
日常生活の中で聖霊の働きが多くあることは、かなり確かな事象であることに気がついた。
私は、今までは、聖霊は我々の外部のどこからかやってくるものと考えていた。
聖霊が働いたと思われる事象が起こった時に、やはり信者である母に話すと、それは、単なる偶然に起きた事象ではあるが物事を良い方向に解釈することではないかとの返事をもらった。しかし、私は、やはり聖霊の働きと考えたかった。理由は、聖霊の働きなら神への感謝の気落ちが働くが、偶然の事象では感謝の気落ちが起きないではないか?
最近、私は、茂木健一郎氏の「ひらめき脳」を読んでいて、はたと気がついた。
母の言う「物事を良い方向に考えること」が聖霊が働く動機付けになるのではないかと。また、「物事を良い方向に考えること」が無ければ、例え聖霊が働いてもそれに気がつかないのではないかと。
我々の外側の事象は、神の御手の中に有り、人間が思うがままに操ることはできない。「物事を良い方向に考えること」は、自分の中のことであり、自分がコントロールできる範囲にある。
「物事を良い方向に考えること」の準備ができていなければ、聖霊の働きを見落としてしまう。
したがって、聖霊の働きは、我々が「物事を良い方向に考えること」が、大前提になっている。
キリスト教信者は、イエスにより、神が必ず見守っている、助けてくれるという前提があるために、「物事を良い方向に考えること」ができている。だから、聖霊の働きもまた多いのではないかと考えた。
だから、聖霊は、我々の外部のどこからかやってくるものではなく、実は我々の心の内部にこそあったのだと気がついたのである。
これを読んだ方、ご意見いただければありがたい。
私は、今までは、聖霊は我々の外部のどこからかやってくるものと考えていた。
聖霊が働いたと思われる事象が起こった時に、やはり信者である母に話すと、それは、単なる偶然に起きた事象ではあるが物事を良い方向に解釈することではないかとの返事をもらった。しかし、私は、やはり聖霊の働きと考えたかった。理由は、聖霊の働きなら神への感謝の気落ちが働くが、偶然の事象では感謝の気落ちが起きないではないか?
最近、私は、茂木健一郎氏の「ひらめき脳」を読んでいて、はたと気がついた。
母の言う「物事を良い方向に考えること」が聖霊が働く動機付けになるのではないかと。また、「物事を良い方向に考えること」が無ければ、例え聖霊が働いてもそれに気がつかないのではないかと。
我々の外側の事象は、神の御手の中に有り、人間が思うがままに操ることはできない。「物事を良い方向に考えること」は、自分の中のことであり、自分がコントロールできる範囲にある。
「物事を良い方向に考えること」の準備ができていなければ、聖霊の働きを見落としてしまう。
したがって、聖霊の働きは、我々が「物事を良い方向に考えること」が、大前提になっている。
キリスト教信者は、イエスにより、神が必ず見守っている、助けてくれるという前提があるために、「物事を良い方向に考えること」ができている。だから、聖霊の働きもまた多いのではないかと考えた。
だから、聖霊は、我々の外部のどこからかやってくるものではなく、実は我々の心の内部にこそあったのだと気がついたのである。
これを読んだ方、ご意見いただければありがたい。








