狼少年の楽描き帳

狼少年の楽描き帳「制作ノート」since 2005/06/17からのお引越し。今やほぼ雑感日記ですね。

ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙(上巻)その2

2017-03-07 | 書籍

ようやく上巻読了です。長かった~ 読みやすいんですが「う~ん。それの意味は…」と引っかかりまくりで、何度も何度も同じ箇所を読み解く必要がありました。

なんとか、ソクラテスまでは「まぁ、そう言う見方もある」と納得できたのですが、プラトンでつっかえました。「イデア」の解説が理解不能。

数学を例にして「理性で考えられることが『たしかな知』だ」と言っているのですが…

「短くまとめてみようか。知覚するものについて、あるいは感じるものについて、ぼくたちはあいまいな意見しかもてない。けれども、理性で認識するものについては、たしかな知にたっすることができる。三角形の内角の和は永遠に180度だ」

「もう1つの部分は「イデア界」。これについては、理性を働かせれば、ぼくたちはたしかな知にいたれる。イデア界は、したがって感覚ではとらえられない。また、感覚界のものはとは対照的に、イデア、つまり型は永遠で不変だ」

???? 目で見えるものが「確かな知」を持てない理由が「すべての物質が変化し、うつろうものだから」と言うのに、数学の概念でしかない「三角形の内角の和が180度」と言うのを対立に持ってこられても、意味が分かりません。それは「数学のお約束」(前提条件)だからであって「絶対普遍なこと」とは言えないのでは?

確かに「数学の概念」は今現在人間が認知する世界では「不変」ですが、それでもあくまで「概念」です。人間の「社会通念」でしかないのでは? 「頭の中で推論したこと」=「理性」ならば、わかるのですが、「理性」=「概念」ではないでしょう。「概念」はあくまで「知覚した事柄のエッセンスをまとめたもの」でしかないのです。

また「感覚的なものが、全て確かでない」と言うのも「ちょっと違う」と思います。確かに、人間は「錯覚」や「誤認知」をするし、「無意識の修正」や「補完」を行います。それでも「知覚」しないことには「推論の判断材料がない」ことになります。

デカルトの説明でも同じです。

「ぼくたちが感覚をとおして外の現実から受けとるすべて、たとえば太陽や月なんかもふくめた、なにもかもはただの夢かもしれない。色とか匂いとか味のような『質的特性』はぼくたちのあいまいな感覚器官に結びついて外の現実なんか表していないんだ。でも外の現実にも、ぼくたちが理性で認識できる特性はある。それは数学に関わるもの、つまり長さとか幅とか高さとかの、計ることのできる特性だ」

と「数学の概念」が「理性で考えられること」だからと力説されますが、「受動器官である感覚器官を通してしか、人はそれを認識できない」以上、数的な「測量」も「夢」の可能性は否定できないと思うのですが…

前提事項が「あやふや」過ぎて、何とも納得ができません。

また、デカルト以降は「常に神の存在」を絡めていて「論理の飛躍」があるように感じるのは、私だけ?

デカルト・スピノザ・ロック・ヒュームまでもが「神は存在する」と「論理の飛躍」があるのは… キリスト教圏って「そこまで、宗教が絶対的な存在だった」のでしょうか?

まったく、もやもやが尽きません。

他の書かれていない点でも、不思議があります。

ソクラテスやプラトンが「女性は男性と同じように理性的」と思っていたと言うのですが、クサンティッペの話を知って居るだけに、かなり不思議。それとも「最強の女性」だったのでしょうか? 1周回って「認めざるを得ない」ということ?

それでも、かなり面白い本であることは確かです。下巻が楽しみです。

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