「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

12月22日 「 冬至の朝 」

2014-12-22 18:44:41 | 朝の風景とその他の風景










長靴の中に履いた防寒用のアンダーブーツ





昨夜は夜半すぎまで雨が降っていたが、
朝起きると止んで星が出ていた。

それにしても今朝もよく冷えた。
そんな中の作業だった。
長靴の中に履いたアンダーブーツでさえ爪先がジンジンして痛いくらいだった。
それがヨーイドンからお疲れ様の5時まで続いた。
朝、モルタルを練るのに土のう袋に入った砂を出そうと抱きかかえたら、
ガチガチだったので、ひょっとしてセメン?って思うくらい寒さで固まっていた。
そんな冷えた今日は、一年で一番日中が短くなる冬至である。

冬至(とうじ)は、二十四節気の第22。一年で最も昼が短い。十一月中(旧暦11月内)。
現在広まっている定気法では太陽黄経が270度のときで12月22日ごろ。
恒気法は節気を冬至からの経過日数で定義するが、
基点となる冬至は定気と同じ定義である。
定気と恒気で一致する唯一の節気である。
暦ではそれが起こる日を冬至とするが、天文学においては、
太陽黄経が270度となる瞬間を「冬至」と定義している。
この場合、冬至の瞬間を含む日を冬至日(とうじび)と呼ぶ。
期間としての意味もあり、この日から、次の節気の小寒前日までである。
西洋占星術では、冬至を磨羯宮(やぎ座)の始まりとする。


大分県耶馬渓町 「長岩城跡 ( 入り口 ~ 一之城戸 ) 」

2014-12-22 04:31:41 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )











この橋を渡って城跡入口に行く







一之城戸の入り口にはイノシシ除けのフェンスが設置されている







上から見た一之城戸







しっかりと組まれた石塁に囲まれた一之城戸










この長岩城は今まで巡った城の中でも最高級である。

今まで沖縄や奄美などのグスクを中心に400もの城をめぐって来たが、
これほど大きな規模で、しかも残された遺構が状態良く残っているのは稀で、
今帰仁城に匹敵するか、それ以上ものだと思う。
一日かけても回りきれないほど魅力ある城跡に虜になってしまった。
そんな長岩城跡をこれから数回に分けて紹介して行きたいと思っている。


長岩城は、川原口にある山岳城で、
下毛郡の支配者であった豪族野中氏22代390年間の居城であった。
初代城主野中重房が、建久9年(1198年)創築し、
南北朝、戦国時代に増改築された。
天正16年(1588年)黒田長政の大軍に攻め落とされ、以後廃城となった。

城は、急峻な円錐形をした扇山(標高530m、比高230m)と、
その一帯の支峯や谷窪などに築かれている。
この一帯は、険阻な断崖絶壁地帯で、このような天然の要害を巧みに取り入れ、
断崖の合間などの敵の侵入し易い所には人工的に石塁や、
砲座、塹壕などの防備施設を補完した独創的にして要害堅固な山岳城である。


本城(本丸)は、主峰扇山の頂上にあり、
この山は、7合目所を高さ4~10m位の斬石が東、北、西の3面を取り巻き、
南面は深い谷窪となり、後方は、尾根続きで岩山の連山に連なっている。
西方の支峯に西出城(西之台)、東方の中腹に東出城(東之台)、
これと谷を隔てて相対する岩山にも出城を設けてある。
谷川に沿って一之城戸、二之城戸、三之城戸の3段構えで防備を固めていた。
陣屋跡や馬場の跡も残っている。

長岩城の特色は、地方豪族の中世山城としては規模も大きく、
石塁や砲座などの優れた石積みの構造物が多いことである。
石積みの類は、20余か所で延べ700余メートルに及びる。
特に石積櫓「楕円型砲座」は、石造の櫓としても、構造的にも大変めずらしいもので、
全国に類例を見ない貴重な遺構である。

また、石積みの石が扁平な鉄平石状のものに統一してあるのも特徴である。
なお、城址は、昭和59年に地元保存会などにより一部修復工事が行われた。


【 大分県指定史跡 ( 平成23年3月29日指定 ) 】


競輪選手の練習・モガキ

2014-12-22 04:30:41 | 競輪・オートレース



体重が54キロと華奢だった競輪学校時代










競輪場内でバイクを使ってのスピード練習








動画は熊本時代の練習を動画化したもの






先日、中学生が自転車で九州一周を1周間でしたという話を聞いた。
話によると、一日約130キロ平均で走ったことになるらしい。
1日や2日ならば走れるだろうが、毎日の事になればかなりコタエルだろう。
プロでさえ連続して続けるのは大変なことだと思う。
それをやり遂げたということは、素晴らしいことである。
彼自身、大きな自信と精神力の強さにつながったと思う。

ボクはプロデビューしてからほとんで毎日のように
1日に150キロから200キロの練習量をこなしていた。
寝る時間と食事の時間以外はほとんど自転車に乗っていたから・・・
そうそう、一日で熊本から別府まで九州を横断して日帰りしたことがある。
朝5時に熊本市内を出て別府に着いたのが11時半くらいだった。
そのままとんぼ返りで、車上でパンを噛み噛み自転車を漕ぎ続け
熊本市内に帰り着いたのが夜の8時くらいだったのを憶えている。

今思うと狂気の沙汰である。