日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

旧會津八一記念館の活用を!

2014-08-15 20:30:01 | 文化考

「風土に配慮し理念表現」・・・モダニズム建築を考える

猛暑の7月、久し振りに訪れた新潟で「風土と建築の存在・モダニズム建築の抱える課題」と題した講演をさせてもらった。
主題は会場の砂丘館(新潟市中央区西大畑、旧日銀支店長宅)から海に向かって少し歩いたところにある旧會津記念館の、長谷川洋一という新潟の建築家が設計した建物の保存・活用である。

1881年(明治14年)に新潟市古町に生まれた會津八一は、早稲田大学に学び1931(昭和6)年母校の文学部教授に就任。仏教美術史論文によって博士号を得、秋艸(しゅうそう)道人」と号し、歌人、書家として歴史に名を刻んだ。新潟の名誉市民でもある。
この功績を後世に伝えようと75年に開館した旧會津記念館が耐震の問題などがあるとして先ごろ、新潟日報メディアシップに移転した。

館を設計した長谷川洋一は人との交流を望まなかったようで、建築界でも新潟の人々にもさほど知られていないが、建てられた2年後に発行された會津八一記念館報第2号に、設計に当たっての理念と建築への思いを率直な言葉で述べている。

「此の建物が、會津先生の作品の収蔵展示のみを行うとの事で、それにふさわしい力強さと格調高いことが望まれると共に、敷地周辺の自然環境に対して違和感の無いよう心掛けた。外壁の大半を日本古来の漆喰色の感じに近いものとし、軒先の黒、及び軒の出の深さと二階部分のせり出しにより重厚さと陰影を強調した」。
そして潮風に配慮して良質で強度のある壁厚を厚くしたコンクリートをダブル壁で施工したとする。

長谷川は、八一の心根を託した人々に応えたのだ。

1920年ごろからほぼ世界同時に発足した近代化運動で生み出されたモダニズム建築(近現代建築)は世界共通の建築言語を駆使して建てられたとされ、ともすればその時代の産業形態や最先端の技術を取り入れることが主体で、土地の風土に配慮することが無かったと思われがちだ。
だが、実はその地の気候風土を汲み取り、新しい時代を伝える建築意匠にトライしてきたことに長谷川の言葉は気づかせてくれる

明治に生まれ新しい時代を築いた會津八一の記念館をつくるに際し、長谷川は木造の民家や町家などに範をとるのでは無く、新しい時代にふさわしくこの地の気候風土に即した建築を建てた。 
駐車場が少ない、老朽化したとも言われているが、駐車場の無い砂丘館が間断なく使われている。
記念館は既に耐震診断もなされ、改修の検討もされたと聞いた。もし改修することになったら、委員会を設置するなどこの建築の価値を損ねない仕組みを考えてもらいたい。
新しい記念館とリンクし、例えば茶室をつくって茶を戴きながら會津八一の軸を味わう。大きな和室をつくり、句や歌を詠み地元の偉人に思いをはせるのもいい。人々の思いのこもったこの建築を使いながら八一の真髄を味わうのだ。

講演のあと再訪した、松の樹の影が白い外壁を彩るこの建築の姿に思わずため息が出た。新潟の砂丘地に此の建築の在ることを私は忘れない。

<この一文は、7月20日(土)砂丘館で講演したことを受けて、新潟の日刊紙「新潟日報」文化欄に掲載してもらった僕の書いた一文です。文化部デスクの許可を得て記載しました。早大には、今井兼次の設計した旧図書館を會津記念博物館として設置されていて新潟とリンクしながら活動をしていますが、そのパンフレットをいただいて会場の方々に配布しました。市長は解体を表明しているとのことですが、改めてこの記念館の果たしてきた役割とこれからの新潟文化に思いを馳せて、使い続けることを考えていただきたい。切なる願いです。>

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