いもうとよ-14

2017-04-20 12:15:29 | Weblog
こんにちは~、うちのおばはんの相棒のケータイのマリー改め、スマホのマリーで~す。

え、何?そんなことはわかってるから早く話を先に進めろ、そう言われたってこっちにも話の段取りってものがあるんだからさあ、ちゃんと順番に話させてほしいわ。なんか、こっちだってどこから話すんだったか忘れちゃったじゃないのよ。イースター休みって感じでしばらくおやすみしてたから、あたしとしても話の繋がりがどうなっているのか分からなかったりしてるとこよ。あ、そうか、別のジャンルに入ってる昨日の話を少しばかり借りてきた方が話が早いかもね。

・・・・あのさあ、あの人、昨日、ずいぶん久しぶりに九段から神保町を歩いたわけよ。ほんでもって何十年も前、あの人が神保町に通勤していたころを思い出してたんだわ。昔、あの人のお父さんも、神保町の印刷会社に通勤していたし、あの人もお父さんの知り合いの会社に入ってたのよ。神保町もずいぶん変わっちゃったけど、うちのおばはんには相当懐かしかったみたいだったわ。昔々、あの人のお父さんの仕事のお得意先だったホンダさんが本田技研て言ってた頃かな、あの人がまだ子供の頃からよ。

神保町を歩くといろんな思い出が湧き上がってくるみたいよ。多分、死んじゃった妹のみいちゃんのことも頭に合ったからかもしれないけど、やっぱりお父さんの仕事先のちょっとした関係者だった方で、作家でサントリーさんの重役だった開高健さんのお嬢さんの道子さんのことも思いだしてたのよね。

道子さんも気の毒な方だったのよ、豊かな才能もあったのにお父さんの開高健さんを亡くされてから何か道に迷っちゃったのね。うちのおばはんが代母をした人も道に迷ってしまって自分から死んでしまってるのよ。うちのおばはんのとこのみいちゃんもそうだけど、なんかさあ、この方たちを思い出して見ると、3人ともどうもなんというか、自分という存在を内面から支えて、引き留めてくれる確固としたものが。今一弱かったような気がするのよねえ。責めたりなんかしてないわよ。ただ、もうちょっと何とかならなかったのかって思っちゃうのよ。それ以上はどうしたらいいのか、これからのためにどうしたらいいのかって意味だけど、あの人にもよくわからないみたいだわ・・・・

2014年のお正月明けすぐ、千葉にいる義理のおかあさんから、うちのおばはんのところに電話が来てみいちゃんはそっちに行ってるかって聞いてきたのよ。あの人、その朝方にすごく嫌な寂しい夢を見て目が覚めていたから、直観的にこれは危ないって感じたのよ。だから教会のミサの帰りに四ッ谷駅の近くの交番に寄って、こういう時はどうしたらいいか聞いたの。それで行方不明者の捜査願いを自宅に近い荻窪警察署に行って出したら、ほどなく、あっけなく遺体発見よ。

みいちゃん、気が早すぎるわよ。後から言ってもどうにもならないけど、うちのおばはんだって大ショックだったんじゃないの。

ただねえ、あの時にうちのおばはんが感じていたのはねえ、義理のお母さんはちゃんと説明してくれなくて、みいちゃんの行方不明が分かった時点でやっと話してくれたのだけど、みいちゃんは若いころからずっと所属していた家政婦会を止めさせられてから実は一度睡眠薬自殺を図って失敗していたのよね。ということは、とにかく当人がいくら死にたがっても、神様のお許しが無ければ死ねないのだし、もし今回死んでいたらそれは今回のことは神様のお許しが、思し召しがあってのことというしかないってことなんじゃないのかってことだったのよ。

うちのおばはんはねえ、ドジで頓馬だけどそれでも、人間よりはるかに大きなお方の存在はわかるのよ。心から信じているのよ。ただねえ、そのお方のお考えは人間の考えや期待とはかなり違うのもわかるの。物事をご覧になるときのスケールが人間の判断とは大幅に違うのよ。よくさあ、神の沈黙とかっていうじゃないの、あれだって、神様の判断基準、判断のスケールって人間の基準とはまるで違ってるからそう見えるんじゃないのかなあ。

今日のところはこのへんでやめとくわね。うちのおばはんがあんまり座りっぱなしでも腰が痛くなるって文句を言い始めたから、ちょっとお散歩ついでに夕飯のおかずの材料でも買いに行くみたいだし、お供して出かけてくるわ。

ほんじゃまたね。

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