Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

マイスターのための葬送行進曲

2005-04-15 | 
ドイツの食生活において、最も素晴らしいものは小さなパン、ブロットヘェンである。わが町のパン屋の親父が亡くなってからどれぐらいが経つだろうか。脳腫瘍を患って、日々の焼き方にバラツキが出て来たのに気がついてから、一年位であったろうか。死の三ヶ月程前にも、店にしばしば顔を出していた。当時は既に奥さんが見よう見まねで焼き続けていた。その少し前には、パン焼き機の吹き付けをするノズルが詰まったとかで部品の交換をしなければならないと奥さんが嘆いていた。

様々な種類のパンやケーキ類を自分で焼いて少量販売していたのだが、そのブロットヘェンは心持塩気が効いていたものの、今後とも出会えないだろう質の高さであった。香ばしさやそのこんがりと焼けた外皮のカリカリ感や皮の中の絶妙な生地感は、殆んど本質的な体験であった。それが、その時々の気圧や温度や湿気によって微妙に変わるのである。だから毎朝五時半には開く店に、六時前に取りに行こうが十時前に残りを分け与えてもらおうが、飽きる事はなかった。パン屋の休暇中を除いて毎朝取りに行った年月は、後となってはあまりにも短すぎた。

何気無しにベットの中で聞いた、あの晩春の日の葬送のトロンボーン吹奏の音が耳に残る。教会前の家並みに囲まれた、朝の清々しさの残る青い空の下の小さな広場に、その音が厳かに響いた。この教会でその後にも前にもこのような葬送行進曲が奏された記憶はないので、特別な意味合いがあった事が計り知れる。

グスタフ・マーラーの九番目の番号無しの交響曲「大地の歌」には七種類の漢詩が使われてセンチメンタリズムと異国趣味に満ち溢れているが、なかなかどうしてそれだけでは終わらない。例えば終楽章の第一部の終わりへと係り、作曲家自身が書き直して付け加えたという、“O Schönheit, o ewigen Liebens, Lebens trunk'ne Welt!“ の永遠の生命満ち溢れる美を嘆美する感極まった節なども、その後に続く第二部への歩みを確りと決定つけている。そこまでの漢詩は以下の様で、ハンス・ベトゲ(1876-1946)の独訳も「銀の船のように蒼い天空の月」と出てきたりするので、やはりユーゲント・シュティルなのだろうが、冒頭の銅鑼の深い響きも含めて、少なくとも否定的な上の二つの要素から逃れている。そして“Ich sehne mich, o Freund, an deiner Seite“と黄泉の国の友を待ち焦がれる節から急に劇的な展開になって上記の節へと続いていく。


「宿業師山房待丁公不至」


孤之煙樵風松群夕    
琴子鳥人泉月壑陽          
候期栖歸滿生倏度  孟      
蘿宿初欲清夜已西  浩     
徑來定盡聽涼瞑嶺  然           



そして、二部へと歩みを進めていくのだが、この曲に触発されて、マーラーの後継者でもあるアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー(1871-1942)が自己の「叙情交響曲」を1922年に完成している。ここでは、ノーベル文学賞受賞者のインドのラビンドラナース・タゴール(1861-1941)の詩を土台に、モットーとしても使った先輩作曲家の「リュッケルトの詩による歌曲集」の音楽的素材を織り交ぜる。そしてそのモットー楽想を回帰させて、開かれた自作品の世界のと同時にその基となった世界の「記憶」を表示する。グスタフ・マーラー(1860-1911)とジクムント・フロイト(1856-1939)の接触は有名であるが、ツェムリンスキーにおいても記憶の喚起が形式として図られている。叙情交響曲がアルバン・ベルク(1885-1935)によって叙情組曲として引き継がれている事も周知だが、妹婿で弟子のアーノルド・シェーンベルク(1874-1951)等の「ミーム継承作品」がグスタフ・マーラ-の「夢の世界」を記憶として喚起する。

ベッカー・マイスターの棺を墓地へと惜別する葬送行進曲の音の記憶から、いつしか「大地の歌」終楽章の束の間の夢の話になってしまった。
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ある高み (ohta)
2005-04-15 17:33:15
普段あたりまえの,空気のごとき普通のものであると思っていた,それが,無くなってみると,「どれだけの高みに達していたのかを最近ようやく思い知った.どこにでもあり,永遠に続くと思っていたのは若年の幻想であった.」ということがしばしばです.



Zemlinsky は弦楽四重奏曲くらいしか聴いていませんので,ご指摘の「リュッケルトの詩による歌曲集」との関係にまで進めてみようと思います.
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告別 (Musikant/komponist)
2005-04-15 22:00:34
これを読みながら、「大地の歌」の終楽章の、c-mollの、あの長い間奏が(「葬送行進曲」としか呼ぶほか無いような)ずっと頭の中で鳴っていました。例にあげられた、「第二部」への移りゆきの部分です。マーラーの書いた中でも最も悲痛な響きの音楽ですが、ここにオスティナートととして使われているのは、曲の最後を閉じる、あの夢見るような(あるいは「夢そのもの」であるかのような)音楽を為すモティーフと同じ素材です。規則的なハ短調の葬送の歩みも、拍節感が取り払われ、浮遊感に満ちたハ長調(但し六度の響きを伴う)に代わり、やがて終わるとも途切れるともつかぬ、文字通り「ewig-永遠に」続く音楽として消えてゆきます。しかし、それも絶望の響きと隣り合わせであり、同じものの表と裏に過ぎないのかも知れない。

しかしこれが、冒頭楽章の、あの「酒の歌」の歌いだしとも同じ素材であるとは、なんという音楽の不思議でしょう!(余談ですが「大地の歌」には酒をうたう歌が3つも=「告別」にも出てきます=あるのに、ウイスキーのCMに使われたのは全然関係ない第3楽章でした。)

これは「大地の歌」が交響曲に他ならぬことの証明でもありますが、全く「別のもの」のように思われるものが、同じ出自を持つこと、酒も絶望も死も、夢も、同じ根を持つこと。これを示すことができるのが、マーラーのこの曲での凄さであるように思われます。

ともあれ今宵は、かつて酒など飲めないころからさんざん聴いた録音を取り出し、(レコードからCDに変わりはしましたが)ヴンダーリッヒの歌う第1楽章を聴きながら、私が永遠に食する機会を失った夢のベッカライを想いつつ、杯を傾けることといたします。



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無意識への糸口、事象の表裏 (pfaelzerwein)
2005-04-16 02:08:45
ohtaさん、フォン・ツェムリンスキー関係で、彼は指揮者としてプラハにおいて1910年から1920代に第八交響曲の初演をしている事も興味ある情報だと思いますの付け加えておきます。「大地の歌」では、歌曲までの間に、交響曲間での素材の交差が先にあって、一概に断定的なことはいえませんが、謎解き満載です。無意識層の創作の話題も糸口が見えてきそうです。下に記したようにどちらが表か裏か分からないというのが面白いですね。



私も彼の四重奏をもう少し注目してみたいと思っています。







Musikant/komponistさん、成る程と思いました。極小のモティーフが齎す形式の意味付けやシンメトリー構造の説明だけでは満足出来ないのですが、マクロの構成感の説明として溜飲が下がりました。実際にオスティナートだけでなくて、次の9番当たりに行くと主か副旋律かどうか曖昧なモティーフが漂い出しますね。それらが表裏一体となって浮遊しているという感じは、まさしく夢の構造であったり、連続、非連続の概念そのものですね。



音としての自由な浮遊は考えても、意味の表裏という見解は目から鱗です。ヴェーベルンなどの理解も深まりそうです。恐らく相対的という事なのでしょう。



勿論、短二度の意味等の記事「音楽の言語性とは」の続きの更新を楽しみにしております。

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