Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

お花畑に響くカウベル

2005-06-23 | 
雪の残る高嶺から快調に高度を下げていくと、一面が草原の広い大きな尾根筋に出る。踏み跡の無いクッションの入ったような急斜面を草滑り宜しく飛び跳ね乍走り降りる。スキーでは味わえない豪快な二拍子歩調が嬉しい。こけると何処まで転がるのだろうか。

真っ青な空が広がり、新緑の草原に一面のお花畑である。何時までも留まりたいような、誰も居ないパラダイスの大パノラマを独り占めにする。足元を見ると、紫のエンツィアン、白や黄のアネモネや、黄色いキンパイ草、青い天の梯子草、白いヤマクンメルンなどの数え切れない種類の高山植物が一斉に咲き乱れている。

小さな沢筋を降りていくと、大きな濁流の沢へと合流する。既にそこの外気温は高い。支流の水を浴びて汗を拭う。再び草原へと出ると、羊などを見かけるようになり、下界へと近づく。谷を巻きながら涼しい林の中を降りて行くと、牧童の家族がカウベルを付けた牛の列を引いているのに行き違えた。この時期にこうして家畜を徐々に上へ上へと移動させて放牧するのである。

この山行の前夜にバーデン・バーデンで聞いた、ケント・ナガノ氏の第七交響曲の解釈を思い起こす。その第二楽章「夜に響くカウベル」を連打させて殆んど抽象的な和声音(殆んどクラスター)として扱っていた。カウベルをそのまま使った音楽作品として、グスタフ・マーラーの第六・第七交響曲やアントン・ヴェーベルンの作品10番が特に思い起こされる。

ヴェーベルンの曲において、指揮者シノポリは音のオブジェとして六拍子、三拍子、二拍子の混合のなかで如何にも其れらしく扱っているのに対して、同じく作曲家ブーレーズは極めて丹念にコトコトと鳴らす。そしてその「当たり」を同時に奏される音に干渉させる。その相違は、ネオロマンティックの作曲家でもあったシノポリ氏が、登山家ヴェーベルンに敬意を表したのでもなければ、指揮者となったセリエル音楽出身のブーレーズ氏がアルプスの音色を抽象的に解釈したからでもない。

しかしマーラーの第六交響曲に使われるその高いハ音のなどはカウベルと言うにはあまりに小さすぎる。「シープベル」と言うべきで、原名は全て(ヘルデ)グロッケンである。だから低い音のベルを教会のドグマの象徴として、高い音のベルを世捨て人の寂寥感として対照させて解説されようが、その音質の違いが大切であって、その音域は二義的なものである。

今日もアルプスのアルムでは、牛や羊が草を貪り、花をついばむ。咀嚼する度に、蝿を除ける度に、場所を移動する度に、首のグロッケンがコトコトと鳴り響く。その音に暫し耳を傾けているのは、傍で寝そべる牧童犬に違いない。



参照:第六交響曲 第三楽章 [ 音 ] / 2005-08-21
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