Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

高度な抑制と認知の文化

2011-12-26 | 文化一般
落ち着いたクリスマスイヴを過ごした。例年に以上に静かな夜を過ごした。例年通りホワイトクリスマスでもなく、物理的な静けさは変わらなかったのだが、静かだった。

なにもマーケットでテリーヌを購入して、それなりの食事にして、それに合わせたワインを開けたからでもないだろう。やはり明るい部屋の向こう側に横たわる漆喰の闇の彼方の原子力炉の熱を振動をどこかで感じて、想いが福島へと連なると、まさしくその今置かれている環境に覚醒するからだ。

バッハのクリスマスのカンタータは、そのものBWV91「イエス・キリストよ、汝は湛えられよ」でも短調に於いてこの世の環境を反映したクリスマスの意味を正しく描いている。同じようにBWV121「われらキリストをたたえまつる」に於いても短調で更に黙想を続けるのだ。そうした黙想の時であり、毎年のようにクリスマス消費に対して厳しい批判が巻き起こるところにクリスマスが存在するのである。馬小屋のその状況を思い起こさせるかのようにである。

黙想と追憶の一時、そして覚醒。バッハのカンタータについては十分な理解をもっていなかったが、流石に人生の半分近くをドイツで過ごすようになるとこうした高度なレトリックによる自己矛盾を内包する論争のプロテスタンティズムの華が身に纏わりつくようになる。BWV133「汝はわが喜び」、なんという高度な抑制と認知力の文化であろう。世界を牽引し続けるのが当然のプロテスタンティズムなのである。

蛸入道親爺に負けじと朝から今日は車も使って谷の上り口に立った。空荷で走ってみるためである。流石に最初の急坂は最後まで走り通せなかったが、5分走った後2分ほど歩いて、再び走り始めて合流路に15分着、そこから暫く走ってまた歩き29分で再び林道に出る。そこからが頂上斜面になるのだが、最後まで走って37分で到着。蛸入道親爺の28分には至らなかったが、大分短縮できる可能性が掴めた。下りも、8分歩き、細い走りにくい林間の小道を8分ほど走り続ける。登りに14分掛けた場所である。傾斜が緩いので10分ぐらいに4分以上は短縮は可能である。さて急坂は走り通すと10分掛かったので登りと5分しか違わない。要するにどんなに走ってもあまり短縮は出来ないのだろう。しかし、途中の見晴らしまでが下り4分なので登りに8分掛けた分をここで短縮できるだろう。つまり最初の急坂はどんなにがんばっても6分を切ることはないので、7分で登ったのは上出来だったのかもしれない。

先ず目指すのは、登り急坂8分、合流路まで4分、再林道まで10分、頂上斜面8分で〆て30分であろうか。下りは、6分、8分、4分、6分の〆て24分で、往復一時間以内で標高差500M弱を走り通せば十分である。距離は登りが4800歩、下りが3800歩ほどであるから、距離は八キロ弱ぐらいか。


追伸:昨晩イヴの晩にバイエルン州の各地で「ベツレヘムの星」形状の尾を引くUFOが目撃され煙が上がり、一部の共同体では消防などが緊急発進して落下物を捜索したようだ。原因は不明であるが、広範囲で目撃されたことからソユーズの落下など、なんらかの事実があったのは間違いなさそうである。



参照:
早くも秋の気配の夏休み 2011-07-22 | 暦
大掃除にはカール・リヒター? 2009-12-24 | マスメディア批評
伝統の体の一欠片 2006-12-22 | 音
地域性・新教・通俗性 2006-12-18 | 音
そこかしこで出会った親爺 2011-12-09 | 生活
そう言うことなのである 2011-11-21 | 暦

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中共が辞さない宣戦布告 | トップ | Hop, Step by Step & Jump »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿