Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ヒロシマの生き残り

2005-08-06 | 
ソフィア大学の教育学教授ルーメル教授は、唯一人健在なドイツ人の広島被爆生存者と言う。当時広島郊外の長束にあったイエズス会の修道所にいて人類最初の原子爆弾に遭遇する。誰が語ろうがその惨状は変わらない。しかし宣教師として救助活動に当たるなどの積極的な行動やその立場が十分伺われる。特にベルリン陥落の1945年5月8日以降は、憲兵隊によって一箇所に収監されるところを逃れるなどの状況を初めて知る。

投下後、修道所の近くの朝鮮人バラックでは80人中20人しか町の道路工事現場から帰還しなかった事、また街中の教会の道の住民の70%が死亡、爆心地により近い次の道で90%が死亡、プロテスタントの女学校600人は工場で働いていて30%から40%の死亡だけに免れ、女学校の300人は校庭にいて殆んどが死亡などと、単純な足し算で無い集計に余計に其々の事情が浮き彫りになる。

8月8日には一大火葬場となった市内には誰一人として入れなかったと言う。死体の焼却には一万人の兵員が動員された。葬儀場も足りない郊外の村では大人の死体に5束の藁と15本のマッチが渡され、子供の死体にはそれぞれ3束と9本が宛がわれ、其れでは足りないので燃料も配られた。

神父は直後に小さな村の村長を訪れ、同じキリスト教国米国の暴挙を詫びた。すると村長は「其れを持っていたら同じ事をしたでしょう。」と答えた。

日本帝国陸軍からの要請で、キール港から処女航海のユーボートで運ばれたウランは、ベルリン陥落を以ってシンガポール沖で降伏したドイツ海軍クルーと共にサンフランシスコに運ばれた。そこでこれは、アインシュタインなどが推奨したマンハッタン計画に使われ、ドイツには落とされずに広島に落とされたという。その事があってかどうかは分からないが、広島・長崎の投下直後に敗戦のドイツの町で、大人に交じって抗議デモ行進をしたというペンキ職人を知っている。

何れにせよポツダム宣言の前後には、在イタリア日本帝国在外公館筋を通して核爆弾使用による外交的圧力は掛かっていたという事から、未曾有の両惨事は政治判断で避けられたのは明らからしい。その一方、全面戦争ではこうした壊滅的な終結を何時も覚悟しなければいけないと、この教訓は語る。広島をアウシュヴィッツと相似と捕らえるのは、その観点からは正しい。

ネットサーチすると、米国大統領の広島・長崎訪問への希求を幾つか見つけた。そこへ至る論調は、原爆投下は公式釈明のような早期の戦争終結ではなくて対ソヴィエト戦略であったのは自明として、それどころか現在も正常な歴史認識さえ出来ない米国の御家事情が分析されていた。米国社会は、パールハーバーやグランド・ゼロのルサンチマンでしか世論を統一出来ないのだろうか。

通常は文化産業を批判する一節として引用される、社会学者アドルノの言葉がそこにも添えられていた。

「認識が生む苦しみの認識を禁ずる事も統治機構の一つである。」、更に続けて「真っ直ぐと伸びる道は、人生の喜びの福音から、 遥 か 遠 く のポーランドの収容所の人間屠殺場へと続く。こうして、絶叫などは聞いていないと自国の一人一人のアーリア人に思い込ませる事が出来る。」(Theodor W. Adorno: „MINIMA MORALIA“ 1951)

最後に、ノーベル文学賞のエリアス・カネッティの一節、「破壊の為に、炎ほど有効な手段は他に無い。…取り返しつかなく全てを焼き尽くす。元から何も無かったかのように、何も残らない。その火を放つ群集は、無敵である。…完璧な破壊の後、その炎は群集のように消え去るに違いない。」を記す。



参照:
市長ズミット博士の港から [ 歴史・時事 ] / 2004-12-07
素裸が雄弁に語らないもの [ 文化一般 ] / 2005-04-21
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20 コメント

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あれから60年 (ロードスター)
2005-08-06 07:50:09
あと30分後に、式典が始まります。

その時、そこにいなかった私には、その時の様を、どんなにしても想像することが出来ません。これから、決してあってはならないことです。
これは実験だった? (はっちー&ハリー)
2005-08-06 14:38:08
凄い人体実験だ・・戦争を終わらせる為の原爆投下・・瀕死の人間に煮え湯をぶっ掛けてる様なものだ・・。



この原爆の脅威によって以後、大戦は勃発していないけれど・・



メッセージを発信?、人体実験協力料 (pfaelzerwein)
2005-08-06 19:43:29
ロードスターさん、半世紀以上たって風化して来ているのではないかと聞きます。新たなメッセージを発信していけるのでしょうか。







はっちー&ハリーさん、これは非常に慎重にならざる得ないのですが、軍事産業とか技術が存在する限り、冷静に効果を計るのは当然と言うか重要な事でしょう。今でも繰り返されているので、寧ろ今後は証明を容易くして民事で人体実験協力料を請求していく他無いのではないでしょうか。そもそも鼠一匹の医学実験でも、その実験もしくは論文の価値が厳しく問われるわけですから、軍事技術開発は尚の事厳しくしていかなければいけません。ナチにせよ、中国での細菌連隊の悪行にせよ、実質価値が有ったのか、無かったのかが問われる事無く過ぎてしまいます。特に前者のチクロンBや脳の実験の資料は、空爆が慎重に避けられたフランクフルトヘキストの資料が米軍に渡ったことが想像され、こうした民事的な追求は戦利を許さないことにも繋がるのかもしれません。しかしその学術的価値を過大評価すべきでもないでしょう。疑問に感じています。

体験の継承 (弥一)
2005-08-07 11:33:55
昨日は仕事なのでラジオで広島への原爆投下の話を聞いていました。今、危機にあるものの一つは被爆体験の継承。戦後(原爆投下後)60年、いよいよ厳しい状況。日本の政治が(日本に限らないけど)右傾化しているのも、戦争体験の経験者が減り、安直に<毅然たる>姿勢が大事と主張する勢力がのさばりやすい環境にあることも一因と思っています。

とはいいながら、小生も戦争体験など皆無。戦災の荒廃の雰囲気を市内の方々で見たことがあるだけ。

6日は仕事なので5日の深夜、原爆に絡む掌編を今年も書いてみました。身も蓋もない作品になる。テレビでもやっていた野坂昭如の「火垂るの墓」を見てみたかったな。小説は読んだけど。
文化の形骸化と軽視 (pfaelzerwein)
2005-08-07 15:54:21
風化は避けようが無いとして、また時間的距離を置く事で、見通しが良くなるのか、そしてそれからと言うところが重要と思います。



少なくとも下のリンクで見つけたような対処は、由々しき問題と思われます。



http://blog.goo.ne.jp/chiketa_net/e/63e1446143191d28301d3bb4a2fa2980



如何も世界的右傾化とか言う単純なものでなくて、文化の形骸化とか軽視とかをここにも認める事が出来ます。この問題は、ここでも今後とも繰り返し扱って行きます。
お邪魔いたします (たる)
2005-08-07 19:39:56
一杯関心させて頂くところがあって…お邪魔いたします。



広島の朝鮮人の慰霊碑でも、

「記念公園の敷地内に慰霊碑さえ入れない」といった問題が起きていと、

聞いたことがあります。

数万人単位で朝鮮人は被爆された(韓国だけでも1万5千人以上)わけで…

原爆の図の13部「からす」でも、言及されていたり…。

http://www.aya.or.jp/~marukimsn/top/genindex.htm(原爆の図)

小説家・詩人であられた原民喜さんは、朝鮮戦争のときに、

再び原爆が遣われるかもしれないという恐怖を抱いて、鉄道自殺をされたそうですね。



マンハッタン計画でのウランの研究に、

日本陸軍が要請したウランが使われたということでしょうか…。

何を言えばいいのか。



「ポツダム宣言の前後には、在イタリア日本帝国在外公館筋を通して核爆弾使用による外交的圧力は掛かっていた」

うーむ…。

日本の科学者における原爆開発の研究は、

仁科賞の由来の仁科氏などが中核になって行われていたようです。

ただ開発研究そのもの自体、陸軍と海軍が縦割りで、まったく別々に行っていた様だけれど。



日本の動きは…「ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ」の井上ひさしさんの発言を参考にさせて頂くと…

昭和20年初めから通称宮廷グループと称される方々が、和平交渉へ動いていた。

(これは実際に確かに外交官レベルで相当な頻度で行われていました。)

国体護持の意思は、ソ連を通じて連合国には伝わっていた。



でも、ポツダム宣言には国体護持は一言も書かれていない。

どうもトルーマンとチャーチルがそうさせたらしい。

(理由は、もう歴史を見れば…。)

スターリンも、日本が黙殺すれば「参戦」することができ、分け前に預かれるので賛成した。

(アメリカ軍が進駐してくる一方、北方領土へソ連軍がやって来るのは9月過ぎてからも続いていました)



そして、日本側は国体護持にこだわり、黙殺した。

そうして原爆投下の口実が出来てしまった。

そして数多の人が犠牲になった。

「戦争が終わるのがあと10日早ければ…!」

そのような声が出てきたり…。



井上ひさし氏は大体このようなことを仰られていました。

テキストそのものにのめりこみ過ぎるのは、あまり良いことではないですが、

正直僕も大体この通りであろうと想像いたします。



校庭などで荼毘に付されたり、広島では似島の救護所など。長崎にも救護所はあったり。

似島ではつい先日も遺体が出てきたそうで…



それにしても、

「。…完璧な破壊の後、その炎は群集のように消え去るに違いない。」」

一体何が残るのでしょう。



「その一方、全面戦争ではこうした壊滅的な終結を何時も覚悟しなければいけないと、この教訓は語る。」



チャーチルは1920年代の著書、「危機の世紀」でこう述べています。



「戦争からきらめきと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。

アレキサンダーやシーザーやナポレオンが兵士たちと危険を分かち合いながら、馬で戦場を駆けめぐる、帝国の運命を決する、そんなことはもう無くなった。

これからの英雄は安全で静かで物憂い事務室にて、書記官たちに取り囲まれて座る。

一方何千という兵士たちが電話一本で、機械の力によって殺され、息の根を止められる。

これから先に起こる戦争は女性や子供や一般市民全体を殺すことになるだろう。

やがてそれぞれの国には、大規模で限界のない、一度発動されたら制御不可能となるような、破壊のためのシステムを生み出すことになる。

人類は初めて自分たちを全滅させることができる道具を手に入れた。

これこそが、人類の栄光と苦労のすべてが最後に到達した運命である」

(NHKスペシャルの映像の世紀第2集の最後でこの言葉が流れた)



そこまで分かっていながら、こういうことを言う。

(映画「チョムスキー9・11」より)



「昔の最強国イギリスも 第一次大戦の頃には

力にかげりが出ていたので

生まれたての空軍を 市民攻撃に使ってー

“未開人”鎮圧コストを 削減しようと考えた

植民地相のチャーチルは それでも不満でした

彼は回路の空軍から 許可を求められました

“反抗的なアラブ人に 毒ガスを使用したい”

クルド人とアフガン人の ことです

人種差別主義者には みんな“アラブ人”だ

当時 毒ガスは もっとも残虐な兵器と

考えられていました

この文書は 大英帝国の各地に回覧され

インドの植民地政府は 大反対しました

そんなことをしたらインドに暴動が起きー

大変なことになるからです

チャーチルは激怒し

“未開人にガスを使って 何が悪い”と言った

イギリス人の命を救うためには

いかなる手段も許されるのだと」



長文になってしまいました。ごめんなさい。

それでは、失礼いたします。
訂正を…申し訳ありません (たる)
2005-08-07 19:46:46
チャーチルの所の、

「危機の世紀」→「世界の危機」

「回路」→「カイロ」



に訂正させてください。何度も申し訳ありません。
其々のイメージ (pfaelzerwein)
2005-08-08 05:20:08
マンハッタン計画のなかで広島とこのウランとの関係は定かでないようです。プラトニウム型が長崎や実験で使われており、米国でウランが不足していたからとの見解もあります。極秘の内に行われている事が理由のようです。確かこれを扱ったABC,NHK,ZDFの共同制作の番組でもオッペンハイマー博士がサンフランシスコ港での厳戒の環の中に映っていたと記憶が有るのですが。何れにせよ回収されてその後利用されているのは確かなようです。広島と断定しているものもあります。



核開発の流れ:(中国新聞)

http://www.chugoku-np.co.jp/abom/97abom/peace/04/aramo.htm



潜水艦U-234はクップのキール造船所出航でノルウエー経由(重水素搬入)ですから上の記載を訂正します。積み地もキールだった筈です。これは、キュウーリー婦人?で有名なボヘミアのヨアヒムタール産ともあります。



U-234:

http://www.lonlygunmen.de/ufo/weapons/u234/japan.html



捕獲:

http://www.uboatarchive.net/U-234PhotoSutton.htm



ウランの日本への輸送:

http://www.ww2pacific.com/u-234.html



在ローマ外交筋からの外交文書は、一去年ぐらいに東北大?の教授によって確認・発表された筈です。これに関しては、国体と多数の国民を天秤にかけたと一般的に言われているのですね。しかし、明治憲法下では当然の帰結だったのではないでしょうか。



様々な情報を記憶だけで引っ付けていますが、何処までが周知の事か分かりませんし、人によっては同じ情報でも受け止め方も違い、ここでも其々が違う事を考えて当然かもしれませんので、各々が其々のイメージを持てば良いと思います。



肝心な事は、一時的な思いよりも、イメージを描けるような知恵と言うか、知覚と言うか、認識と言うかを持ち続ける事が求められている様に思います。
コメントありがとうございます (マキト)
2005-08-10 00:09:28
こちらこそご無沙汰しております。



チューリンゲンの核汚染は、初めて知りました。日本ではほとんど耳にしない情報です。



おそらく、一般にはほとんど知られていない放射能汚染が、まだまだ隠されているのでしょう。
チューリンゲンの核汚染 (ohta)
2005-08-10 10:46:57
チューリンゲンの核汚染というのは Arnstadt/Crawinkel/Ohrdruf 地域のことでしょうか.その地域のことが出ていた本を読んだあと,自分の想いを書き留めておいた

http://www.mech.nitech.ac.jp/~ohta/Books_2.html

のようなことに該当しているのですか.
親衛隊の管轄、MDRのサイト (pfaelzerwein)
2005-08-10 14:03:56
マキトさん、この場を借りて覚書のために。この地下要塞はブッフヴァルトの親衛隊の管轄で、恐らくこのような秘密裡の特別任務には当然の組織割だったようです。皮肉な見方をすれば、研究に従事していたのは親衛隊の条件である北方アーリア人だけではありえなかったと言えます。







ohtaさん、同じものです。記憶を辿ればこのニュースが取上げられたのは、三年ほど前でした。MDRのサイトに参考書類などが良く纏められていますので、是非ご覧下さい。全部は確かめていませんが、参考リンク集も生きていて充実しています。



http://www.mdr.de/doku/425777.html



ロケット開発との関連も興味あります。また水車タービンを調べますと、戦争末期の有名なメッサーシュミットのME328だけでなくTsu-11も見つけました。ああいう破局的な時期になってからの研究者・技術者の仕事振りというのも色々と考えさせられます。

Firma Topf & Söhne (pfaelzerwein)
2005-08-10 16:39:40
ohtaさん!



以下のタイトルで8月9日付けFAZのFeuilleton最終面にFirma Topf & Söhneの記事が出ていました。



Der Gleichmut der Ofenbauer - Mit größerer Brennkapazität: Die Erfirter Firma Topf & Söhne lieferte die Öfen für Auschwitz/ Von Iris Hanika



なるほど (carememore)
2005-08-11 09:38:55
長束の修道院ですか・・・

神父さんたちが救助活動にあたったという話は

聞いたことがありましたが

ドイツで健在な方がいるんですね。

ちょっとびっくりです。



広島と長崎に原爆が落とされたという事実は

多くの人が認識しているにもかかわらず

被害の実態とかそういうものは

世界の人たちにどのくらい

認知されているのでしょう・・・

まあ日本人でも怪しそうですが。



どうしても風化はしていくのでしょうが

ヒロシマ・ナガサキは何年経とうが

核兵器がなくなるまで

世界に訴え続けなければいけないと

思ったりもするわけで・・・



本当は日本国として世界に訴えて

いくべきなんでしょうが

高校野球での黙祷の話にしても

国内だけでもかなりの温度差が

あるのがわかりますし

日本人でも広島と長崎の人以外では

意識はかなり低いような感じがします。
幸い無関心から免れる (pfaelzerwein)
2005-08-11 15:30:31
carememoreさん、コメント有り難う御座います。ロンドン以外の英国に住むのは私の希望でもありましたが、駐在で住むとまた大分違うでしょうね。また書込みさせて頂きます。



上の神父さんは、被爆以後も日本のようで、今もソォフィア大学ですから、私などの何倍も長く日本に居座り続けていらっしゃいます。



温度差も確かにあって、私も広島訪問をする機会が無かったなら違っていたでしょう。その後も全く健康ながら何処かで引きずっている被爆二世を見たりで、幸い無関心から免れています。



少なくとも安芸の宮島もあることですから、日本を訪れる旅行者には必ずや広島訪問を勧めます。これは、またナチの強制収容所訪問を勧める事が殆んど無いのとは大きな相違です。この理由は改めて纏めてみなければいけません。



BBCのサイトなどにも引用されていた「一度訪問したものは皆、反核を唱える」との広島の見解の通り、今後もメッカとしての意義を持ち続けるでしょう。過去を辿ると、占領下の時勢から、反核団体分裂などイデオロギーにもまみれながら、継続した一貫した姿勢には頭の下がる思いです。長崎は訪れた事がありませんが、TV録画して保持している黒澤作品「ラプソディー」なども風化や温度差の点からも非常に評価出来ます。

ソフィアって上智でしたか・・・ (carememore)
2005-08-12 07:35:03
ソフィア大学ってのがドイツに

あるのかと思っちゃってました(^^;



そういえば高校のとき平和公園を訪れた外国人を英語で案内するというシュミレーションの英作文の宿題がありました。

学徒動員だのそういう単語はどう訳していいのかわからなかったりで、結局原爆資料館へ行ったり公園内をうろうろして説明文に書いてある英語の文章を見て宿題をこなした記憶があります。

広島で育つと小学校からそういう教育があったりで原爆というのは非常に身近な話題でした。

8月6日8時15分に黙祷をするというのも習慣で子供の頃は日本中が黙祷してるもんだと思っていたものですが、実際はそうじゃなかったんですよね。



最近は修学旅行で広島を訪れる学校も激減しているようですし、国内でももう広島・長崎については関心低くなっているのが実情でしょう。



アメリカの大統領に原爆資料館を見てもらおうという話も昔からあったりしますが全く相手にされていないようですね。どうせなら広島か長崎でサミットでもやって先進国の首脳を強制的に資料館に連行するくらいして欲しいもんですが、無理でしょうね。



原爆を落としたことに対する正当性うんぬんという話は二の次で別に今さらアメリカに責任を取れとか言っているわけでもないですし、ヒロシマ・ナガサキの主張はこの惨劇を繰り返すなという点に尽きるわけで、そういう意味でも多くの人に訪れて原爆ドームや資料館を目にしてもらいたいものです。
継続は力なり (pfaelzerwein)
2005-08-13 05:32:38
carememoreさん、不精してましたが長束を漢字に訂正させて頂きました。



修道院の方御一人は既に日本で亡くなられ、他のかたは後にヴァチカンにいらしたようです。綺麗な日本語で説明の書かれたルーメル教授の市内の絵も心打ちました。



両市長の今年のメッセージにも目を通しました。

やはり強い口調で声明し続ける事、継続は力なりです。現在の世界情勢は、将来から見ると野蛮で血生臭いものに映ることでしょう。その時、こういう活動は一条の光に見えることに違いありません。広島でのサミットの開催等を米国に突きつけるのも良いアイデアですね。



しかし残念ながら正々堂々と米国の主張を広島で出来るだけの状況には無いのでしょう。
祈りの丘 (Robert)
2005-08-13 11:30:15
Pfaelzerweinさん、あの日から60周年を迎えた祈りの丘からご挨拶申し上げます。私の住む街をちょっと下った向山に浦上天主堂の赤煉瓦が望まれます。その日は東京から客人を迎えておりましたが、彼方から響いてくる鐘の音に耳をすまし、しばし祈りの時を持ちました。

 遅ればせながら、当方のBlogにLinkを貼らせて頂きました。ご確認のうえ、御了承下さい。

鐘の音 (pfaelzerwein)
2005-08-13 18:16:07
Robertさん、忘れていました。お近くにお住まいでしたね。どうしても阪神間の印象が強いので失礼しました。



そうですか、鐘の音が聞こえましたか。実は左の常連リストに載っている「たのしいことば?」からマリア像保存の運動に気が付きました。もし関心有ればご覧下さい。



http://blog.goo.ne.jp/jyakuzuregawa/e/546de2d77515d68518c560ee76e34669



リンク有り難う御座います。こちらこそ今後とも宜しくお願い致します。
スパイ (matsubara)
2005-08-15 14:03:21
広島に原爆が投下されることは、日本から雇われた外人のスパイによって軍部は知っていたはずですが、何も情報を役立たせなかったことが許せません。日本政府は当時の400万円という大金をスパイに支払ったのに、スパイを信じず無視したのです。
情報は有っても、 (pfaelzerwein)
2005-08-15 22:43:25
先ずこの場を借りて、日本帝國と連合軍の秘密交渉と情報収集の件で触れておきます。「外交部の交渉」は、ユキオ・スガマ氏がバーゼル大図書館から見つけたスエーデンの銀行家ヤコブソンの日記の情報から確定されつようです。ですから、秘密交渉として7月4日、5日に日米と個別にヴィースバーデンで会合を得ているようです。バーゼルから北村氏、ベルン?の吉田氏が駆けつけ、アメリカ側はベルン情報部からブッシュ大統領の祖父の同僚、後のCIA長官アラン・デュレス氏が任に当たったようです。



特にモロトフに謁見出来なかったモスクワ佐藤大使と東郷外相との電話会話の盗聴も有名らしいです。何れにせよ既に1943年以後、御前会議の重臣は落とし所を求めていたようですが、裕仁天皇は何一つ意思を示さなかったという事のようです。



無条件降伏に対して、日本帝國からの要求は、天皇制の維持(if the Emperer remeins unharmed,)と大日本帝国憲法の維持と一貫しており、明らかに大正から昭和にかけての世相が知れます。



諜報活動も有名なエニグマ暗号解読やら盗聴など、最初から最後まで局面を支配していたようですが、判断して決断出来ないことには。

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