Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ヘアースタイルフェティシズム

2017-01-13 | 
久しぶりに我がユリアの顔を見た。髪型が少し変わっていてもしやと思ったが、後ろのポニーテールは変わっていなかった。益々私好みのザクセン風美人になってきている。髪型の感じで十年後二十年後の感じが分かるようになってきた。母親の感じもなんとなく分かった。思っていたよりも更に堅実な感じでいいのだが、それ故に余計に色香が出てきたように感じる。今まで口説こうとしていた女性の中でも例外的だ。

その色香というものがなになのか?考えるに社会的な何かが関係するようである。未亡人とか、人妻とか、コスプレ―かC級ポルノのなんとかシリーズではないが、制服物などもあるように前半の直接性的な社会条件とは異なる何かがセクシャリティーに関係するというものである。所謂フェティシズムというのに突き当たる。これの社会学的な考察は充分には知らないが、マルクスの物質へのそれとリヒャルト・クラフト・エビンクの性のサイコロジーから説いているのが、ハルトムート・ベーメ著「フェティシズムと文化」の内容らしい。当然のことながら、アドルノ・ホルクハイマーの「啓蒙の弁証法」、そしてフーコォーの「性の科学」抜きには、ドイツ語圏ではこの二十年程前に始まったこの領域は語れないとなる。

実は髪型に興味を持ったのは何回かあって、ポニーテールとかであると若い女性もこちらの受ける印象も判断しやすいものであり、つまり社会的な定義も分かりやすいのだが、今回の印象に匹敵するのは嘗て一度しかなかった。その受ける心理的な意味合いが不可解だったのだ。髪型で有名なドイツ女性はおかっぱで現れたメルケル首相であろうか。ヘルムート・コールの傍にいて、最終的に育ての親を切ることで首相候補へと躍進したのである。もしあの髪型がおかっぱもしくはページとそのままお小姓的な印象を齎すものでなければかなり政治的に不安定な立場に追い込まれたのではなかろうか?例えば現在のSPDの女弁護士トライヤー州知事のような雰囲気では嫌われただろうと思われる。勿論対抗馬であったCDUクロックナー女史のようなヘアースタイルでも恐ろしがられたであろう。

どうもフェティシズムは人間の認知力に関係すると解釈可能だ。つまり、物質の価値も文化的価値もそれどころか人間的な価値も何か対象物を丁度プログラミングでイコールで定義するするときのように扱わないと認知できないということであろう。その定義付けが社会的文化的背景から抽出されるということに他ならないようである。

つまり私がお櫛を弄った彼女に改めて魅せられたのは、今まで以上に彼女が認知可能になったということのようである。それならば以前はどうだったのか?要するに客体として充分に認識できていなかったことになる。この時期どうも面接などがあるようで、チョッカイ掛ける年代の娘さんたちが社会人化してくるということもあるらしい。(続く)



参照:
碧眼に気づくとき 2016-09-28 | 女
jk, ポストメルケルの中庸 2016-03-03 | 女
『美容』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 腰痛日誌六日目、圧迫感 | トップ | ピエール・ブーレーズの家構想 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。