Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

引導を渡す線香の刹那

2016-08-08 | 文化一般
湿度計が予想以上に敏感な反応をする。朝のシャワーで20ポイントも急上昇した。それに引き換え温度計は若干上昇したかどうか程度で予想とは大分違っていた。蒸気による湿度温度の変化は、湯沸かし器の吹き出し口のそれを印象していたからで、実際は上部に隔たりが30CMほどあると気化熱が奪われるのか、このような結果となった。また湿度が下がっていくには30分一時間という時を有した。要するに如何に湿度管理が重要かということだ。恐らく冬期ならば、もしくは湯船を使うと事情は違ってくるかもしれない。

土曜も冷えて森の中は摂氏18度ぐらいで、走り易かったが、峠登りの2キロを過ぎるころから汗が噴き出した。木曜日に沢沿い往復、火曜日に短く、そして最後に日曜日の8キロコースと結構走った。最近は柔軟体操をしてから走っているので走り出しの足取りは軽いが、疲れが残っていることも分かった。テムポが乗らない。但しスキーで膝を痛めてからもう一つだったところは大分元通りになってきた感じだ。15キロぐらいは走れたか。

膝の状態もあってか降りが早くなって来た。位置エネルギー少しずつ前進力に繋げる方法が分かって来たかもしれない。印象としては胸元が少し負担が掛かる感じで、腰から上の胴の中の全体の筋力で上下動を前へと変えるバネである。体幹力のバネ力といった感じだ。これを使うと心肺系に負担が掛かるのだが、丁度いい具合に掛けると長続きしてテムポを保てる感じだ。登りは相変わらず冴えないが、降りにスピードが出ると心肺系に登りと同じように負荷を掛けながらの長めの運動が出来るようになる。そして総合タイムが縮まる。

蚊取り線香の洗濯バサミのタイマー機能を習って、早速書類封筒留め金具を使って試作してみた。実験すると完璧に火が消えた。今まで就寝時に使ったのは一回でそれ以降は使っていないが、これほど頼りになるタイマーはない。自作タイマー機構を使うのは何時になるのか、来年になるのかどうかも分からないが、これで安心だ。わざと夕方に窓を開け放って誘き寄せてみたい誘惑すら覚える。

この線香が消えていくというので直ぐに思い浮かんだのが上方噺の「たちぎれ線香」である。故桂米朝と故桂文枝の二系統があるようだが、前者もこれまた故吉朝が十八番としていたようだが、晩年の米朝の語りを観て、とてもではないがこの域には誰も届かないと思わせた。そもそも色町のタイムキーパーとして線香を使うというのも面白いが、なぜだがあまり一般的な風習として残っていなかったのは何故なのだろうか。所謂人情もので、若干怪な趣もあって、また近松もののようなものもあって落語としては長い語り物で、江戸前の人情噺とはまた異なるくどさもある。もともと米朝落語は、この話においても淡々と進めることで、そうした嫌味が少なかったが、この晩年のそれを観ていて驚いた。要は、落ちの「線香」が切れることで意味するのは課金の料金切れを意味する訳だが、今までこれほど落ちが鮮やかだった印象がない。演者の枯れた印象とその時間切れがしっくりと同調していて、これでまさしく花代を払ったお客さんにも、皆に引導を渡すような鮮やかな落ちとなっている。幾つ聞いたか知らない米朝落語の頂点のような至芸だ。もう一つの驚いたのが小文枝から文枝になっていた晩年のそれで、どちらかというとその苦手なしつこい語り口がとても抑えられていて、何よりもその様々な登場者の語りが戯曲のような広がりを見せていて、語る一人一人の腹の内や真意を考慮させる噺になっている。要するに安っぽい感情移入など無しにその舞台設定を思い描かせるような見事な叙述となっているのだ。しかし、この話の流れを見ると、蔵に軟禁されるのも100日と非日常のそれになっていて、女が恋文をせっせと頻繁に書き、その恋煩いも刹那に描かれているのである。米朝の芸の見事さが分かるだろう。関連:高尾死神



参照:
間に合った、金鳥の夏 2016-08-05 | 暦
柱のお札のようなもの 2016-08-06 | 生活
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