Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

朝だか夜だか判らない

2006-01-02 | 
ニューイヤーコンサートは素晴らしい。通常は音楽的興味の湧かない催し物であるが、ベルリンのシルヴェスターコンサートと一晩措いてヴィーンのニューイヤーコンサートを観ると、大変興味深い。「フィガロの結婚」の序曲などは、対抗意識を丸出しに毎晩の如く奈落でやっている超一級のプロ楽団が模範演技を示す。

今やキャリアーの頂点へと登りつめようかというヤンソンス指揮の演奏に、何十年に一度かの稀なる盛り上がりを見せていた。そして昨日書いたベルリンでのコンサートへの感想の答が得られる。つまり、学芸会のような「フィガロの結婚」の終景で感じた、「これならサウンド・オヴ・ミュージックの方が強い感動を与える事が出来るかも」と言う感想の答である。同時にこのロシアのエリート指揮者がコンセルトヘボウと言う超一級の芸術的な交響楽団組織を導くには、役不足との疑問符が付けられているのも納得出来た。しかし、娯楽音楽と芸術音楽の差は?一体それが分かるような通人はどれ位いるのか?現に、この指揮者とオスロ饗の組み合わせは、そしてキーシンのピアノが絡む演奏会は、一時ザルツブルクで一番人気ではなかったのか。

所謂クラシック(芸術)音楽の最大のイヴェントとして定着したヴィーナーフィルハーモニカーのノイヤーツコンツェルトは、貴族の落胤として生まれた指揮者クレメンス・クラウスが始めたものであるが、今やオーストリア共和国が一年に一度、このアルプスの小国を、世界へとアピールする好機となっている。本年は平土間にシュッセル首相の横にアンゲラ・メルケル首相が臨席して、充分な政治的なアピールともなっていた。シュレーダー独首相やケーラー独大統領の臨席などは、クレステル大統領の死後では考えられなかった状況である。

ヴィーナーフィルハーモニカーは、オーストリー帝国の伝統芸能継承団体である事を明確にしており、これはたかがプロシアの交響楽団には真似の出来ない事であり、殆んど居直りに近い。こうして世界中に中継されるのは、ハリウッドの制作する物真似には遥かに及ばない世界でなければならないのである。これをハッキリと意識した中継・制作スタッフとヴィーンの連邦文化省および観光局の判断は正しい。

ベルリンの太鼓に対して、ヴィーンの恰もドローンのような鈍いパーカッションに女性の顔が見えるのも可笑しいが、バレーもクラッシックからモダーンなものが加わり、時代の移り変わりを示している。女性副党首にクーデターを起され、最近になってまた中央政界復帰を狙う右翼ポピュリスト・ハイダー博士の顔さえ思い浮かぶ。それにしても、外国人が多く混ざったヴィーン情緒こそ、東欧と西欧、アルプス南と北の接点であるヴィーンの売り物であろう。

ヨゼフ・ランナーのモーツァルトメドレーも如何にも、簡易な現代風のモーツァルト需要であって、こうした興業の進展を通して、モーツァルトの音楽が朽ちて行く状況を目の当たりに見る事が出来る。素晴らしいの一事に尽きる、国家公務員の自主伝統芸能保存協会の芸の披露会であった。兎に角格好良いの一言で、そのさまになっている様子をTVで居ながらにして観察出来る。

特辛口のリースリングのシャンペンを開け、アイスランド製の安物キャヴィアとチッコリにチーズを乗せたカナッペをつまみながら、飲んでいると直に実に気持ち良く酔っ払って仕舞った。何もランス迄行って本物のシャンパーニュとスイス迄行って本物超極高級品のキャヴィアを買う必要はない。これで充分に楽しんで仕舞えて、それどころかリースリングのシャンパーニュ風に手回しで作った発泡ワインが充分に美味い。カバーも装丁も全て出来上がっている、暮れの演奏会の素材で今日のコンサートを早速修正して、近々発売されるCD価格の半分もしないような料金で、こうしてお腹一杯になるのである。

「本物に偽物、高級品に廉価品、芸術に娯楽、あなたにこの違いが分かりますか」と、問い掛けられているような年末年始のコンサートTV鑑賞であった。酔い潰れて再び目を開けると、暗闇で朝だか夜だか判らないというのも、久しぶりの体験である。



参照:
心地よい感興 [ 音 ] / 2005-01-01
其れらしいもの[ 音 ] / 2005-01-01
文化的回顧と展望 [ 生活・暦 ] / 2006-01-01
文化の「博物館化」[ 文化一般 ] / 2004-11-13
81年後の初演(ベルリン、2004年12月9日)[ 音 ] / 2005-01-15
根気強く語りかける [ 文化一般 ] / 2005-11-17

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2 コメント

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よく言ってくださいました (yurikamome122)
2006-01-02 11:07:08
私は、ヤンソンスを否定はしないし、このイベントも毎年楽しみにしております。娯楽的イベントで音楽ファンが一人でも増えることに何を批判する理由があるというのでしょう。でも、でもです、このわかりやすさが誤解を招く。この催しのマーケティングと企画を誰がやっているのかがわかりませんが、時代背景と共にずいぶん目的が様変わりしてきたように感じます。そしてヤンソンス、彼の演奏のセンスはとても素晴らしいと思うのですが、やはりわかりやすすぎのような気がします。彼の演奏は普遍性を持つことができるのでしょうか?。
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違いが判る男(女) (pfaelzerwein)
2006-01-02 18:21:57
全く仰る通りなのです。私達がなんだかんだ言いながら、何を求めているのかなと言う疑問が湧いてきます。



メディア産業としては、経験豊かで実力ナンバーワンのヤンソンス氏が旨くやってくれればと言う期待はあるでしょう。世界ツアーが予定されているようです。その反面、その音楽にはこれで良いのかと言う懐疑もあるのは事実です。



ヴィーンやアムステルダムの楽団は、文化的IDが取り分け強いですから、出来る事も違いますが、求められる事が違うのですね。ベルリンの強情な鋼の弦を思うように扱おうとして名手クスマウル氏をコンサートマスターに据えたのがアバド氏でしたが、ラトル氏は孤軍奮闘しているようです。ベルリンの楽団のモラルは、今シーズン当初に新聞で大変批判されていました。



さて普遍性ですが、これは矢張り受け取り側が何時も自問自答して、審美眼を養って行くしかないようです。先日工業化ワインの話題をしましたが、その差を認識出来るように留意しておくのは似たものかと思われます。
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