私が茶道とか、書道など、道のつくものに惹かれるのは、その背景にある生き方や美意識の教えがあるからです。
書道を習い始めたのは、ペン習字教室講師の堀谷先生の影響があったり、文字をきれいに書けるようになりたいという目的があったからですが、万年筆屋として書くことにこだわる生き方を提案しながら、書くことにこだわる道を説く書道をしていないことに後ろめたく思っていたからです。
書道をしていないことで、今まで肩身の狭い思いをしていましたが、やっと万年筆屋として堂々と名乗れる態勢に入ってきたと思っています。
道というのは、ただその行為を上手くできるだけではダメで、その行為に相応しい人格も形成しておかないと、その道を修めているとは言えません。
もしかしたら、道とつくものの多くが日本人の興味を引かなくなったのは生き方、身の処し方を習えなくなってきて、習い事になってしまったからなのかもしれないと思うことがあります。私の偏見だけど。
それぞれの道を通して生き方を学び、生きる上での道理や作法も学ぶ。
そういうことは家庭や学校ではなかなか難しいのかもしれません。
正しい、正しくないかではなく、その道に照らし合わせて恥ずかしいか、恥ずかしくないか、感心されるか軽蔑されるかのような、法律や慣習では判断できないような判断基準を知ることができるのが、道なのではないかと思います。
47歳にもなっていまだにそんなことを学ばなければいけないのは、とても頼りないことだけど、間違ったことをしていないからええやろと厚顔無恥に言うような人間にはなりたくないし、お客様方に感覚的に嫌だと思われたら、次は来ていただけないというのが店なので、道を知ることはとても大切なことだと思うのです。