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安倍と小泉と:扇動者小泉と、ミニ扇動者安倍

2007-02-28 | 日々の思い
小泉を扇動者と位置づけてみたい。扇動が「人の気持をあおり立てて、或る行動をすすめそそのかすこと。」という意味だとすると、小泉はまさしく扇動者であっただろう。政治家というもの、多かれ少なかれ、国民の気持ちをあおり立てるものではあるが、小泉の場合は、それがすべてだった。世論調査の数字に大騒ぎするようになったのは、小泉以来である。当初は、党内に基盤がないこともあって、改革を標榜し続けなければならないこともあったが、途中から、抵抗勢力と闘う姿を演出することで、人気維持に利用することに味を占めた。

それでは、なにをそそのかしたのだろうか。今のままではダメだ、なにかを変えなければいけないという気持ちにつけ込んで、国民を“構造改革”に駆り立てたことだろう。今となってみれば、構造改革は誰のためのものだったのか、それで幸福になったのかについて、多くの国民が疑問を持ち始めている。

扇動が覚めて来ているのだ。扇動の本質は、そそのかされている者たちが、そそのかされた結果として起こりうることをを自覚していないことだ。終わってしまった後になって、あの熱病のような大混乱はなんだったのかと思う。しかも、そそのかされた人間に限って不幸になっている。

安倍は、扇動者の後継者として登場した。保守主義者として、血筋の面からも、エースと見るむきもあったようだが、やっていることは小泉時代の扇動者としてのやり方そのものである。教育改革をあおって、憲法改正をあおって、そして北朝鮮であおっている。ただ、小泉と違うところは、あおり方がヘタなのだろう。なによりも、小泉ほどには、扇動がすべてであると、徹していないこともあるのだろう。

しかし、安倍の無能が原因のすべてではない。小泉のままでも、扇動は、いつか終わるのである。そのことを扇動者の小泉は自覚していたからこそ、任期を越えては居座らなかったし、今後も再登場はないのだろう。安倍が政権についたときが、扇動が継続できるか覚めるかの分かれ目の時期だったのだ。

多くの人が、ようやく扇動に気がつき始めた。しかし、安倍はダメだが、小泉のときはよかった、という声が残っている。安倍が小泉の延長であることに気がついていない。扇動されたことを反省するのなら、小泉の時代を含めたうえで、問い直すべきである。今の不幸は、安倍のやり方がまずいのではなく、小泉の時代に原因があるのだ。

今やるべきことは、“構造改革”の続きをやることではない。しかし、民主党は、自分たちこそ、改革のうまくやり遂げると思っているようだ。マスコミも、扇動の片棒を担いだことを自覚していないようだ。両者とも、相変わらず、改革競争を唱えている。

今やるべきことは、小泉の扇動から、目覚めるべきなのだ。小泉の時代になにが起こったのか。安倍政権は、まさしくその延長上に位置していることを、認識するべきなのだ。


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