似たもの父娘

2017-05-16 19:01:23 | Weblog
遠藤文学も風の部屋も日本的霊性もちょっといったん全部取っ払って見ることにした。その上で自分の持っているつもりのもの、土台になっているものを見直していくと、どうしても今は亡き自分の父親に行き着いてしまう。死んだ父は長年印刷会社の営業の仕事をしていた人だ。お得意先はホンダさんだった。昔は本田技研工業だ。そのご縁でサントリーさんとか異分野の会社にもかかわりがあった。それで我が家では開高健さんや山口瞳さんの名前も何故かよく出ていた。広告関係からだったのだろうか、遠藤周作先生のお名前もだ。

で、子供のこちらは先生方の書いたご本は読んでいなくてもお名前だけは知っていた。中学生の頃は北杜夫先生のものばかり読んでいたのが、だんだん、遠藤先生の狐狸庵シリーズあたりから手をだして、難解な純文学作品まで読み始めたわけだ。でも当然それほどふかく読んではいない。十代の女の子の程度の読みだ。それでも親がよく本を読む人だったから、本は片端から読んでいた。そして自分の好みがはっきりして自分でもどういうものがいいと思うかわかってきたわけだが、それがまたなんと父親譲りというかなんというか、どちらかといえば日本文学、それも笑いがあるもの、落語や漫才、お芝居、といったものにもどこか通じているものが好き、笑いが好き。父が好んでいたものが自分も好きなのに気が付いた。

そして高校卒業間際に母の突然の死でさすがに毎日悲しんでいたころに出会ったのが遠藤先生の狐狸庵シリーズで、お友達の北杜夫先生のエッセーでもお名前を見て知っていたから、喜んで飛びついた。だって、すごく面白くて笑っているうちに悲しみもどんどん吹き消されていきましたから。でも先生と再び出あったのは、はるか後年になって、それがなんとユング心理学絡みで、当時奇妙なありそうにもないような事ばかり起こって、どうしてこんな変なことになるのかと悩んでいたころだ。

でもそんな話をここでしようとは思わない。わからない方には分からないという種類の話はやめておく。それより今は、自分の父や遠藤先生から学んだ笑うということの大切さを言いたい。生真面目は悪くないけれど、物事を見るには笑いを忘れては見え方が歪んでしまうのだ。

様々な問題に出会ったとき、それを乗り越えていく力になるのは笑いだ。喜び楽しみに通じる笑いの力だ。自分は大したものは書けないが、書くならなるべくなら笑いの要素の多いものを書いていきたいと思うのだ。真剣になりすぎ、一直線になりすぎは結局どこかゆがんでしまうではないか。そうではなくてもっと豊かな何かが必要なのだと思う。そんなわけで、私の相棒にケータイのマリーさん、いや今はスマホのマリーさんが登場してきたのだ。今後もいろいろな面でマリーさんの視点で物事を見させていただくつもりだ。

といったところで今日のはなしはこれまで。ではまた。
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