関西には「どやす」という言葉がある。私は偽善者ではないが、― 友人達は激しく反論するのは分かっているが ― あまり人前で東アジアによく見られる特性としてのように感情を剥き出しにすることはない。
だから高圧的な態度をとるのは苦手である。それでも何度かは脅しととられたこともあり、一部では評判も悪く、良い関係を潰してしまうこともある。
最も苦手なのは、科を作った雰囲気を持った場で怒鳴りつけることである。それでも、ドイツの語学学校のテキストや仕事仲間のアドヴァイスを受けて、銀行などではカウンターをガツンと叩くことは ― なにも銀座の気取ったお店ばかりでなく ― しばしばある。銀行などで大声を出すと、どうしても保安関係の者もさっと動き出す。友人のためにBMWの支店まで地元の警察を出動させたことも一寸自慢である。しかし、私のような小心ものは、そのような必要性があると、完璧に感情をコントロール必要があるのだ。
「どやす」の意味の中で特に京都方言としてあるものは教育上の効果を意味しているようだ。だから、出来るだけ教育的効果を考える私の言動は、その「どやす」に近い。
さて、今年はルフトハンザにクレームをつけて大変丁寧な返答を貰ったが、少し触れたように最も信頼おけると思われているドイツェバンクをも強く叱った。こうした場合、税務署との関係もありこちらも幾らか都合の悪いことがあるからこそ、余計に当方も過敏になるのだが、正式な苦情としてフランクフルトの顧客センターに回された。
たいした問題ではなかったが、同様な送金の間違いなどの誤りが過去にもあったので、今回は先方の手違いが書類上証明出来て、尚且つ何時ものように他の支店の非をもなかなか認めない態度に、本気で「どやす」必要が出てきた。
そこで、気の毒にも非を認めないおばさんが顔色を失くすほど叱責する事になり、勿論感情的なしこりは残るが、それなりの成果はあったとみる。教育的な指導になったかどうかは今後の様子をみなければいけないが、金融機関が人の金をたとえ小額でも間違っては信用問題である。こうした場合い、「即刻、返済しなさい」、「きっちっとした仕事をしなさい」と、先方が行内の全ての客が一斉にこちらに集中するように怒鳴らなければいけない。
こうした組織相手にたとえ矢面に立つ相手が組織の中で小さな歯車であろうが指導をするのは良いが、一度失敗したことがある。それは、少々顔見知りになっていた事で、掃除婦のおばさんに指導をした時のことである。これは指導が、侮辱したとなって、親方が訪ねて来たが、そのものの言い草が弁明ではなかったので話す機会を持たなかった。それによって、その管理組合と清掃会社との契約は破棄されたが、当方の知った事ではない。だから、先頃も私は順序立てて、管理組合に苦情した。
そのような訳で、あまりお話にもならない相手を「どやし」ても意味はない。だから、ドイツェポストのつまりDHLの若い女性配達員を「どやす」したり「いじめる」ことはないが、中途半端な配達態度は許せない。だからその場で行動を起こしたのは既に述べた通りである。正式な苦情とはいかないものでも行動を起こすのは重要である。その後、他の何時もの郵便小包の配達のおばさんが来た時に、「今日は馬鹿デカイ荷物よ」といって、小包を手渡された。仲間内で大きな話題になったのだろうが、その一部始終はなかなか説明出来ないものなのである。ただ、何か起こす事で教育的な方向へと進むならば本望なのである。
参照:
脳冷却利かず思わず暴発 [ 生活 ] / 2008-06-11
クレーマーの楽しみ方 [ 雑感 ] / 2008-04-22
自由や世界観の体臭 [ 生活 ] / 2008-04-17
だから高圧的な態度をとるのは苦手である。それでも何度かは脅しととられたこともあり、一部では評判も悪く、良い関係を潰してしまうこともある。
最も苦手なのは、科を作った雰囲気を持った場で怒鳴りつけることである。それでも、ドイツの語学学校のテキストや仕事仲間のアドヴァイスを受けて、銀行などではカウンターをガツンと叩くことは ― なにも銀座の気取ったお店ばかりでなく ― しばしばある。銀行などで大声を出すと、どうしても保安関係の者もさっと動き出す。友人のためにBMWの支店まで地元の警察を出動させたことも一寸自慢である。しかし、私のような小心ものは、そのような必要性があると、完璧に感情をコントロール必要があるのだ。
「どやす」の意味の中で特に京都方言としてあるものは教育上の効果を意味しているようだ。だから、出来るだけ教育的効果を考える私の言動は、その「どやす」に近い。
さて、今年はルフトハンザにクレームをつけて大変丁寧な返答を貰ったが、少し触れたように最も信頼おけると思われているドイツェバンクをも強く叱った。こうした場合、税務署との関係もありこちらも幾らか都合の悪いことがあるからこそ、余計に当方も過敏になるのだが、正式な苦情としてフランクフルトの顧客センターに回された。
たいした問題ではなかったが、同様な送金の間違いなどの誤りが過去にもあったので、今回は先方の手違いが書類上証明出来て、尚且つ何時ものように他の支店の非をもなかなか認めない態度に、本気で「どやす」必要が出てきた。
そこで、気の毒にも非を認めないおばさんが顔色を失くすほど叱責する事になり、勿論感情的なしこりは残るが、それなりの成果はあったとみる。教育的な指導になったかどうかは今後の様子をみなければいけないが、金融機関が人の金をたとえ小額でも間違っては信用問題である。こうした場合い、「即刻、返済しなさい」、「きっちっとした仕事をしなさい」と、先方が行内の全ての客が一斉にこちらに集中するように怒鳴らなければいけない。
こうした組織相手にたとえ矢面に立つ相手が組織の中で小さな歯車であろうが指導をするのは良いが、一度失敗したことがある。それは、少々顔見知りになっていた事で、掃除婦のおばさんに指導をした時のことである。これは指導が、侮辱したとなって、親方が訪ねて来たが、そのものの言い草が弁明ではなかったので話す機会を持たなかった。それによって、その管理組合と清掃会社との契約は破棄されたが、当方の知った事ではない。だから、先頃も私は順序立てて、管理組合に苦情した。
そのような訳で、あまりお話にもならない相手を「どやし」ても意味はない。だから、ドイツェポストのつまりDHLの若い女性配達員を「どやす」したり「いじめる」ことはないが、中途半端な配達態度は許せない。だからその場で行動を起こしたのは既に述べた通りである。正式な苦情とはいかないものでも行動を起こすのは重要である。その後、他の何時もの郵便小包の配達のおばさんが来た時に、「今日は馬鹿デカイ荷物よ」といって、小包を手渡された。仲間内で大きな話題になったのだろうが、その一部始終はなかなか説明出来ないものなのである。ただ、何か起こす事で教育的な方向へと進むならば本望なのである。
参照:
脳冷却利かず思わず暴発 [ 生活 ] / 2008-06-11
クレーマーの楽しみ方 [ 雑感 ] / 2008-04-22
自由や世界観の体臭 [ 生活 ] / 2008-04-17
アメリカでは苦情を言っても、駄目ですね。基本がなってない。とにかくサービスが悪過ぎる。郵便局はいつも発送先を間違えたり、一週間で届く品物が三週間かかったり、そのたびに毎回苦情を言うんですが、サービスが改善されないですね。態度も高慢で最悪ですし、絶対に謝らないし、逆に喧嘩口調で言い換えされるし。DMVQualityというスラングがありまして、DMVは自動車局で、そこの役所のサービスは、アメリカ一最悪です。客を場の豚としか思ってないんでしょう。だから、店の対応が悪いと、アメリカ人は「あの店はDMVのクオリティー」だと揶揄します。先進国では、もっともサービスが悪いようですし。それも、やはり根本問題は教育でしょうか?
勿論、法的な損害などを法廷で戦う場合は別ですが、客の苦情は明確に示す必要があります。特にこうした世界的なヤクザ組織である銀行や民営化した旧公社などには手厳しくあるべきです。
欧州では各電話局がもっとも苦情とトラブルが多発しています。民営化してサーヴィスが落ちて行くのが、こうした顧客への対応に顕著です。
ドイツ人は比較的従順なので、皆影で文句をいうだけで、本格的に献身的なクレームは付ける人は少ないです。恐らく米国の訴訟社会とは異なっていて、顧客や株主と企業との関係が重視されるのが、伝統的な欧州の姿ではないかと思います。