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闘病記 6



 目を開けてから3日目。
検診で主治医が「順調」と言った。
「どんな些細なことでも、何か感じたことがあったら必ず言うように」とも言った。
先生は診断もしないで、どうして順調って分かるんだろうと不思議だった。

 午前中、リハビリ担当のYさんが来て、また体を支えてもらって歩いた。
今度はICUの右側半分を歩いた。

 隣のベットの男性が屁理屈を言っている。
その屁理屈がとても可笑しい。
私はクスクス笑った。
屁理屈が続いている間中クスクス笑った。

 別の男性の怒鳴り声がした。
「言うことをきかないなら、言うことを効く注射をするぞ!
病院ってところは信じられないような事を平気でするところなんだぞ!
嘘だと思うんならやってやる!」
病院でそんなことを言っていいのだろうか。
真面目に患者に喧嘩を売っている男性に私は声を立てて笑った。
「あんたの名前はなんていうんだ」
ベッドの男性が訊いた。
一呼吸おいて、
「千島です」
「あ、千島列島の千島?」
「そう、千島列島の千島です」
カーテン越しに気まずい二人の沈黙が続いた。

 怒鳴った男性がバツ悪そうに私のところに来た。
稲垣吾郎さんのようなヘアースタイルをした30歳前後の男性である。
名前を名乗り知能テストをするという。
そしてなんと言ったか忘れたが、言い訳のようなことを言った。
私が可笑しかったと言うと、端にいる女の人はもっと面白いよと言う。

 問題が出された。
忘れてしまったがGMPだったかそれに似たようなアルファベットを言った。
私は答えられなかった。
次に「グローバルについて」と言う。
私はちょっと考えて、「分かっているけど面倒くさい」と言った。
答えを待ってくれる様子だったが、「分からないことにしてちょうだい」と言う。
次は「円高について」という問題。
「それぞれの国家には通貨というものがあって」と答え始めると驚いたように顔を見た。

 問題の中に『芭蕉録』というのがあった。
「録」は記録の「録」かと訊くと、そうだという。
「聞いた事ないな〜」
考えたが分からなかった。
後で考えて、もしかしたら『奥の細道』とかそんな解答なのではと思った。
でも、それなら問題の出し方が分かりにくい。分からなかった。

 家族が面会に来た。
息子が「おみやげ」と言って東京でしか売っていない『韓ファン』を差し出した。
剛君の連載が載っている新聞である。
昨日、『ママにはおみやげないよ」と言っていた息子だった。
容体を気遣いながら『韓ファン』を買った息子の気持ちが、痛いほど伝わってきた。
入院中にまた『韓ファン』が届いた。
退院してからも『韓ファン』が届いた。
傍にいないから、こんなことしかしてあげられないと言う。
そんなことはない。息子からは多めの見舞金をもらっていた。
そして今月も。
「顔を見せに行こうと思ったけど、春休みで航空チケットが高いから行ったつもりで」
と、またお金を送ってくれたのだ。

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病状記 5



 4日目は私が目を覚ましてから2日目になる。

 面会時間は午後3時からです。
私のベッドを見つけて、母が泣きながら私に駆け寄ってきた。
私は母に会えたことが嬉しくてニコニコ話しかけた。
「心配した」と私の手を握って母は涙をぬぐった。

 話しているとき、ベッドの前を東京で会社勤めをしている息子が通り過ぎようとした。
「あら」と言って息子の名前を呼ぶと、微笑んで近寄ってきた。
面会は1回2人までだから、夫と次女は団らん室で待っていると言った。
「よく飛行機のチケットが取れたわね」と言うと、
キャンセル待ちを探してネットを見続けていたら「やっと1枚出た」と言う。
雪まつりの真っ最中だったから、航空チケットは早くから完売状態なのだ。

 「せっかく来てくれたのに、元気で期待に応えられなくて悪いわねぇ」
私はニコニコしながらジョークを言った。
息子はちょっと笑って下を見た。
そして、言った。
「元気じゃなかったら帰られないでしょ」
「あっ、そうか」」と私は笑った。

 お正月に来たばかりで、家族のために散在した息子を気遣った。
その気持ちが、
「どんな気持ちで来たの」
不用意な言葉になって出た。
「話したくない」
下を向いて息子が言った。
息子の気持ちが痛いほど分かった。

 時間をおいて、夫と次女がきた。
私は倒れたときのことを話した。
二人は話す私の顔を食い入るように見ている。
うつ伏せだった私が勢いよく仰向きにされて担架に乗ったとき、
一瞬開いた目に夫と長女と次女が心配そうに見ていたのが目に入ったと話す。
驚いたような顔をし、怪訝な顔をする二人。

 ちょっと間をおいて次女が言った。
「そのとき、私たちはそこにいない」
今度はこちらが怪訝な顔をして、
「いたでしょう。三人ともコートを着て」とはっきり見たことを話す。
「うぅん、そのときはいなかった」 
私はそのとき見た三人のことを繰り返し話す。
「ママ、それは幻覚を見たんだわ」次女が言った。
黙って聞いていた夫に確かめると、夫も「いなかった」と言う。

 はっきり見たのに、こんな不思議なことってあるのかしらと心がざわついた。
「あぁ〜、死ぬ時がそんな感じなんだわ」
私は呟いた。
「死ぬ時ってそんな感じなんだわ」
私は二人に向かって何度も言った。 

 夜、息子と長女が来たとき、長女にそのことを確かめると、
やはり長女もその場にいなかったと言う。
「死ぬ時ってそんな感じなんだわ」
私は又言った。
「どうしてそこに僕がいないの?」
息子が笑って言う。
「遠くにいるからという潜在意識からきたものかもしれないね」
言われて気づいて、私は息子に申し訳ないと思った。

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病状記 4



 4日目午前中、私のリハビリを受け持つことになったとYさんという男性トレーナーが現れた。
脚や足を触って痛いところはないかと訊く。
どこも痛くないと言うと、脚を丁寧にマッサージし、足の指を曲げたり広げたり、
足首をグルグル丁寧にまわしたりした。
そのあとで、
「さぁ、立ってみましょう」と言ったからビックリです。
「うちの病院は他の病院より早いんです」と言う。
体を支えられて床に立つが、目が覚めて2日目の私の体はグラグラした。
しばらく支えてもらったあと、どうにか一人で立てた。

 「このまま、ちょっと歩きましょう」
トレーナーの言葉に又ビックリです。
体をしっかり支えられて、ベッドの中央から足元の方に歩き、更に少し歩いた。
ベッドの両側がカーテンで仕切られていましたから、そのとき、ICUの全貌を初めて見た。
患者さんが多くいて驚く。

 午後から、リハビリを受け持っているという女性トレーナー、Oさんが来た。
「知能テストをします」と言ったからビックリです。
起き上がると頭がモヤッとして、体に疲れを感じる。
どうしてこんなときに、こんなことをするのだろうと不満だった。
「ダメ、ダメ、私、知能がまったく低いからしなくていい。イヤイヤ」と言うと、
「大丈夫、分からなかったら分からなくていいから」と笑う。

 「福沢諭吉について話してください」
問題が出された。
回答が一つの問題だと思っていた私は提出方法に驚いた。
「天は人の上に人を造らず。人の下に人を造らず。
慶應義塾の塾長。『学問のススメ』」
思いつくまま棒読みのように答えた。
Oさんは驚いたように私を見つめた。
全部で10問ほどの問題を全て答えることができてホッとした。

 夕方、「この人は特別だから僕がします」と言う声にベッドの横を見る。
お小水の量を見ていた女性看護師さんに男性看護士さんが言っていた。
「特別?」
おかしなことを言うと思った。

 その看護士さんは自分の名をSと名乗り、私の名前を呼んで話しかけた。
「たくさん水分をとってくださいね」
S看護士さんの言葉に私は困った。
「私、水分をあまりとれないんです。水分をとるとすぐおなかがいっぱいになるんです」
S看護士さんは困ったお顔をして、ちょっと考え、私に何が好きかと訊く。
私は果物と答える。
「今、果物は何があるかなぁ」と考えてから、
「みかんなら簡単に食べられる。あさって僕は夜勤だからみかんを持ってきてあげる。
だけど、これは内緒だよ」と笑顔で言った。
私は戸惑った。
「頑張っている人には応援したくなるんです」と言う。
私は点滴をしているだけで、何も頑張っていなかった。

 6時頃、職場から直行で長女が来た。
私はS看護士さんの不可解な言動を娘に話し、不思議がった。

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病状記 3



  看護士さんの声で目が覚めた。
ICUの中だった。
熱と血圧を測り、名前と生年月日、年齢を訊かれ、病院の名前を教えられた。
頭は痛くないか、手にしびれはないか、どこか痛いところはないかと訊かれる。
どこも痛くないと答える。
口の中に管はなかった。

 看護士さんが言った。
「くも膜下出血は三分の一が命を落とし、三分の一が障害をかかえ、
三分の一が社会復帰できるという恐ろしい病気です。
きちんと食事をとって水分を十分にとって頑張ってください」
「はい、頑張ります」
淡々と素直に言葉が出た。
くも膜下出血と聞いても私に何の感情もわかなかった。
それは私が病気に対して無知だったことと、痛みも何も感じなかったからかもしれない。

 朝食が運ばれてきた。
もう食事ができるのかと驚きながら、空腹を感じた。
午後3時過ぎに倒れ、夕食を食べていないことを思い出した。
スプーンでお味噌汁をすくって口に入れるとしょっぱい。
病院なのにどうしてこんなにしょっぱいのだろうと急いでお粥を口に運ぶ。
おかずも全てしょっぱかった。
おかゆと一緒に我慢して食べた。

 一人の医師の後ろに数人の医師がついて検診にきた。
先頭の医師が私を見て、「頑張って治療しているのよ」と言った。
「朝食は全部食べたかい?」と訊く。
「はい、夕べ夕食を食べていなかったからおなかが空いていて全部食べました」
「夕食を食べていなかったからおなかが空いていたか」
医師が笑った。
実はこの日は倒れてから3日目だったことを後で知る。

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病状記 2



 話しかける声に目を開くと、長女の顔が見えた。
ベッドの頭部を上げていて背もたれになっている。
何を話しかけられたか覚えていないが、私はそれに答えようとした。
ところが口の中に丸い物が入っていて、話そうとしても言葉にならない。
「ア〜ア〜、ウ〜ウ〜」
何度もそんな声を出した。
口の中の丸い物を舌で横に寄せて話そうとしたが、丸い物はちっとも動かない。

 私は右手で、「書くものをちょうだい」というしぐさをした。
長女がすぐ紙とボールペンをくれた。
手早く書き、右側にいた長女に書いたものを渡す。
「パソコン! 覚えている!」
長女が叫んだ。
倒れた次の日、長女が私のパソコンを借りに来る予定になっていた。
それを覚えていると驚いているのだ。
この驚きの意味を私は後に知った。

 左の方からもいろいろ話しかけられていたが内容は覚えていない。
私が書いた物を左に渡すと、
「のどが痛い。そうだね、のどに管を入れてるものね」と言う声が聞こえた。
おそらく、どこか痛いところがないかと訊かれたのではないかと思う。
私の目には長女しか映らなかったが、夫と次女も一緒だった。
3人は代わる代わる私の顔に自分の顔を近づけ、
私の顔を見つめ、自分の顔を見せた、と後で聞いた。

 退院してから、この日は何日だったのかと家族に訊くと、倒れた次の日だった。
そして、私は話した後や書いた後で、すぐ眠ってしまうと話してくれた。

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