有作未庵  烏兎怱怱 有作憂さ話 

有作(うさ)=煩悩の生ずること。
憂さ話=つらさや苦しさを語ってなぐさめ合うこと。
月日の経つのは早いですね。

胃がムズムズ…

2014年09月20日 03時46分59秒 | モブログ
会話の途中で相手の言葉が理解出来ず、何度も聞き返してしまった事とか、会話が止まってしまった流れの悪さとかが、相手を不快にしたのではないかと、不安になった。

今回はその気持ちが強かった。

もう30年も前に起こった事を、また思い出した。

それはこの30年で何度もフラッシュバックしている。

どういう話の流れだったかは覚えていないのだけど、クラスメイトが「なすかのちじょうえ」と言った。

その言葉で私の脳裏には「地球(テラ)へ…」のイメージが全画面表示されて、何度聞いても最後の一文字が“え(絵)”ではなく、“(toとかforの )へ”と認識されてしまい、地上絵が連想出来なくなった。

クラスメイトは「知らないの?」と呆れて「もういいわ」と会話が終了した。

クラスメイトはいくつか表現を変えて説明しようとしてくれたような気もするけど、私は脳裏の全画面表示を切り替える事が出来なかった。

蜂鳥の図でも描いて貰えれば、画面変更が出来たかもしれないし、音声ではなく、文字を書いて貰えれば良かったんだと思う。

フラッシュバックで申し訳なさと悔しさみたいなものが入り雑じった気持ちを幾度となく反芻しているのに、言葉が聞き取れない時に書いて貰うという打開策を実用化出来る場合というのは少ない。

今回はもっと酷かった。

「なすかのちじょうえ」は後で突然「ナスカの地上絵」と正しく脳内変換された。
もはや「あの時、言ってたのは… 」と話を切り出したとて、相手には意味不明であろうというくらい後々の事だった。

自分でも呆れる。

でも、今回は、音(声)は聞こえるけど、文字に出来ない状態に陥った。

軽いパニックになりながら聞き返す。
やっぱり聞き取れない。
焦る。(ただし、全然焦っているようにもパニくってるようにも見えなかったはずだ。)

たまたま3人での会話で、もう1人が「○○○やん」と一言発したとたんにスコンとその言葉が漢字変換された。

「金剛登山」

会話の流れとしてアリだろうキーワードだろう。

でも、私の脳ミソは流れに乗れ無かった。
滝に落ちた感じとでも言いましょうか。
でも、滝壺に沈まず浮上して会話が続けられたきっかけの言葉が何故か思い出せない。

まったく!私の脳ミソはどうなってるんだろう?

イントネーションの落とし穴の場合もあるんだけど、全く知らない土地の訛りなわけじゃないし。

自分自身、納得がいかない。
理屈の落とし所が見つからない。

自己嫌悪の底無し沼に沈んでおります。

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