レンブラント・ファン・レイン(1606-1669/オランダ絵画黄金期)の次なる絵は、画家が愛して已まなかった妻サスキアを描いた 「フローラに扮したサスキア」(1635年/124 x 98 cm)。
画商ヘンドリック・ファン・アイレンビュルフの家で、ヘンドリックの親戚の娘で当時20歳だったサスキアと出会ったとされるレンブラント。
サスキアは、地方都市の市長を務めたことのある父の死を機にアムステルダムに出てきていた。
若干内気ながらも、教養高く華やかな雰囲気をもつサスキア、ふたりは瞬く間に恋に落ちたとされる。
1634年夏、幾つかの障害を乗り越え、彼女の故郷フリースラントで結婚式を挙げた。
この結婚は、ライデンのアウデ・ライン(古いライン川)畔に風車を所有する粉屋の息子にとって、社会的な地位を上げる役目も果たしたようだ。
そのサスキアとの愛に包まれた日々も長く続かなかった。
一子、二子を失い、三子ティトゥスの出産後、床についてしまったサスキアは42年の初夏、30歳の若さでこの世を去る。
この辺りを境に、レンブラントの華々しい画業に陰りが見え始める。
サスキアとの10年足らずだが満たされた暮らしの中で、愛する妻をモデルに数々の傑作を描いている。
そのひとつである 「フローラに扮したサスキア」(上)は、レンブラントにとって黄金時代(1632 ‐ 42年)と呼ばれる35年、つまり、結婚の翌年に描かれたとされている。
この絵は当初、旧約聖書の聖女ユディトが描かれ、その制作途中で花と美の女神フローラへと変更されたことが判明しているらしい。
ちなみにフローラとは、ローマ神話に登場するの花と豊穣と春の女神。
ユディトは、以前に小ブログでも取り上げた記憶があるが、ベトリアの町を包囲したアッシリアの将軍ホロフェルネスの陣をヘブライ人の美しい寡婦ユディトが訪ね誘惑する。
ホロフェルネスが酔いつぶれたのを見計らったところで首を刎ね、ヘブライ人は敵を打ち破ったという。
余談だが、バロックの鬼才カラヴァッジョ(1573-1610/イタリア)。
人間が持っている暴力性と残虐性は、女性と雖も例外ではないということを、「<ホロフェルネスの首を斬るユディト>」(ローマ国立美術館蔵)で、劇的なまでリアルに表現している。
話を戻して、なるほど本作、右手に剣らしき杖、左手に花を持ち微かに笑みを浮かべ画家を見詰めるサスキア、圧倒する存在感を漂わせている。
彼はこの作品の前年、本作のヴァリアント・異同作品 「春の女神フローラに扮したサスキア」(下/1634年/125×101cm/エルミタージュ美術館蔵)を描いている。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.822
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