Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

広島・長崎を相対化する福島

2011-08-06 | 歴史・時事
一年前には想像すらしなかった感興の変化である。世界の環境が変わってしまったからか?

広島に続いて長崎に原子爆弾が投下されてから、その爆発力の凄まじさ以上に核の放射能の被害に皆恐れ戦き続けた。しかし今回の福島を経て、核兵器というのは抑止核でなくて戦略核として本当に使える可能性を皆が知ったのではないだろうか?

一時日本が核武装する是非についてネットでも盛り上がった時期があったが、今回の福島から原発を維持することの前提に核武装の準備と意志が不可欠なことがあることを理解した。原子力発電所の平和利用を核武装と別個のものと考えていた大多数にとっては青天の霹靂のような事象であった。さらに核廃棄物試掘と称して、核地下実験も直ぐにでも出来るような設備を用意してある。

広島・長崎の市民は、原子爆弾と福島を相対化して欲しくはないと切望しているようだが、福島の被曝はその規模からしても新たな指標となってしまい原発開発のその先にあるものが白昼の元に曝されてしまった。もはや誤魔化しは利かない。

ネットでは五日の福島と仙台での小出氏の講演会が放送されていた。特に福島でのそれは大分前にあった武田氏の講演会に続いて、同地の赤裸々な表情を伝えていた。質問時間における会場からのそれは明瞭には聞き取れなかったが、小出氏が「郡山の小学校の汚染土の処理の行き先として原発近くの永遠に不毛の地を挙げ、さらにその結果核廃棄物の最終処分地となりかねない福島の現状を示す」と、不規則に会場から「止めてくれ」とまさに悲鳴が上がったのである。

もはや復興などはない福島第一原発近くの強度の汚染地域は、将来とも立ち入り禁止地区となるのであるが、その土地さえ「合理的」に使うことの出来ない不条理さが原発開発であり、その経済性というまやかしなのである。

黒澤監督には、「八月の狂詩曲」という長崎プルトニウム爆弾を描いた映画史上の名作があるが、同じ晩年の「夢」も見逃せない。オムニバス形式でありながらその中の多くが「福島」を描いているのである。

この世界的に高名な映画監督に先見の明があったとか予言したということでは無いのである。そこに黒澤映画の表現力とか芸術性とか言われるものがあったとしても間違いないであろう。

日本では、原爆と福島の二つも偶然に日本に齎されたと考えているのだろうか、それは大それた思い違いであろう。先日発売された日本の現代史の小冊子にも、レヴィ・ストロースの本にもそれは間違いなく深く刻まれている。



参照:
Village of the Water Mills Pt. 1 ,
Dreams - "Mount Fuji in Red" (1990) Nuclear Disaster in Japan - Hollywood Prediction or NWO? ,
The Weeping Demon Pt. 2 (YouTube)
8月5日 小出裕章氏の福島市での講演会 (IWJ)
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