●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」持病を乗り越えつつ、恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

あなたの罪は赦された

2017年02月11日 | 思うこと





ふと、私がクリスチャンになった頃のことを思い出しました。

初めて教会に行ってから、一月ほど経った時に「特別集会」がありました。

宣教師の先生をお招きしての集会でした。

私は、聖書のお話しを「とても信じられない!」と思いつつも「信じたい!」

と、心から思っていました。

その時に語られた「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」(ヨハネによる福音書20:27)

との聖書の言葉で「信じてみよう!」と決心しました。




さて、次の日の朝…

私は、自分はクリスチャンになったのかな?と思っていました。

そして、いつものように朝ごはんを食べていて、

振り返ってお醤油を取ろうとした時、心の声がしました。

「あなたの罪は赦された…」

ん?何だろ?さっきのは何だろ?

すると急に溢れんばかりの喜びがドバーッと来て、

嬉しくて嬉しくてたまらなくなり、急いで教会に行きました。

平日だったので、伝道師の先生しかおられなかったのですが、

とても喜んで下さいました。




ですが、最近まで「あなたの罪は赦された」にはあまり気を留めていませんでした。

ふと考えてみると、その時私は罪に苦しんでいたつもりはなく、

赦されたい!と思っていた訳でもありませんでした。

ただ、自分も他人も人間は汚い者だと思ってはいましたし、

それと同時に理想主義者でもあったので、本物の愛とか清さに憧れていました。



本当の私の問題は、私の内にある罪だとは知りませんでした。

しかし神さまはご存じだったので、私に「あなたの罪は赦された」

と声をかけて下さったんだと思います。

罪が赦されることの大きな恵みは、後になってみると、

とても幸せなことで、身に余る光栄なことだと分かります。

そして、私の罪が赦されるためには、

イエスさまがどんなに大きな犠牲を払って下さったか?

ってことが、本当の意味で有り難くて有り難くて!たまりません。

十字架で見捨てられて下さったイエスさまの愛によって、私は引き上げられたんです。




イエスさまの十字架の上での、

「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マルコによる福音書15:34)

と言う言葉を、敗北宣言だと言う人たちがいますが、

イエスさまが私を救うためには、父なる神さまに見捨てられなければならなかったんです。

本来ならは、罪深い私が捨てられて当然でした。

ここに身代わりの死があります。身代わりの愛があります。



そして、3日目に蘇られました。私が「義」とされるためです。

赦されただけでもありがたいのに、「義」を頂きました。

今の幸せの全ては、イエスさまの十字架の愛の故です。

感謝です(^-^)
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