Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

偽善に満ち溢れたこの世

2015-04-20 | 雑感
土曜日の車中のラディオは過剰医療がテーマだったが、ネットを見ると読売新聞が医療被曝を扱っている。とんでもない強度の被曝値が出ている。100ミリシーベルト以上のCTスキャンが可也施されているようだ。勿論この値は外部被曝であり、フクシマ周辺でのプルームの塵の内部被爆の危険性は避けられている。要するに一回きりの被曝であるが、原発の専門の検査士などの年間被被曝の3ミリシーベルトとは二桁も違う。

これならば高名な山下教授の「気にする人こそ病気になる」が正しい発言となるだろう。CTスキャンを世界一多用しているのは日本で間違いないだろうが、その結果癌の発生率が増えているのか、早期発見で救われている人が多いのか疑わしい。そこで重要なのは、医療の本質とは無関係な税金や保険機構を使っての経済効果であり、役人組織の既得権益権の拡大である。

そうした偽善のような社会構造は世界中のそこらじゅうにあって、東北地震被害の献金集めの行動などにもそうしたものが少なくない。寄付を募って催し物をして、その入場料と献金から当事者に寄付をするというもので、催し物に掛かる費用への寄付金の方が最終的な寄付金よりも少なくなるとすれば、そこに営業が生じているということでしかないであろう。勿論途中で献金に手を着けるということではないとしても、そこにある経済構造はただの献金や寄付という偽善事業の自己満足でしかないということである。

311に関しても、そうした献金活動が福島の子供たちへの被曝を避けるための基金に対してではないというのが、そうした活動を取り仕切っている団体が日本の官僚組織が関連した機関であったりする証拠であろう。そもそも311後にハイデルベルクで講演した在東京独大使は、「日本には、財政的や専門技術的なドイツからの援助などは全く必要ない」と明言しており、それでもこうした活動がおかしな形で繰り広げられるにはそれなりの背後関係があるのである。

二月に日本に手配して四月ごろになって漸く入手した本がある。丸山真男関連の書物である。一冊は、IWJで誰かが紹介していた丸山真男集別集第一集で、東京女子大に寄贈された丸山文庫の中から纏められたもので、昨年の暮れに発刊されている。1933年から1949年の間の出筆に相当していて、紹介者は当時の貴重な時代を伝えるものとして今日への意味を説いていた。パラパラと見ると、流石に書籍の価格とは違い、論文ほどには読み甲斐がないが、公に出来なかっただろう声を聞くことが出来る。驚いたのは、ナチのファシズムと同じ構造をそれに重ねることもなく、そのまま「日本の現状」として述べている事実である。「秩父宮」の保坂正憲の著書での軍部の動きと重ねると立体的に浮かび上がる面もあって興味深い。

もう一冊は、フルトヴェングラー狂の丸山真男に関する本としてネットなどで見かけた一冊であるが、これまたその弟子である著者などを含めて、丸山ゼミナールというものが法学部の中で出来の悪い弟子を集めた抹消のものであったかが明らかにされていて、大学紛争で突き上げれられた記憶がある「大教授」への誤った認識が修正された - 教養学部教授であった訳ではないから仕方が無かろう。その内容も当時のレコード芸術より寧ろステレオ芸術などで見かけたような程度で、その域を一歩も出る内容ではないが、少し懐かしい気がしたのは正直なところである。音楽ジャーナリズムというものが、本来ならば丸山程度の学者の社会科学や人文科学から美学への橋渡しとして存在するのが普通なのだが、残念ながら丸山の音楽好きは趣味の息を一歩も抜け切れておらず、そもそも音楽や芸術へのアプローチがあまりにも専門外でありすぎるのが辺境の地日本のジャーナリズムの限界を如実に投影している。

そうした日本の学術的な未熟な背景も含めて、丸山真男の生きた時代や社会を再構成して、その中での業績や人となりを見ていかなければ、保坂氏ではないが、先人に無礼であり、広く歴史から学ぶということができないというのは至極当然のことであろう。今日現在の視点から歴史的な人物や業績をそのまま論評するのが誤りなのはいうまでも無い。



参照:
待たされても感じる温もり 2014-11-13 | マスメディア批評
「秩父宮」を通した官僚主義 2014-04-06 | 歴史・時事

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