Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

二十世紀隠遁の美学の環境

2012-11-11 | 
先ほど亡くなったエリオット・カーター百歳のインタヴューは、故人の人となりが十二分に示されている。そのインタヴューが秀逸なのは本物のジャーナリスムがそこにあるからで、その受け答えから故人の芸術家としての立ち位置と同時にそれを取り囲む環境である我々の認知が美学として浮き彫りされるからなのである。

と、小難しいことを語っているようだが、その内容は達観した百歳の知識人のそれであり、こなれにこなれた整理され無駄の無い受け答えとして我々の生きるその環境が歴史的に描かれる。

クロニカルに順を追って、生まれ育ちから、音楽とチャールズ・アイヴスとの出会い、ハーヴァードへの進学と父親の無理解、ピストンやホルツなどの音楽家からの授業、反対を押し切ってのパリへの留学、ナディア・ブーランジェの下での修行とナチの侵攻、戦時下での作曲活動と、戦後の活動などが語られる。

既に1930年代には自らの聴衆を選択せざるを得ない現代音楽の限界を感じており、その時点での定めが、自らが及ばない活動をしていると名指しするブーレーズやべリオの欧州勢の進歩的な活動とは異なる、あたかもチャールズ・アイヴスのアマチュアリズムにも相当するような新世界らしい芸術家の姿勢なのである。こうしたことを暗示して、インタヴュアーはマンハッタンのグリーニッチのビルの自宅を訪ねたそのカビネットの戸を潜るのであった。

もちろんプロの作曲家として定められた聴衆を目指して作曲活動を行うの容易ではないが、戦時下の特別な状況でスパイ工作の訓練を受けたり、それを嫌いその後に軍の宣伝局にて作曲をするうちにロックフェロー財団などから援助を受け第一交響曲を書き、さらにテキサスのタクソンに篭って出世作となる第一四重奏曲を完成させ、パリでの演奏で一挙に世界の注目を集めることとなる。

所謂戦後の欧州の事情を考えれば、なるほど作曲家が作曲で生計を立てるなど非現実的な構想であったのが、こうした戦後欧州の空白期に創作活動を繰り広げることとなるのである。なるほどその創作は、戦中の欧州で繰り広げられた丁度パリ留学時代のその当時の前衛的な手法の上に独自性を築いたものであるかもしれないが、弦楽四重奏曲や管弦楽のための変奏曲などにその間のその後の進展が凝縮された形で結晶化されている。作曲家本人が語るように「申し訳ないけれど」と言うのはその幾らかの後ろめたさのようなものがそこには存在するからだ。

同時に北米の作曲家アイヴスが既に試みていたような、同時進行するパートごとの多重のリズム構造などに如実に現れている恐らく北米における独自の多次元への視座は、必ずしも欧州文化体系における多文化のそれだけではなく、また作曲家が語るような数学的物理的な例えば量子力学などの新たな視座やもしくはその後の宇宙開発における宇宙への挑戦の地球の相対化などでのニューフロンティア精神の表出と源を同じとするものかもしれない。

現に作曲家が一年以上もかけて創作を繰り返していた最終的な動機付けは、冒険精神にあると語るそこには独自の未知のフロンティアを目指していた複雑な楽曲の創作活動と、恐らく80年代どころか60年代にはもはやそうした試みではなく手馴れたテロワーでの誰のためになぜ作曲するかを狙いを定め、対位法や和声学の土台に則って創作を繰り広げるという古い方法へと変わっていった。背景には、もはや作曲自体が時代の認知という作業ではなくなってきたという現実があると説明しており、既に前衛芸術は30年代には社会的な価値を失っていたとの認識を吐露している。

そうした一種の諦観の中でのフロンティアならず温室の中での創作活動への隠遁がこの作曲家の創作となっている感があって、正しく様々な作曲を審査対象化することでの新たな創作へと舵を切ったことにもその創作の質感の高品質が保証されている。

その意味からそうした態度を更に徹底させた80年代のブーレーズ指揮でエラートで録音されている自らの解説付の作品群への評価も定まるのではないだろうか?そしてそこへと至る一番から四番への弦楽四重奏曲に聞かれるシューマンの響きにも通じる作品群やヴァイオリニストズーコフスキーのための作曲などモダーンを貫きながら、同時に創作姿勢として明らかに北米という隠遁の地での活動を問うた作品群は、まさに我々が生きてきた二十世紀のモダーンを遠視しての対象化客観化に成功している。

当時のパリできな臭くなった時点において共産主義者の集まりに顔を出すようになった作曲家を見て、父親の反対から母親のヘソクリの仕送りから無料で授業をしていたブーランジェに、そのようなことをしていると「強制収容所送り」にすると真面目な顔で言われたことから、「全く異なった世界に住んでいる」と自覚した作曲家の客観視こそがその芸術の真意であったろう。

リムスキーコルサコフの管弦楽法を独学して、ハーヴァードの上流階級入りに不信感を抱き、父親の会社を継ぐことなく、ジャズや新ヴィーン学派に代表されるようなモダーンに傾倒していった北米の知識人のその創作は二十世紀の文化の歴史でもあったのだ。



参照:
The four String Quartets, Juilliard SQ,
Variations for Orchestra, James Levine, Chicago SO
Conserto pour Hautbois etc., Heinz Holliger, Pierre Boulez, Esm. InterCompemporain
Wie hat die Wüste Sie verändert, Mister Carter ?, J.J.Rohwer, FAZ vom 25.10.2008,
Der Brückenbauer, G.R.Koch, FAZ vom 7.11.2012
新世界への思索の飛躍 2012-11-08 | 文化一般
生半可にいかない響き 2008-12-08 | 音

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