箕輪城は1512(永正9)年、長野業尚によって築かれたのが始まりとされます。
やがて上杉謙信が後ろ盾となると長野氏は西上野を束ねる旗頭的存在となり、武田氏や北条氏の侵攻を何度も防いでいます。
箕輪城も戦場となり度々攻防戦が繰り広げられましたが1566(永禄9年)武田軍の総攻撃で遂に落城し奪われてしまいます。
武田氏が滅ぶと北条氏、滝川一益、北条氏と入れ替わり、1590(天正18)年徳川家康の重臣である井伊直政が12万石で入封し、近代的な城郭に改修されました。
日本百名城のひとつでスタンプは高崎市役所箕郷(みさと)支所に置かれています。なお、土日祝でも休日窓口に置かれており対応してもらえます。
支所のすぐ隣には旧下田邸があります。
下田氏は長野氏のもともと重臣で、江戸時代には代官をつとめた家柄です。
なお、庭園は堀部安兵衛が作庭したといわれています。
箕輪城は小高い丘を利用した平山城です。
二の丸は、公園になっておりここに駐車しました。
ボランティアの方からパンフレットをいただきました。
復元想像図
馬出
本丸防衛のためにテラス状に突き出た部分ですが、現地の見てもわかりにくかったです。
本丸
周囲は土塁に囲まれています。
御前曲輪
本丸に隣接しており、長野氏は籠城の際、ここで自害されているので精神的要の場所であったと推察されます。
御前曲輪奥にある井戸
昭和2年、豪雨のため一部地盤沈下して発見されました。
深さ20m、この中から長野氏累代の墓がでてきたそうです。
最期の時、破壊を免れるためにほうり込んだのでしょうか。
大堀切り
土橋
城の中央部は、深い堀で南北に分断されています。
それをつなぐのは細い土橋のみです。
これは片方失ったときももう一方のみで戦闘を続けられるようにしたもので「一城別郭の城」とよばれているそうです。
郭馬出
大型の馬出でここに兵を集結させて一気に打ってでるようになっていました。
木俣
井伊氏の重臣の屋敷があったとされているところです。
林の向こうが三の丸です。
箕輪城にはほとんど石垣が使われていませんが、三の丸の側面と入口とだけは観察することができます。
1598(慶長3)年に箕輪城は廃城になりました、木材は新しくできた高崎城に利用されたと言われています。
したがって、今となっては土塁・堀切・石垣から当時をしのぶしかありませんね。
箕輪城
住所:群馬県群馬郡箕郷町西明屋字城山
高崎市役所箕郷支所
住所:群馬県高崎市箕郷町西明屋702番地4
なかなか玄人好みの城跡のようですね、このような所にまで堀部安兵衛が出てくるとは意外です!人の仇討助太刀したり、主君の仇討したりかなり元気な方だったようです、かなり空いていたようですねぇ、人気が無いのでしょうか?
私も、こんなところに行って歩かなきゃ。
秋分の日でしたが出会った観光客は3名でした。かたや、翌日訪れた春日山城では何百人という人がいました。知名度の差なんでしょうか。
堀部安兵衛が庭を造ったというのは眉唾物と思っています。遊びに来たとき、「もう少し池を小さくした方が良い」とかアドバイスをした程度じゃないでしょうか。
城廻りは結構歩きます。初心者の頃は天守閣見ておしまいでしたが、今は各郭や堀も歩いてまわりますし、城下町を歩いたりするようになりました。坂道に強くはなりましたが、月1回程度なので痩せません。むにゃあさんはアンテナと無線機を持って歩き回れてはいかがでしょうか。
興味の無い人にとってはただの公園みたいな感じなのかなぁ、と。
地形や土塁、石垣などを見ながらかつての姿を歴史と共に想像するのがロマンなんでしょうね。
私にはなんだか分かりませぬ(-_-;)
やはりこっち方面では新発田城ですな。
プリウスのナビ検索で出てこなかったくらいですから一般的な知名度は低いです。駐車場へ向かう道も細いですし、秋分だというのにけっこう虫がいました。人が少なくて怖いくらいでした。
自分は城廻りにおいてはまだ中級者だと思いますが、土塁・石垣・郭の形から当時を想像し、楽しむことができるようになってきました。
上杉・武田・北条・徳川と何度も主君を変えておりそのたびに合戦を経験している歴史を重視していると思います。高崎は歴史ある町ですが高崎城は遺構が少ないためこちらを選んでもらったという大人の事情があったのかもしれません。新発田城も百名城の一つですからそのうちに訪れたいと思っています。
石垣が出てこなければ、城跡と言われても“はったり”だとしか思えない写真ばかりですね。
これらの写真から当時の様子を想像できる人がいたとしたら、私はその方を「病人」と呼ぼうと思います。(笑)
でも、歩いて散策するのは良さそうな所に思うのですが、今は膝の傷が痛くて、こちらも想像できません。
こちらは暑くも寒くもなくさわやかなそよ風がそよいでいる絶好のツーリング日和です。といいながら、休日出勤で現在職場であります。11-11さんの代わりに遊びに行けず残念です。
現地では、堀切はもっと深く、郭の周りが土塁に囲まれており、解説を見ればなるほどと思えると思います。しかし、この雰囲気を伝えられる写真を撮るのは難しいです。
病室とはいえ、快方に向かった最後の仕上げなのでしばらく我慢ください。