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中国人権活動家劉暁波の死の影響がない中国

2017-07-14 16:31:12 | 時事問題 政治
中国人権活動家劉暁波の死亡は、入院先の病院がある瀋陽の司法局のホームページで13日夜に公表された。これより先に、劉暁波の弁護士は、5月23日獄中で体調が悪化し、末期の肝臓がんと診断され、6月23日になって刑務所外の医療施設に移送することが認められたと報じた。6月29日に、瀋陽市当局は、肝臓がんが全身に転移しているとした上で、著名な腫瘍専門家がチームで治療に当たっていると発表し、当局が適切な治療を怠ったため病状が悪化したとの批判をかわす狙いで、劉暁波と家族は刑務所と病院が行った診療に満足だと表明していると主張していた。だれも信用してはいなかったろうが。

刑務所に行く以前から、劉暁波には肝炎の病歴があったという。しかし刑務所の極めて劣悪な住環境と食事が彼の健康を害したのは十分察せられる。末期がんになるまで専門の医療チームに診せていなかったというのも、適切な医療を施していなかったことの証左になる。穏健な死刑である。

劉暁波は、1989年お天安門事件で指導的役割を果たしたという罪で起訴されたが、1991年釈放された。2008年12月、303名が連名でインターネット上で発表した、中国の政治社会体制について、中国共産党の一党独裁の終結、三権分立、民主化推進、人権状況の改善などを求めた宣言文である 「零八憲章」の起草者となったことで、身柄を拘束され、2009年6月国家政権転覆扇動罪の容疑で北京市公安局に逮捕、起訴され、12月に懲役11年の判決を言い渡され、翌年2010年の控訴を棄却されて以来、服役していた。2010年のノーベル平和賞受賞にも、授賞式には中国当局は外出を許可しなかった。劉暁波は、抗日戦争中、中共軍は日本軍と戦わなかったということも指摘している。

「零八憲章」は、日本人から見れば、民主主義の当たり前のことを記載されているわけだが、中国共産党にとっては、弾圧している人権を記しているもので、体制そのもの変更を意図している。基本的主張の具体的なものとして、民主的立法、司法の独立、民主的選挙、結社の自由、集会の自由、言論の自由、農民の土地所有権などが挙げられている。

劉暁波は、末期がんと診断されても仮釈放にならなかった。ハンブルグで行われたG20で、独首相メルケルは中国主席習近平に劉暁波の釈放を希望する、とお願いしたそうだが、聞き入れられなかったようだ。

ノーベル平和賞受賞者が拘束下で死去したのは、1938年にナチス・ドイツの拘束下に置かれたまま病院で死去した反戦活動家カール・フォン・オシエツキー以来であるといわれる。1931年、オシエツキーは、ドイツの軍隊がヴェルサイユ条約に違反して軍備を拡張する準備を進めていることを公にした件で反逆罪に問われ、18ヶ月の自由刑を宣告された。ゲシュタポはオシエツキーをベルリンの刑務所、そのあと強制収容所に送った。しかし、拘留中にかかった結核を理由として強制収容所から釈放され、ノーベル平和賞を受賞した。1938年、48歳で没した。病気で釈放されているのである。劉暁波は、ノーベル平和賞受賞者の中で初めて、病院の中とはいえ、釈放のないままに、いわば獄中で死んだ人になった。

「私には敵はいない。憎しみもない」というのが、劉暁波の思想である。しかし中国共産党にとって、劉暁波は敵でしかなく、公にしたくない人であった。中国共産党は、劉暁波の死を報じない。中国人は、天安門事件も劉暁波の名も知らない人が多いという。もちろん自由のある世界があることなど知らない人も多いのだろう。劉暁波は、中国社会には影響ないのだ、と報道統制の中ではいえるのであろう。残念ながら、今はそうとしか言えないだろう。近い将来できるだけ早く、「零八憲章」が多くの中国人に読まれ、劉暁波の影響を受ける人が一人でも多く現れるのを待つしかない。中国共産党は、人権を拘束している、それは、中国人ばかりでなく、世界の人々に対してであるということに、中国内部の人が叫んでいることに気が付くように、世界が仕向けることで大切であろう。
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