一期一会 ~万年筆店店主のブログ~

哲学、想いを発信している、Pen and message.店主吉宗史博のブログです。

休みの最終日

2017-05-07 | 実生活

少し前ですが、加東市の桜。上手くはならないけれど、写真を撮ることが休日の何よりの楽しみ。

 

休みが長くなればなるほど、明日から仕事に行くという日は家でゆっくりしたいと思うのが人情で、連休が長くなればなるほど、その最終日はお客様が少ないと経験から知っています。

働き出した時からサービス業で、大型連休とか、週末の休みとは無縁な生活を送ってきました。

自分の若い頃を振り返ると、憂鬱な気持ちになります。
それは何も分かっていなかったという恥ずかしい気持ちと、家族にも申し訳なかったという悔恨のような気持ちを感じるからだと思っています。

息子は、父親は家にいないことが多く、母親といつも二人きりだったと幼い頃を振り返って言うけれど、人が休んでいる時に働いて、人が働いている時に働く、時間を売っているような仕事だから休みは少ないと思っていました。

今は店で仕事をしていることを天職だと、誇りを持ってやっているけれど、はじめの3年ほどは自分には能力がないから店でしか働くことができないと腐っていた。

当時の休みの日は、大した所に行っていたわけではなく、近場のショッピングモールをローテーションで行くくらいだったけれど、家に帰ると休みの日が終わることを認めるようで、なるべく遅くまで外にいたいと思って早く帰りたそうにしている妻と息子を引っ張り回していたような気がする。

ある時、自分の中のスイッチが入って、時間を売っていると思っていた販売の仕事が全く違うものに思えるようになりました。

時間を売っていると思っていた時は、与えられた仕事だけをしていて、仕事以外の時間に自分で勉強したり、考えることなど、仕事する人間として当たり前のことをしていなかった。

それから真っ直ぐに今の道を進んで来たけれど、時代と今自分が所属している会社の現状を自分なりに読んで、そこに自分を当てはめてやるべきことを見出して行くことができたら、仕事は時間を売るだけでなくなるような気がします。

大型連休の最終日にはいつも、若い頃の休みの日にしがみついていた情けない自分の気持ちを思い出します。

 

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小さな世界

2017-04-30 | 実生活


山本通 


店が始まる前に東急ハンズに行く途中に声を掛けられて振り返ったら、カンダミサコさんが優雅に自転車で走ってきました。

近所なのでカンダさんとは偶然会うこともあるかもしれないけれど、休みの日でもちょっとその辺に出掛けた時に知り合いに会うことが多く、本当に小さな街だと思います。
でも神戸のそんなところが気に入っています。

当店のスタッフ森脇直樹が外に招かれて聞香会をした時の縁で、当店に万年筆を買いに来て下った若い女性がおられました。

その方が、姪と一緒に店に来られて驚きました。

万年筆屋さんに行きたいという友達について来た店が、伯父さんの店だったという偶然でした。

世の中は本当に狭いなと思うことがよくあるけれど、それは万年筆というキーワードが入ると尚更だと思っています。

万年筆を使う人も、扱う店も少なく、それが世の中を狭くしていて、知り合いの知り合いが知っている人だったということは非常に多い。

小さな世界なので、お客様の数が限られていると思って、お客様の取り合いを店同士がしているとますます万年筆の世界は小さくなって、発展や未来がなくなっていく。

それぞれの店が自分たちの世界観を表現して、それに共感するお客様を増やしていける活動ができたら、万年筆という狭い世界はまだまだ大きくなっていけると思っているし、万年筆というものについて考えた時、潜在的なお客様はたくさんおられると思っている。

歩けば知り合いに会うような小さいと思っている神戸だけでも120万人もの人がいて、当店に来られたことがある人はいくら多く計算しても、100分の1くらいで、まだまだ余地がある。

新しいペン先調整機の製作で大変お世話になった高木会長のペンランドカフェは、規模も当店と同じくらいの同業者だけど、ペンランドカフェさんと当店とは、目指すものは近いけれど当然個性が違っていて、棲み分けができている。

本業の食品会社を立ち上げて、今のように大きくした才覚も、力もある高木会長の人間の大きさに甘えて、私が勉強させてもらって、お世話になってばかりだけど、ペンランドカフェさんとは協力関係が成り立っていて、ことあるごとにやり取りしている。

名古屋には当店と違うやり方で、万年筆を使う人を増やしたいと夢を持って営業している店がある。
その店の繁栄は刺激になるし、その店と協力し合えていることを誇りに思っていて、これが世界を大きくすることにつながるものだと思っています。

 

 

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イタリア色のインク?

2017-04-04 | 実生活

1年の表(3~9)と裏(10~2)ではモノの好みが違うのでそろそろインクの色を変えたいと思うようになりました。

冬は黒っぽい色がやはり日本の文字に合ってると思って気に入って使っていましたが、3月頃に春の予感がし出すとブルーブラックに、4月には何か新しい色をと、思い始めました。

涼しくなり始めた時、あれほど嬉しそうに履いていた革靴がとても暑苦しく、実際にも暑く感じて、もっと自然で軽いものに履き替えたいと思うようになり、好みは季節に非常に左右されます。

最近イタリアづいています。

イタリアに関する本を立て続けに読んでいる時に、イタリア絡みの出会いがあったり、昨年末からアウロラが限定万年筆を連続して発売したりと、今年は当店にとってのイタリア年になるかもしれないと思っています。

イタリア人のあくせくしない、自分の分をわきまえた考え方が好きで、自分がもともと持っていた考えと共通する部分が多く共感します。

そういったことをインクの色に込められないかと思っている。

イタリアだからといって、緑とか赤にするつもりはない。


エルバンのインクはそれぞれの色にストーリーやシーンがあり、私のとても好きな商品展開をしています。

それぞれの色に必ずイメージやいわれがあると思いますが、それをおしゃれなイラストと美しいネーミングで表現している。

イタリア年のインクの色を何にしたのか、またご報告できる機会があればお話ししたいと思います。

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2017-04-02 | 実生活

角の桜がやっと咲きました。

この辺りではこの桜が一番早いけれど、今年は遅かったような気がする。

暑さ寒さも彼岸までに今年も当てはまらず、寒い3月でしたね。

長い間屋内でのみ仕事をしてきましたので桜を見た思い出は休みの日に限定されてしまいます。

休みの日と桜の良い時が合えば桜を見に行けるけれど、週1回の休みに雨が降るとその年の花見は流れてしまいます。

以前に花見をした場所を思い出すために妻が、キャノンオートボーイとか写ルンですで撮った写真が収まったアルバムを引っ張り出してきて見ていた。

自分が撮った写真を見ながら、人はなぜこんなにも桜を撮りたがるのだろうと思う。

そして桜を見るとなぜ、私のようにテンションの低めの人間でも気持ちが盛り上がるのだろうか。

きっとやっと寒い冬が終わって、明るい暖かな日々が始まるからと思いますが、桜が咲くと何もかも新しくなったようなリフレッシュされたような気持ちになるからかもしれません。

賛否両論あって、世界的には不便で仕方ないけれど、やはり日本の新学期は4月からだと思う。
そこは歩み寄るところではない。

当店も新しい年を迎えたつもりで新しい気持ちで、今月からいたいと思っている。

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仕込み

2017-03-12 | 実生活

私にも毎週、毎月やってくるいくつかの締め切りがあります。

人に決められたことなら逃れる言い訳もあるかもしれませんが、どれも自分で決めたことなので誰のせいにもできず、守るしかなく、確か一度も遅れたことはないと思います。

何かを無理やりに書こうとすると本当に苦しく、こんな面白くないものを誰が読んでくれるのだろうかと、自分で書いていて思うこともあります。

私の書くもの(ブログ、ホームページなど)が面白くない時に楽しんでいただく方法は、今回は相当苦しそうだなと私の状況を推察することだと思っていただきたい。

文章の中に、他人のものではない、自分独自の考えを展開できたり、自分の経験から何か述べることができたら、その時は自分なりに充実感を感じています。

以前はいざ書こうと、あるいは書かなければいけないと、頭が空っぽなのにペンを持って紙に向かっていたけれど、私の場合はそこから何も生まれないことが分かりました。

どんな小さな芽でもいいから頭の中に仕込んでおいて、それを繰り返し考えてはじめて短い文章になる。

繰り返し考えることで、自分の考えなども生まれて、文章に盛り込むことができる。

手で書くということはもちろんしていて、大切な作業だけど、その前に頭に仕込んで考えるという締め切りのない作業がとても大切でした。

でも、それはいろんなことに言えることかもしれない。

10年後、3年後、今年、今月、明日、どんなふうな仕事をするかということを頭に仕込んで考えておかないと、いざその時に考えようとしても、何も残せない時間を送ることになります。それを自分ができているとは言えないけれど、イメージは持っておきたい。

学校の勉強で予習が大切でとても有益だということを仕事をするようになってから実感していて、何にでも仕込みということは必要なのだと思っています。

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街への愛情

2017-03-05 | 実生活

あまり意識していなかったけれど、私も地元への愛情があるのだと思います。

特に神戸でないととか、神戸にこだわっているわけではないけれど、神戸で神戸の情報を発信している媒体が好きで、その手の本はつい手にとってしまうし、とっている新聞も神戸新聞です。

新聞雑誌の役割はインターネットに取って代わられたという時代だけど、ネットニュースにも載らない情報、ニュースなどがあって、これは地元誌でしか読むことができません。

そういう意味でもまだまだ紙媒体の存在意義はあると思っています。

地元への愛情があると思うようになったのは店を始めてからです。元町駅北側の商業地域と生活圏の間のような雰囲気を歩くようになって、これが私にとっての神戸だと思ってる。

ただ美しいとは違う、趣きを持った街の風景に惹かれ、いいなあといつも思います。

 

神戸の情報を神戸やその周辺地域に発信しているAMラジオ局 ラジオ関西というものが神戸にはあって、私が若い頃は須磨にありました。神戸の人で知らない人はいないと思います。

今はハーバーランドの神戸新聞のビルの中にあります。

ラジオ関西の番組に出てもらえないかと言われた時、話すことが苦手だと自分で分かっているのに2つ返事で承諾してしまいました。

神戸のメディアと聞いて反射的に好感を抱くのと、声を掛けてくれた人の役に立ちたいという気持ちと、自分の苦手なことに立ち向かいたいという気持ちもありました。

放送はやはり緊張して、あまり上手く話せなかったけれど、でもラジオの世界で働く人の仕事振りを間近で見ることができました。

進行役の林真一郎氏のその場の空気を作り、進行をぐいぐい引っ張って行きながら、それぞれに的確なパスを出してコメントを引き出す手腕には感動しました。

でも、終わって数日経つけれど、次はもっと上手く出来ると思ってしまっているので、バカだと思っている。

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齢相応

2017-01-31 | 実生活

熟年の定義は45歳から69歳(65歳)で、自分はとっくに熟年と言われてもいい齢だということを知ってショックを受けました。

ショックを受けるということは、自分はまだ若いと思っているということだけど、自分自身の認識と人が自分を見る目とそれだけギャップがあるということだと思います。

最近齢相応ということをよく考えている。

年齢よりも若く見られたいというのは多くの人の想いだけど、幼く見えることは良いことではなく、情けない。

48歳の熟年の男として相応しい物腰を身に付けているのだろうか、無駄に齢だけとったような人間になっていないか。

内面のボンクラさを隠さなくてはいけないので、せめて表面的には熟年の落ち着きを見せていたいとは思っている。

最近夜眠くなるのが早くなっているし、白髪も増えた。そういえば筋肉痛は2日後に来る。

 

息子が春から塾の先生として働き始める。学校の先生にはなれなかったけれど、本人がしたいと思ってできる仕事に就けたことはとても恵まれたことで、息子が大学に入った時に塾講師のアルバイトに誘ってくれたI田さんには本当に感謝しています。

好きなことがあるならそれができる仕事に就いてほしいと思っていたけれど、勉強が好きで、教えることが楽しいと言う息子が、天職だと思える仕事に就けたことがとても嬉しい。

話が反れてしまったけれど、そんな大きな息子がいるのだからそら齢もとるだろう。

48歳の熟年の男としての齢相応と言っても個人差があるし、こうあるべきだと決められるものではないけれど、私が子供の頃に見ていた48歳の妻を亡くした父はこんなに頼りなくはなかったと思うことがあって、しっかりしたいと今更ながらに思っている。

今年49歳で、母親の年齢を超えることができるかということはずっと思っていました。

自分が死ぬこともあると考え始める年齢になっている。

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読みたかった本に出会った

2017-01-29 | 実生活

私たちのような商店主の仕事に書くことは必ずついて回るものだと思っています。

私が他のやり方を知らないだけだと思うけれど、書くことで店の情報を発信して、想いを伝えようとする。

私が書くようになったのはホームページに文章を載せるようになったからだけど、きっとインターネットがなくても何か書いて配っていたと思います。

話して想いを伝えることができたらいいけれど、上手く簡潔に話をまとめることがなかなか難しいし、下手な私の話を人は聞いていないものだと思っている。

私がしている書くことにおいて文章の上手さやテクニックは必要なくて、誰でもできる書くことを好きでしている。

小店主は生きていくために書き、書くから生かしてもらえていると思っている。

久々にこういう本が読みたかったと思う本を読みました。

「わたしの小さな古本屋」(田中美穂著)。倉敷にある蟲文庫のご主人田中美穂さんによる、小さな古書店を維持していく想いを書いた本です。

シンプルな文体で淡々と書かれているけれど、想いが伝わってくる。とても読みやすく、文章の上手い方だと思いました。

私たちが仕事の道具として当然あるべきものだとしているインターネットが一般的でない時代から地道に営業されてきて、ゆっくりと店を成長させてきた著者の心の強さに頭が下がります。

店を続けていくのは特別な才能や明晰な頭脳ではないと、ボンクラな私は思う。

21歳で創業して22年の蟲文庫。10年何てまだまだ。10年経ったと誇らしげに言っている自分が恥ずかしくなりました。

 

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22年の月日

2017-01-17 | 実生活

あれから22年も経つとは、早いという感覚よりもそんなに経ってしまったことが感じられないことに恐ろしいような気がします。

それほど他の記憶を飛び越して、震災の記憶は強烈で、皆同じように思っているのではないでしょうか。

でも当時0歳でミルクや風呂調達に苦労した息子が、自分が好きでやっていく仕事に就けて、4月から働き始めるほど年月は経っているのだ。

地震に遭ったと言っても、ライフラインは不通だったけれど住む家はあったし、会社は継続して雇ってくれたので、大変な苦労をした人とは比べものにならないけれど。

でも今まで積み重ねてきたものがリセットされるような感覚を私たちは味わって、それを仕事のキャリアが始まったばかりの頃に経験したことで、その後の行動や意思決定に影響を与えていると思っています。

もう二度とあんな大きな地震に遭いたくないと思うけれど、本当に避けられないことなのでどうしようもないけれど。

また若い頃に戻ることができたらと言う人がいるけれど、地震のこともあって私は全くそう思いません。

それに例えば学生の頃に戻って、もう一度学校で授業を受けるのは嫌だと思うし、同じようにやはり勉強はしないだろう。

学生時代から今現在に至るまで私は幸運の連続で、数えきれないラッキーのおかげで今こうしていると思うと、人生をやり直して同じ幸運が自分に降りてくるかどうか分からないので、戻りたくない。

何とかやってくることができたというのが実感で、地震の後の記憶はそれがより強くなった。

私は神戸の片隅の店で自分のできることを見つけて、それを確立しようと努力してきただけなので偉そうなことは言えないけれど、神戸の街をがんばって盛り上げようとしてきた人たちの努力には頭が下がる想いです。

神戸の街は元通り以上にきれいになって、地震に遭った形跡はどこにも見当たらなくなったけれど、きっと地震の記憶と体が覚えている感覚は変わらず私たちの生き方に影響を与え続けると思っています。

 

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空白の時間

2017-01-15 | 実生活

最近、ますますスマートフォンを見なくなっていて、フェイスブックにご案内の投稿はしても、ほとんど見ていません。

インターネットから距離をおきたいとか、デジタルが嫌いだとかではなく、その時間がどうしてもとれなくなっています。大して忙しいわけではないけれど。

理由はボーツとする時間を作るようになったからです。

電車の中など何もしていない空白の時間はどうしてももったいないと思ってしまいます。

それで皆さん有意義なことをして埋めようと、本を読んだり、スマホを見たりする。

私もその時間を有意義なものにしようと、本を読もうとしたり、書きものをしようとしていました。

しかし、最近ボーツと考え事をする時間も大切だと思うようになりました。

本もスマホも見ずボーツとしているのはもったいない時間の過ごし方のように思えるし、フェイスブックに自分の投稿だけして、ほかの人の投稿を見ないし、「いいね」も押さないのはとても身勝手で、不義理をしているようで後ろめたい気持ちはあります。

何にも影響されていないゼロから生まれる考えは、そういうボーツとする時間から生まれるような気がして、自分の仕事にとってそれはとても必要なことに思えて、必要な時間になっています。

責任は重くなっているけれど、自分の仕事が今までよりも難しくなったわけではないけれど、ボーツと考えることをこの店が要求しているような気がしています。

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