Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

棒にも箸にもかかる?

2013-02-27 | 
手元にお土産用の塗り箸が二組あった。確か語学学校に来ていた法学の日本の弁護士事務所の若様が使ってくださいと置いて行ってくれたものである。十五組ほどあったかもしれないが最後の二組で、和紙に包んであるのがミソだ。

愛しの彼女とその女友達に渡して使ってしまうのが良いと思いついた。それほど価値のあるものにも見えそうにもなくて、それでいながら若い女性には一寸嬉しい贈り物に違いない。しかし、今まで誰にあげたのかも全く記憶に残っていないのである。如何にものにならない試みの多くが繰り返されているかが分かるというものである。

それでもこれという女性にはこの箸などをあげた覚えが無いので、つかもうとする目的がそもそも異なっていたのだと改めて反省の今日この頃である。ランデヴー目的の食事に連れ出すのが目的ならば態々箸を差し出すなどと言う七面倒なことはしないのである。自らも分からないうちに自然に魂胆と言うか、目的へと帆先が向いてしまっているのである。嘘はつけないものである。

その点、今回はこちらに心理的な余裕がある分、要らぬ出費や社交儀礼的なことは考えなくとも、また彼女を無理して連れ歩く必要もないのである。寧ろ彼女の女友達を懐柔させることが重要なのである。

シーズン42日目は眼鏡親方とも登った。早々に五級から六級を片っ端から片づけるのだと息巻いていたので、「五級の登りを見てあげる」と五級マイナスのオヴァーハングを二本登った。病上がりで少し息が上がるが、それでも今まで以上に完璧に登れる。さて親方の方は二本目の核心部で危なくなったが、左足の足場を先に乗せることを教えたので解決できた。

いよいよ垂壁の五級プラスである。右へ右へと天井まで登っていくので距離も長く、横への二か所は核心部であり、登るほどに下が中空になってくるので高度感もある。そして本当の核心部は横への一手を過ぎた後の次のカラビナまでの比較的長い五手ほどである。二回目であったが、核心部の前ではザイルにぶら下がって足掛かり手がかりの順序を頭で練る。流石に上についたときには病上がりの疲れが押し寄せた。

さて、次には親方の息子が軽快にトップロープで登る。そしてパパである。二回の横への移動は上手に熟したと思ったが、そのあとの長い数手を二度ほど繰り返して、何時もの如く断念する。横への動きがあるから、五級でなくてプラスなどだよと説明するが、他の手掛かりを使ってでも最後まで登れないようではどうしようもない。要するに自信が無いのである。「自分の出来ないことをいつまでも修正できないマイスターなんて信用できるか」と若い指導員に話すが、とても残念なことである。悪態ばかりついていて、自分の体の動きを少しも修正できない眼鏡親方。

そのあと推奨しようと思っていた五級プラスも熟せない眼鏡親方。我々の強化施設でも五級までは力で克服できるのだが、それ以上は梯子登りでは突破できないようになっている。指導員の多くが時間を割いて彼を指導者に育てようとしているのだが、彼はまた一年を棒に振りそうである。あの態でいくと、外壁では三級でも登れないところは続出する。要するに、嘗て日本の大学の山岳部というものがやっていたような岩登りの域を一歩も出ずにスポーツクライミングに一歩も踏み入れていないのである。今更VIDEO撮影して分析しても、冬シーズンに室内で基礎的な体勢を会得する時間はもはや皆無であろう。



参照:
MAY I HAVE A KNIFE? 2007-07-13 | 料理
近代終焉交響楽 2005-06-17 | 文化一般

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