Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ARD真夜中の音楽会

2018-02-09 | 
1時半まで夜更かしした。ARD夜のコンサートでNDRからの放送を聞くためだ。当番の局は勿論自主制作の録音を出してくる。どの放送局でもアーカイヴの棚卸のようなところがある。それでも夜中の時間とあってそれ程意欲的なものは流れない。SWRチェリビダッケ指揮などや古いシューリヒト指揮などもあまりない。そこで流れたのは2007年にライスハーレでNDR交響楽団をキリル・ペトレンコが指揮して、ムスオーネンというピアニストが弾いたベートーヴェンのハ短調である。同じようなプログラムをベルリンで振っているのだが、ピアニストも違い管弦楽団も違う。しかしどちらも客演で条件はそれほど変わらない。

なによりも興味深かったのは、ソリストがどのように弾きたがろうが、それに極力合わせながら、曲を壊さないような最大限の配慮が見えるところだろうか。ベルリンのフィルハーモニカーになるとどのような客演指揮者が振ろうが、ソリストが弾こうが、枠を壊さないぞと言わんばかりに頑なに演奏してくるので、実際アーカイヴされているペトレンコ指揮のそれでも遣らせてる感が強いが、このハムブルクでの演奏はその分余計に参考になる。

まるで歌手に寄り添うかのような合わせ方が、明らかに当時まだ35歳のこの天才指揮者の技量と経験を見せつけているようで、恐れ入る。同じ年齢でこれだけ出来た伴奏をする人がいるだろうか?ベルリンのそれでは気が付かなかったような音楽をつけていて、楽譜を確かめてみなければいけないようなところが次から次へと出て来る。ピアニストのコンセプトは冒頭からはっきりしているが、それを活かしていて、ベルリンでのそれよりも遥かに成功している。名演と言ってもよいのではなかろうか。こういうのを聞けば、この指揮者がオペラ劇場指揮者ではなくて、コンサート指揮者でしかないことが分かるだろう。

日本公演の際に現地に乗り込んで新聞評を書いていたマルコ・フライのキリル・ペトレンコに関するPDF記事が劇場のネットにあって、その内容は当時の新聞の内容を残すものとして更に纏めてある。新聞での人格的なことに代わってここでは、その仕事ぶりについて焦点が当てられていて、上記の面を特に歌手との関係でいつものホルニストのレフラーが語っている。「一緒に呼吸をしてとことん合わせてくれるものだから、歌手陣はとても気持ちよく、尊重されていると感じるんだ、そして彼が思い描いたことはなんでも出来てしまうんだね、彼が上手く纏められなかった点なんてなかったな。」と、歌手陣でなくても器楽奏者にとっても、一緒に呼吸してくれて、一緒に仕事してくれる指揮者はあまりいないと、基本的には歌心があるという評価だ。

同時にその練習の厳しさが語られていて、「15時から22時まで時間を無駄無く、オペラを更って、弦楽器奏者なんて限界域に来るんだ。」と12年間の業界生活で無かったことだといい、「その反対にコンサートでは、簡単に追い込むということは無い。」と漏らす。

歌手を代表してヨーナス・カウフマンが語る。「ペトレンコは、完璧主義者だけどペーダントではない。彼は、とても正確で、開演五分前であろうともう一度細部に還って遣り直そうっていう人だ。その意味からすると、全然落ち着いていられない人だね。」、「彼は、その晩の舞台の出来に満足しているが、頭には一物あって、機械的に完璧であるべきでも、それはライヴということでやっているんだ」、「そして彼は、正確に聞いて、見て、感じ取っているように、とても注意深い。」、「彼は、首を上げて全て正確に観察しているよ、比較できるような指揮者は個人的にあまり知らない。」と賛辞する。

ここまで書いてあることは、注意深い聞き手や業界人には当然のように思えることで、それはライヴだけでなくても前記の録音などからでも十分に分かることである。しかし、先のレフラーは、「演奏家として彼を前から観れて、有り難いよ、彼の仕草やその姿がそのもの楽譜を表しているんだ。信じられないよ。」そして、2019年からベルリンに行ってオペラ界が懐かしくならないだろうかと語りかけると、「そう思うよ、彼は複雑が同時進行するほど気持ちよく感じる人だからね」と答えている。

勿論、これはいつもの話し、つまりオペラ指揮者かコンサート指揮者かの話しになって行くのだが、私に言わせると全く馬鹿げている。彼の音楽をしっかり理解している限り、このような戯言は出てこない筈だ。なぜ、オペラ上演で例えば「ジークフリート三幕」のようになるか、また「コンサートではまた違う」となるかは、明らかで、我々と違って彼は、何をミュンヘンに残していくか、オペラ業界に何を貢献出来るかだけを考えている。制限のある中でなにが出来るかを絶えずそのキャリアの中で熟慮してきた人で、天才は我々とは違って将来をしっかり見定めていて、その達成可能なところをしっかりと押さえている。それにしてもミュンヘンの劇場演奏家たちはとても幸運である。業界人であろうとレッスンを受けようと思えば授業料を払わなければいけない。自由時間も使わなければいけない。それが日々のお勤めの中でお金を貰い乍ら音楽を高度に学べるのである。音楽劇場界に与えるその影響は大きい。



参照:
なにかちぐはぐな印象 2017-09-24 | 雑感
上野での本番などの様子 2017-09-20 | 文化一般
ベルリンから見た日本公演 2017-09-28 | マスメディア批評
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