台諸共奏でた。巨匠ベームが指揮した「フィガロの結婚」とは違ってその優れたアンサンブルは、今後ともなかなか聞けないレベルであった。どうもそれが最初で最後の生で接する機会であったようだ。「最後のカペルマイスター」などと死亡記事には書かれているが、カイルベルトやヴァントの薫陶を受けて、特に前者のようにスター指揮者と変わらぬもしくは以上の高い実力を身につけていたことは間違いない。



参照:
勲章撫で回す自慰行為 [ BLOG研究 ] / 2008-07-26
それは、なぜ難しい? [ 音 ] / 2007-11-10 01
音楽教師の熱狂と分析 [ 文学・思想 ] / 2007-10-12
モスクを模した諧謔 [ 音 ] / 2007-10-02
大芸術の父とその末裔 [ 音 ] / 2006-11-24
噴水の鴨に弄ばれる [ 文化一般 ] / 2006-03-26
本当に一番大切なもの? [ 文学・思想 ] / 2006-02-04
即物的な解釈の表現 [ 文化一般 ] / 2006-03-23
映画監督アーノルド・ファンク [ 文化一般 ] / 2004-11-23
桂枝雀とポリフォニー (社会学稼業、家族渡世
吉田秀和 季刊『音楽展望』 ブレンデルの引退 (日々雑録 または 魔法の竪琴)

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