落とし葉 -追憶の章-

つぶやきをそっとかみしめていければいいな。
きみのも、ぼくのも。

落ち葉のように言葉をおいていきます。

手放す愛を。

2016-10-08 23:53:24 | Weblog
「なんてきれいな瞳…」

「生まれる前はみんな天使だからね」

「この子は何の犠牲になるのですか…」

「そう…だが犠牲などではないよ
この子が望んだことだ…連れ戻す時ももう決まっている」

「どうか…その子を抱きしめさせてください」


「…さあ 手放す時間だ…こちらへ」

「ああ…雪の降る場所なのですね…せめてこの子のまわりが温もりで満たされるように祈らせてください…」








ああ どうか許してください
彼は自分で何をしているのか分かっていないのです
何が善いもので
何が害するものかを理解していないのです
見かけにとらわれて
本当に大事なものが何かをまだ見つけていないのです
大切なものを探す旅に出る勇気をまだ持っていない子どもなのです
自分を大切にすることは
傷つくことから守ることでなく
人よりも自分の欲することを選ぶことでもなく
まして人をないがしろにすることではなく
むしろ人を大切にすることこそが
自分を大切にしていることと同じことだということに
まだ気づいていないのです
どうかお願いです
もう一度チャンスをお与えください



その願いはもう何百回となく聞いている
それでもまだチャンスが必要なのかね
それとも七百一回目に彼がそのことに気づくという確証があるのかな
いいかね
誰でもこの世に存在しただけでもう十分役割を果たしているのだよ
そのことを彼の魂は知っている
魂が傷つくことは決してない
あるのは自由に選択する機会だけだと
全ては彼自身が選択していることだ
手放すのもまた愛なのだよ




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4 コメント

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おはようございます (たにむらこうせつ)
2016-10-09 10:38:09
手放すのも愛。心に沁みました。
愛は深くて大きい・・・私は簡単にはかたれません。
素敵な詩をありがとうございます。
みんなのブログからきました。
私も詩を書いています。
たにむらこうせつさん (PEN)
2016-10-09 17:26:52
コメントをくださり、どうもありがとうございました。
心に響く言葉でお褒めいただいて、とても嬉しいです。
愛を込めて手放すこと、なかなか難しいこともあるでしょうね。
自分のものと思っていたものは実はそうではないということはなかなか受け入れがたいものです。
数字に関する質問です (BigJet)
2016-10-27 16:52:37
どうして七百一回なのでしょうか
気になります
よろしければ、教えてください。

ありがとうございます。
BigJetさん (PEN)
2016-10-30 22:45:20
BigJetさん、初めまして。ご質問にお答えします。
気になされている数字の件ですが、恣意的なものですので、一般的には特に意味はありません。
ただ、詩の中においては、次のように意味を持たせています。突飛な考えに聞こえると思いますが、聞き流してくださいね。

輪廻転生というものについて、個人的な考えですが、人間がもうそれ以上「生」を必要としなくなる「生(人生)」の回数を700回程度と思っています。
しかもそれは生を極めようと真剣に求道してきた魂の場合です。そうでない場合は800回とか900回とかも選ぶことがあると思います。
そもそも人間という存在が魂の願いの現れだとして、人間としてのいろいろな側面を十全に経験し、存在を超えて進化していくためには、一度の生涯だけでは不可能です。
なお700というのは、単なる転生だけでなく、九死に一生を得た時に起こる代替現実への移行や魂の兄弟たちの経験も含めてだとしています。
そして、この詩においては701回というのも、チャンスがあれば必ずそのゴールに到達できるというわけではないということ、
どんなに人生は人の助けがあろうとも最後は自分で自分を導かなければならないのだということを言っている設定です。

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