Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

安全保障上去勢された日本

2015-02-02 | マスメディア批評
アルゴイは雪だった。帰路もアウトバーンに雪が付いていた。日曜日としても交通量からすれば珍しいことだった。既に日曜日の朝、オーバースドルフのユースホステルでタブレットで知っていたが、ラジオは後藤さんの殺害をトップニュースで報じていた。音声であるからVIDEOの声明を所々採用して、安倍への急告と日本への脅迫をピックアップしていた。個人的にはこの事件の不可解さもありながら、米英人の処刑の場合は更に何か裏があるかと思っていたので、正直、正確に安倍政権を強く非難して処刑に及んだ経過には驚いた。

フランクフルターアルゲマイネ新聞は、月曜日の社説で短く的確にこの状況を描く。

今、日本政府にも、他の諸国が経験しなければならなかったことが起きた。一人の国民が、カメラが回る中でイスラム国のテロリストによって殺されて、誰もそれを抑えることが出来なかった。遅ればせながら、今、日本はテロの被害者同盟の一員になったのだ。政府は、ジャーナリストの後藤さん殺害を、彼らの安全保障政策の承認とも見做すだろう。その実、なぜ日本のように世界経済分野で活動的な国が、それとは反対に安全保障政治においては去勢されたような存在となるかが顧みられていないのである。現実の世界情勢は、なにも日本の直接の近隣のそれを挙げるまでもなく、変化に率直な事情を与えている。それでも残念ながら日本政府は、過去の論拠を借用採択して、今日の変化を過去の日本の戦争犯罪の白紙化へと利用することに決断してしまったのだ。後藤の死は、日本が友人を必要としていることを示している。日本政府は、それからの多くを台無しにしていまっている。一体、彼らはそれに何時気が付くのだろう?

雪崩のように、今変化が起こっている時にこそ、動くのが大切である。一度固まってしまうともはや逆戻りなどは不可能である。安倍独裁政権が、今回の件を安全保障政策の決定に利用しようとしたことは否定しようがない事実であろう。少なくとも世界はそのように見ている。日本のネットでは、上のイスラム国の脅しの内容すら正確に伝えられていない場合が多い。日本や日本人の世界での孤立は益々進んでいる。

新聞には、アジテーター火炎瓶氏らのサイレント示唆行為の大きな写真の下に、「後藤さんの死での安倍の責任を問う」と書かれているが、この程度のデモンストレーションでは小さ過ぎる。サッカーや野球の試合などであれほど集まる日本人はどうしてこうも集まらないのか不思議である。



参照:
Ohnmacht, Peter Strum,
Ein pazifistisches land schwört auf Rache, Carsten Germis, FAZ vom 2.2.2015
一言、独裁者安倍晋三に 2015-01-31 | マスメディア批評
首を喜んで差し出す外務省 2015-01-21 | 歴史・時事

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