Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

パリとベルリンからの中継

2017-11-05 | 雑感
無料のデジタルコンサートを一週間分を使い果たした。今回は忙しくて殆ど使えなかったが、先ずはルクセムブルクの公演当日の零時過ぎにアップされたピーター・セラーズ演出の「利口な女狐の物語」を観て、最終日にはライヴで「ペトリューシュカ」1947年版、南鮮のウンスク・チンの初演とラフマニノフの交響曲三番を見た。

最初の曲は来年の復活祭で演奏される曲でこれまた先に聞けて為になった。二曲目の新曲は同じ楽器編成での短い曲との制限ながら中々今日的なサウンドで上手に書けていた。賞も獲っているようで、ブージーアンドフォークス出版契約なので、そうかなとも思うが、今まで聞いた南鮮出身の作曲家として卓越していると感じた。今回の極東ツアーに同行するらしい。

放送の伝送状態はあまりよくなく、何もこちらのネットの規格だけでなくて、どうしても込みそうなラフマニノフなどで落ちたので、供給側の問題だろう。いつものことである。お陰でチン女史の曲は完全に聞けた。ただし映像はよくないので初めからあまり観ていない。

前日にはパリからの中継があって、アンサムブルにはいろいろと感じるところがあった。やはり通常の意味ではベルリンのフィルハーモニカーは巧いのだが、その会場の特質もあってか上手に目立たないように管が合わせることもなく、弦も特徴である強い音が先だって、しなやかな合奏をすることはない。それは前日のパリ管の特徴である管でも弦楽奏法でも同じだった。

どうしてもクリーヴランドやゲヴァントハウスなどの合奏との比較になるのだが、結局はキリル・ペトレンコが振る時のようにもう一つ精妙な合奏をしていかないと管と弦は合わせ難いのかもしれない。そう思って、ラトルが内田に合わせるヴィデオを観た後に ― 内田のモーツァルトは更に普遍的な表現に近づいて来ていて、比較するものが見つからなくなってきたほどだが、ラトルの合わせ方には不満を感じた ―、大分以前にペトレンコがベートーヴェンの三番のピアノ協奏曲を振ったヴィデオを改めて観ると今まで思っていたよりも難しいことをしているのが分かった。やはり協奏曲の合わせ方は、棒が自由自在なので、どんなソリストを相手にも絶妙だと思った。

その後に時間切れまでに見つけたのは、ブロムシュテット指揮のブルックナー八番交響曲だった。残り時間がなさそうなので、先ずは四楽章から流して、その後に三楽章、そして一楽章に二楽章を流した。先ごろの誕生日のヴィデオコラージュにも使われたものだが、もはや無視出来なくなった。

早々に前日に発注したモニターのアームが届いた。先ずは寝室の机に取り付けてみる。気になっていた机への設置は無理があったが、奥においてあるガラス張りの置き机に設置出来た。予想していたよりも足などが大きめで、書き机に設置すると邪魔になるので丁度良かった。先ずは、仮にモニターを設置して、使えるかどうかを試してみよう。予想以上にパイプも太く、足元もしっかりしているので、送り返す必要はなさそうである。



参照:
細い筆先のエアーポケット 2017-11-03 | 音
いぶし銀のブルックナー音響 2017-10-31 | 音
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする