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狂奏の中の人々~岡本清豪中将~

2006-12-03 18:54:43 | 狂奏の中の人々
太平洋戦争末期、スイスにおいて日本と連合国との和平を模索していた日本公使館付武官。

以下引用

(前略)
スイスでは海軍と別個に陸軍も動いていた。これは日本公使館付武官岡本清豪中将、加藤俊一公使らによるもので、参謀本部を通じて和平をはかろうとするものであった。スエーデン人ベル・ジャコブソンを介して、ダレスとその機関員に、日本の希望条件として天皇の安泰、憲法の不変、満州の国際管理、挑戦、台湾の日本保持を伝えた。ダレス側は天皇と帝国組織の維持について米国政府は反対ではないが、他国の反対もあるのでコミットできない。しかし日本が早期に降伏すれば、それを維持し得るだろうとの了解は述べうるとした。憲法は改正されるべきだとされた。朝鮮、台湾については論評を加えないとした。その上でダレスはジャコブソンに対して、ありうべきソ連の参戦前に交渉に入らなければ、失敗に帰することを、岡本らに伝達するよう、特に依頼した。
(中略)
八月四日以後岡本らはポツダム宣言発表にもかかわらず、この際ダレスを通じて、日米非公式会談を行うべきだとの意見がまとまり、ダレス機関への伝達を、ジャコブソンに依頼した。原爆投下後の八日夜に返事があり、ダレス機関としては、加瀬公使に全権を委任して速やかに交渉に入れば、米国側も応じる意向だというものであった。しかし九日にはソ連の進攻をみて万事休した。岡本は「涙をふるって聖断を仰ぐ」との趣旨の電報を、天皇と参謀総長あてに送った。そして終戦後彼は自決した。

(三村文男著・米内光政と山本五十六は愚将だった 「海軍善玉論」の虚妄を糾す 株式会社テーミス)


相次ぐ玉砕、兵站を無視した末の餓死、愛国心という美辞麗句の元に行われた自国民の殺害である特攻、そして民間人を多く巻き込んだ大規模空襲や沖縄の地上戦・・・・
刻々と荒廃していく母国にいながらただ結論を先延ばしにするためだけに戦争継続していた上層部・・・・
そんな中、遠い異国の地で、母国を守るため、「今」なすべきことのために全力を尽くし、果てたこの男のことを僕は記憶に留めておきたい。


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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2007-04-24 23:02:27
http://blog.goo.ne.jp/peace1941/e/81d5bef410f89b8284ac412565abf62d
Unknown (Unknown)
2007-12-22 01:35:46
この人物は「岡本清福中将」の誤りではありませんか?
参謀本部第二部長(情報担当)を務めた人物です。

元々の出典はP・アードマン「暗号名スイス・アカウント」(新潮社)でしょう。