遅れてきた愚者の野暮な一言

企業で海外を担当した後、病院に転身。そこではじめて(?)社会や人について考えるようになった愚か者の言わずもがなの雑記帳。

IT、FT(金融工学)の次に来るもの

2009-09-04 18:51:23 | 医療

非常に多くの著作を続け、精神科医、映画監督で更に経営者でもある和田秀樹氏のブログ『和田秀樹オフィシャルブログ「テレビで言えないホントの話」』の200994日付け記事「病理医の不足、研究医の不足」 http://ameblo.jp/wadahideki/day-20090904.html に《私はかねがね、ITの次のFT(financial technology金融工学)の次は、BT(biotechnology)だとにらんでいる。これが遅れているのは国家的な損失だ。》との記述があった。

まさに、これからは医療と健康がビジネス、そして国家戦略としても大きな意味を持ってくると思う。よく言われることだが、時間や死は誰にも公平である。そして、どんなにお金を持っていても、最後に求めるものは健康(若さや美を含む)を保つことであり、そしてできるだけ苦痛や死から逃れることなのだ。

本ブログにおいても、繰り返し述べてきたことだが、現代社会の大きな問題の一つは価値観の経済的価値への一本化にあることだと思う。例えば日本においては、戦後価値観の多様化、自分らしさの尊重などが叫ばれてきた。しかし、その一方でライフスタイルなど様々な分野がアメリカナイズされた結果、金融資本主義的な価値観までもが蔓延するようになり、その他の価値観をほぼ駆逐してしまったのである。

そしてもう一つの理由は論理、論理的思考への偏重があるのではないか。

今一度私たちは、様々なお金では変えない何か-これを論理的に説明することは難しいであろうが-の価値に目を向け、人生における価値というものについて改めて考え直す必要があるのではないだろうか。

そして、これを実現するには、BT(たぶん和田氏も同様だと考えるが、医療や健康を含んだいわゆるバイオテクノロジーよりも、もう少し広い概念を念頭にする)を担う人たち、特に人々の生命、健康を守る医師をはじめとする医療従事者が「金銭でない何か」のために頑張るということが、大切だと思うのだ。

それは、生命と健康を守る最後の砦ある医療機関では、金銭で差別されないということを示すことである。

色々な考え方はあるが、人の人格、教養、これまでに成し遂げてきたこと、そして何よりその人の生命の価値は、その人が今持っている金銭には関係ないのではないかと思う。そして、医療機関という他の何にも代替できない生命・健康を取り扱う場所でさえ、そして生命の取扱でさえ、金銭で差別されてしまうのは、許されないのではないかと思うのだ。(注)

こういう姿勢を貫くことが、多くの人に「本当に大切なものは金銭だけではない」、「金銭では買えないものがある」という確信を抱かせるのではないか。そして、それを続けることが、価値観というモノサシの経済的価値への一本化の流れを止め、真に多様性のある社会を築くことになるのではないだろうか。


(注)個人的には、傷病の発病あるいは受傷後は、公費で差別なく医療が受けられるべきと考える。
一方、発病前の健康診断などの医療サービスの利用料は自由診療として、高価であってもラグジュアリーなサービスを望む人にはそうしたサービスを提供することについては問題ないと思う。
また、医療費の一部の本人負担については、国民が公費医療という考え方をきちんと理解し、行動できるまでは必要とも考える。