「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡県朝倉市  『 帰 省 』  宮崎湖処子 

2016-12-31 13:13:31 | 文学・文化・映画作品



福岡県朝倉市の札の辻公民館にある宮崎湖処子の 「 帰省 」 の文学碑





宮崎湖処子は、北村透谷と並ぶ
明治20年 ( 1887年 ) 代後半を代表する詩人の一人である。
『 帰省 』 ( 民友社 ) は、明治22年 ( 1889年 ) 8月、
東京から帰郷したときの感激を詩を挿入して書いた抒情的散文である。
生まれ故郷・三奈木 ( みなぎ ) 現・朝倉市甘木への憧憬にあふれており、
翌年8月に出版され、当時多くの読者に愛読された。
近代化が進んだ東京を批判し、故郷を美化して描いたが、
湖処子自身は故郷に帰る事ができないという矛盾の中で、
故郷喪失者という意識を抱き続けることとなった。


このうるはしき天地 ( あめつち ) に、
父よ安かれ母も待て、
学びの業 ( わざ ) の成る時に、
錦飾りて帰るまで、



この詩は 『 帰省 』 第一章に入れられた自作詩の一節であり、
昭和41年 ( 1966年 ) 、三奈木の札の辻公民館敷地内に建立された
文学碑に刻まれている。

湖処子は、イギリスの湖畔詩人、ワーズワースの詩と生涯を
「 ヲルヅヲルス 」 ( 明治26年 ) にまとめて、
我が国に初めて紹介した人でもある。


朝倉市甘木の三奈木は、集落の中に清冽な小川がめぐり、
静寂そのものの田園地帯である。
広い平野を清らかな佐田川が流れ、
土手道や屋形原橋付近は湖処子の 『 帰省 』 当時を思わせる。



  帰省の前に帰省なし、帰省の後に帰省なし 

宮崎湖処子 ( こしょし ) の本名は宮崎八百吉と言い、
出身地は、福岡藩大老三奈木黒田氏の別邸・播磨屋敷から近い
現在の朝倉市三奈木札の辻。
宮崎仁平の二男として、文久3年 ( 1863年 ) 9月20日に生まれた。
 
湖処子のほかに、愛郷学人などの別号があり、
一時は末兼姓を名乗っていた。
宮崎家は、口碑によれば、秋月城主秋月種実の侍大将・三奈木弥平次の末裔で、
農業を営む旧家であった。
弟の右夫は詩人で、号を亡洋と言い著書に 「 貧の朋友 」 がある。


 「 帰省の前に帰省なし、帰省の後に帰省なし 」 とまで言われ、
多くの若者の心を掴み、
当時のベストセラーになった 「 帰省 」 誕生の経緯を略述。

父の死にも帰省しなかった湖処子は、父の一周忌に、兄の強い催促で帰省。
帰省にあたって一抹の不安が脳裏を掠める。
というのも、上京する時政治家になることが夢であったが、
今の自分を直視するとき、
果たして家族をはじめ親戚知人は暖かく迎えてくれるであろうか
という心配があったのだろう。

しかし、帰省してみると、不安とは裏腹に人情と平和のすめる故郷があった。
都会とは別世界の田園の理想像桃源郷の故郷の存在、
母の実家佐田安谷の美しい自然もそのまま、
後の湖処子夫人となる女性の優しいもてなし、
6年ぶりの帰郷は、湖処子の心に故郷礼讃を育んだ。
これがきっかけで翌年明治23年 ( 1890年 )6月 、
「 帰省 」 として民友社より刊行され、
故郷を賛美する田園文学の最高峰として絶賛をあびたのである。


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