自宅前の消防本部、掲揚ポールの半旗が折からの強い風にはためいている。
阪神淡路大震災から22年目のこの日(1/17)、五年目の検査の結果を聞きに病院に向かった。
11年の秋、イスラエル巡礼中に違和感があったが、大したことはないと高を括っていたら翌年の正月、七草粥の頃になっても<不快感>が治まらず病院へ。
大腸など二回の手術、三月毎の定検、間にイレウス・腸閉塞で二回の救急搬送と入院、主治医が退職のおまけもついて漸くこの日を迎えた。
当節、珍しくもないこの病だが、途中、彼女 を失う痛恨事や術後遺症もあり、フィジカルもメンタルも痛手を負った。
で、結果はどうって? 主治医のK先生から 「(転移のリスクが高い)肺も肝臓もキレイ」との言葉。
一足早く春が来たようなと思ったら、血中の<CA19‐9>が少し基準値を超え<膵臓に影>もあって 「専門のY先生と相談、6月後に様子を見ようとなった」と続き、今夏一年半振りに<MRI>を撮ることになった。
何だか、半年の先付け卒業証書を貰ったみたくでもある。
それはそうとしてこの病、完全寛解したとしても、白色に黒色を落としたようなもの、元の白には戻らないように聊か癪に障る、まあ、気長に付き合っていくしかない。
それはとも角、お仕舞に 「次回からY先生が担当」とのこと、三割打ったが打点が少ないとトレードに出されたプロ野球選手の心持がしないでもない。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1247
これからもカタリナさんが見守ってくれてますよ、大丈夫!